第九話 王女の心と夜の刃
貧民街の誘拐事件を解決してから、数日が過ぎた。
俺の名は一気に王都中に広まった。
辺境の無名騎士が、姫騎士クラリスと共に人身売買の黒幕を暴いた。それは人々にとって痛快な英雄譚だった。
そして、その功績が新たな任務を呼び込む。
「レオン・アレスターを正式にエルヴァリア王国騎士任ずる」
王国騎士団長ジークフリードが読み上げた任命書の前で、俺は姿勢を正した。
ちなみにジークフリードはクラリスの父親だ。侯爵の地位にある。
「本日より、王女セシリア・エルヴェリア姫殿下の護衛騎士として仕えることを許可する」
ジークフリードは居並ぶ王国騎士たちにそう告げる。
ざわめきが騎士団の大広間に走る。
辺境の騎士が王女の護衛になる―。異例の大抜擢だった。
だがクラリスはいたずら少女のように微笑んだ。
どうやらかの姫騎士も一枚かんでいるようだ。
俺は肩をすくめるのを我慢する。
「おめでとう、レオン。あなたの幸運が、本物だと証明されたわね」
クラリスは俺に微笑みかける。
「幸運というより、運命のいたずらかもしれません」
俺は答えた。
「ふふ、どちらでもいいわ。姫様を守ること、それが今のあなたの使命よ」
クラリスは俺と共に、王女の護衛を務めることになっていた。
彼女にとっても王女は大切な存在。国の未来そのものだった。
俺はクラリスと肩を並べることになってしまった。
王宮の庭園は、春の香りで満ちていた。
白い薔薇が咲き誇り、噴水の水音が静かに響く。
「まあ、見てください。レオン、あの花がもう蕾をつけていますわ!」
王女セシリアは、少女のように瞳を輝かせた。
白金の髪に薄緑のドレスをまとい、陽光の中でまるで妖精のように見える。
俺は彼女の隣で、微笑ましい気持ちで見守っていた。
「お好きなんですね、花が」
俺はセシリア王女の作業を邪魔しないように声をかける。王女の話し相手も護衛の任務の一つだとクラリスに言われている。
「ええ。私のいちばんの生きがいですの」
セシリア王女は可憐な笑みを俺に向ける。
セシリア王女は分け隔てなく微笑みを向ける。
俺は自然とこの可憐な王女に好意を持つようになっていた。
「だって、花は正直ですもの。人のように嘘をつきません」
ほんの一瞬、セシリアの微笑みに寂しさが含まれたような気がした。
セシリアは小さなスコップを持ち、しゃがみこんで土をならす。
護衛の身でありながら、俺はつい見惚れてしまった。
するとセシリア王女がふと、手を止めてつぶやいた。
「私、女王になんてなりたくありませんの」
「え?」
思わず俺は聞き返す。
「誰にも言ってはなりませんわよ?」
と、セシリア王女は苦笑する。
「王女として育てられ、次の女王と呼ばれてきまた。でも、私は、そんな器ではありません。本当は、静かに花を育てて生きていきたいだけなのです」
その言葉は、王女という存在には似つかわしくないほど、切実だった。
「ですが、殿下。あなたがいるからこそ、国の人々は希望を持てるのでは」
俺は考えた末、セシリア王女にそう言った。
現在の王宮の平和は薄氷一枚の上に成り立っている。それは田舎者の俺でも理解できた。
「希望……」
セシリア王女は遠くを見つめた。
「王族だからといって、心が強いわけではありません。 でも、あなたのような人がそばにいてくだされば、少しは」
セシリア王女は言葉を切り、顔を赤らめた。
「いえ、なんでもありませんわ」
セシリア王女は首を小さく左右に振る。
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
守るべき理由が、またひとつ増えた。
-
それから数日後の夜。
王宮の中庭に冷たい風が吹いていた。
警備の見回りを終えたレオンが回廊を歩いていると、
ふと、庭園の方から金属のきしむ音が聞こえた。
(……誰かいる?)
息を潜めて影に身を隠す。
月明かりの下、黒衣の影が二つ――王女の私室へ向かっていた。
「王女の間……」
俺は全力で駆け出した。
扉を開け、中に入ると……。
寝台の傍らで短剣を構えた黒衣の女がいた。
その刃先は、眠るセシリアの喉元に向けられていた。
「やめろッ!」
俺は床を蹴り、飛び込む。
女が反応して跳び退くと同時に、短剣がレオンの頬をかすめた。
鮮血が飛ぶ。
「……速いな」
女が低く笑う。
その動きはしなやかで、蛇のように鋭かった。
「誰の差し金だ!」
「質問には答えない主義でね」
女――暗殺者は腰の双剣を抜いた。
鋭い金属音が響き、夜気が張り詰める。
俺は剣を構え、間合いを詰める。
しかし相手の速さは異常だった。
左右から繰り出される斬撃を辛うじて受け止めるたび、
金属の火花が闇に散る。
「運だけの騎士が、どこまで持つか試してやる!」
女の刃が俺の胸を狙う
だが次の瞬間。
カランと音を立てて、女の足元の床石がわずかに沈んだ。
「っ!?」
重心を崩した彼女の足首が滑る。
その隙を逃さず、俺の剣の彼女の腹を撃った。
剣をひねり、剣の腹で女の腹部に当てる。
女は呻き声をあげ、床に倒れ込む。
短剣が転がり、俺がすぐにその上に足を置いた。
「運だけで、十分だ」
冷たく言い放ち、女の両腕を縄で縛り上げた。
セシリアが目を覚まし、怯えた声で問う。
「レオン……いったい、何が……?」
「大丈夫です、殿下。もう安全です」
俺は女の仮面を剥いだ。
現れたのは、透き通るような白い肌と、黒いの瞳をもつ若い女。どこか異国の雰囲気をまとっていた。
「名は?」
俺は問う
「くっ」
女は何かを飲み込もうとしていた。
俺は慌てて、女の口に指を入れる。
やわらかい感触がある。おそらく毒薬だろう。
俺は指でそれをつまみ、床に捨てた、
すぐにクラリスが駆けつけ、鋭い目でその女を見下ろす。
「帝国の暗殺者が、王宮にまで――」
クラリスは端正な顔をくもらせる。
暗殺者は薄く笑った。
「幸運の騎士か……面白い。あんたの運が、どこまで続くか見ものね」
その言葉を最後に、彼女は気を失った。
静まり返った王宮の夜に、クラリスが小さく息を吐く。
「レオン……あなたがいなければ、姫様はもう――」
「いいえ。俺は、ただ運がよかっただけです」
「その運こそ、女神の加護よ」
クラリスの言葉に、窓の外は夜空を見た。
雲間からのぞく月が、まるで微笑むように輝いていた。
ティアラの加護がどこまで通じるのだろうか。
俺はそう思った。




