第三話 王都への道
黒鉄丘陵に、静寂が戻っていた。
風が焦げた草を撫で、戦の残滓をさらっていく。
帝国の将暴牛バランが倒れ、敵軍は撤退した。
だがその戦場に立ち尽くしていた俺は、限界を超えていた。
折れた剣を握ったまま、俺の意識は深い闇に沈んでいった。
どれほどの時間が過ぎたのか。
まぶたの裏を、光がさした。
「おい、目を覚ませ。生きてるか?」
低くも落ち着いた声。
重たいまぶたを開けると、そこには金髪の端正な顔立ちの青年が俺を見ていた。
整った顔立ちに、鋭くも穏やかな眼差し。
彼は俺の肩に布を掛け、手際よく包帯を巻いていた。
「なたは?」
俺は絞り出すよう言い、そう尋ねた。
「ジュリアン・グレイモアだ。男爵家の次男だよ」
その名を聞いた瞬間、俺の胸に驚きが走った。
グレイモア男爵家。自分が辺境騎士として仕えていた領主の一族の一人。
だが、俺のような辺境騎士が、直接その顔を見ることなどまずなかった。
「まさか、男爵家の……」
「ああ。兄貴の代理としてに軍を指揮していた。まさか、あんな化け物を倒す奴がいるとは思わなかったがな」
ジュリアンはわずかに笑った。
その眼差しには驚きと興味が入り混じっていた。
「見たぞ、あの一撃。あれは奇跡だ。いや、奇跡だけでは済まない。お前に何かあるな?」
「運が良かっただけですよ」
「運……。 ははっ、それなら女神にでも祝福されてるな」
ジュリアンは立ち上がり、丘の上を見渡した。
まだ煙がくすぶる戦場。
その中央で、バランの巨体が倒れ伏している。
「帝国軍の撤退を確認した。だが、私ははこの戦果を見逃さない。バランを討った功績は大きい。お前を王都に連れていく」
「王都に……?」
「ああ。王国騎士団への推薦だ。辺境の騎士が、中央で名を上げるチャンスだぞ」
ジュリアンは俺に微笑みかける。
俺は息をのんだ。
自分のような者が、王都の騎士になるなど想像もしなかった。
だが、戦場で見た光景を思い出す。
倒れた仲間、燃える丘、血に染まった空。
良かった。ダリアの下に帰ることができる。
「分かりました。お受けします。ただし、一つ条件があります」
「条件?」
「一人、連れていきたい人がいる。俺の幼なじみです。村で薬師をしている女性なんですが名前をダリアと言います。俺と同じで両親かまいません。ダリアを一人にはできない」
ジュリアンは少しだけ目を細めた。
そして、ふっと笑った。
「なるほど。恋人か?」
「い、いえ……そういうわけじゃ……」
「まあいい。連れてこい。お前が命を懸けて守りたいものなら、それもお前の力になる」
その言葉に、俺は深く頭を下げた。
数日後。
ダリアの残る村に俺は戻ってきた。
焼けた屋根、避難した人々。
だが、丘の小屋の前で待つ少女の姿を見つけた瞬間、胸が熱くなる。
「レオン!」
ダリアが駆け寄ってきた。
顔は泥に汚れ、目は赤い。
それでも、その笑顔はいつも通りだった。
「よかった、生きてたのね」
「ああ。約束しただろ、また花の咲く丘で会おうって」
涙を浮かべるダリアの肩に手を置き、俺は静かに言った。
そんな俺にダリアは抱きついた。ダリアの温かさを感じて、生き残って良かったと心底思った。
「俺、王都に行くことになった。王国騎士団に推薦されたんだ」
「……えっ?」
ダリアは大きく目を見開く。
「だからダリア、君にも来てほしい。俺ひとりじゃ、何もできない気がするんだ」
ダリアは驚き、そして少しの沈黙のあと、微笑んだ。
彼女の手が、そっと俺の手を握る。
「うん。行く。どこにでも、レオンと一緒なら」
その返事に、俺は言葉を失った。
いつの間にか、ジュリアンが微笑ましそうに俺たちを見ている。
こいついつの間に来ていたのだ。まるで気配がしなかった。
「ほう、もう決まりだな。ならば早く支度をしろ。王都までは長い旅になる」
ジュリアンは俺とダリアを交互に見て、そう言った。
王都エルヴェリアへと続く街道。
石畳の先には、白い城壁がそびえ、旗がはためいていた。
その光景を前に、俺は胸の奥に込み上げるものを感じる。
「これが……王都……」
「辺境とは違うだろう?」
ジュリアンが笑う。
「だが気を抜くな。王都は栄えているが、そのぶん腐敗も多い。貴族たちはお前のような無名の騎士を見下す」
「分かっています。それでも、ここで戦いたい。俺の幸運が尽きるその日まで」
俺の瞳はまっすぐ前を見据えていた。
城門が開かれ、王国騎士団の旗がはためく。
その瞬間、俺の胸に淡い光が宿る。
それは俺だけに見える女神できないの加護の灯火だ。
女神ティアラの声が、頭の中で囁いた。
「運命は、今、動き出す」
辺境の青年は、その日、王都に足を踏み入れた。
やがて幸運騎士として名を轟かせることになるとは、まだ誰も知らない。




