第二十九話 百英雄札と海洋の国
グレン侯爵の六千の兵を味方につけた俺たちは、クシャーン城に戻るとすぐ軍議を開いた。
その席で、グレン侯爵は重々しく言った。
「レオン殿、王都を攻略する前に東のフェルゼン公国との関係を整えねばなりませぬ」
俺は眉をひそめる。
「フェルゼン公国は反エルヴァリアの勢力に支配されているのだったか」
俺はちらりと公女イザベラを見る。
「はい。いまのフェルゼンは反王国派の大商人らが実権を握っています。このままでは背後を突かれる危険が高い」
エリスが言う。
その言葉に、イザベラが一歩前に出た。
彼女はフェルゼン公国の公女であり、公国の正統な公爵家の血筋だった。
「兄のフィリップに会わせていただければ説得できるかもしれません。兄は本来、中立主義でした。父の死後、商人たちに取り込まれてはいますが、まだ話はできます」
イザベラは自分の胸に手を当てる。
俺は頷く。
「イザベラがそう言うなら、俺が直接会ってみよう。
フェルゼンは海洋貿易で栄える国だ。軍事力は弱いはず。交渉の余地は十分にある」
俺の言葉にイザベラはかすかに微笑んだ。
「レオン。あなたが行くなら、わたしも同行します」
イザベラは言った。
こうして俺たちは、イザベラ、エリス、ダリア、ヴィクトと少数の護衛を連れ、フェルゼン公国の首都カレイドへと馬を走らせた。
騎馬での旅で二週間、俺たちはフェルゼン公国の首都に着いた。
海風が頬に触れる。
白い石造りの街並みに、香辛料の匂いと潮の香りが混じる。
港町カレイド。フェルゼン公国の誇る交易都市だ。
城館に通されると、豪奢な装飾の広間で、一人の男が待っていた。
金髪で、細身の優男だ。
鎧を着ず、豪華な刺繍を施した衣服だけをまとい、優雅に椅子に座っている。
「ようこそ、レオン殿。そして……久しいな、イザベラ」
それはフィリップ・フェルゼン公爵であった。
イザベラの実兄であり、芸術と遊興を愛する公国の元首だ。
「兄上……」
イザベラは複雑な表情をした。
フィリップは俺に目を向け、片手をひらひらと振った。
「さてレオン殿。可愛い妹が、あなたのために奔走しているとか。公国としては、エルヴァリアとは関わり合いになりたくないのが本心でして……」
フィリップ公爵はにやりと笑う。
「だからこそ来た。フェルゼンは軍事には向いていない。だが、我々が王都を奪還すれば、新たな交易の道が開ける」
俺の言葉に、フィリップはにやりと笑った。
「説得はお上手だ。しかし私は、簡単には動かないよ」
フィリップの言葉にイザベラが身を乗り出す。
「兄上、王都では姫が危険な状況にあります。アレク公爵はヴァルストリアと手を結び、エルヴァリアは滅びかねません!!」
イザベラの訴えに、しかしフィリップは穏やかに頬杖をつく。
「それはエルヴァリアの問題だろう? フェルゼンは海で生きる国。大陸の争いに深入りする理由は薄い」
俺は息を吐いた。
「交渉が難しいというなら、一つ提案がある」
俺はフィリップの青い瞳を見る。
「ほう、何だね?」
フィリップは興味津々といった顔をしている。
ある意味分かりやすい男だ。
「とある遊戯で勝負する。俺が勝てば、不戦の約束をしてほしい」
俺の言葉にフィリップの目が輝く。
旅の途中、イザベラに聞いた。フィリップは無類の遊戯好きだと。
「いいねぇ! !実にいい。私は何よりも遊戯が好きでね。どうだね百英雄札で勝負しないか」
イザベラが呟く。
「兄は百英雄札の名手……。東の大陸崑華で生まれた、百の英雄が描かれた札で遊ぶゲーム。役を作り、その強さで勝敗を決めます。兄上はこの札が趣で…… 負けたことがないのです」
フィリップは胸を張った。
「さぁ、レオン殿。私に勝てれば約束を守ろう」
百英雄札の盤が置かれ、イザベラやエリス、ダリアが固唾を飲んで見守る中、俺とフィリップの勝負は始まった。
札が混ぜられ、配られる。
フィリップはにやり笑う。
「英雄蒼狼を持っている。初手から強いぞ」
俺は、自分の札を見つめて小さく笑う。
このような遊戯と女神ティアラの加護の相性はもっともいいはずだ。
(……ティアラ。幸運を……)
俺は心のなかで祈る。
勝負が進むにつれ、観戦していたイザベラの目が見開かれる。
「レオン……すごい。兄上の英雄三連舞を……返した!?」
「あり得ない……フィリップ公は、完璧な役を組んでいたはずなのに……」
フィリップの近習が驚愕の声をあけやる。
フィリップは驚きつつ、しかし楽しそうだ。
「はは……この私が劣勢に……いや、こんなに胸が躍る勝負は久しぶりだ!」
俺は淡々と札を出す。
「ティアラの導き……これこそ女神の加護の力だ」
そして、最後の札が場に出た。
フィリップは崩れ落ちるように椅子にもたれた。
「ま、負けた……!?」
「勝負ありだ」
俺が静かに告げる。
イザベラは息をのむ。
「兄上……約束は……」
ぐいっとイザベラは兄であるフィリップに詰め寄る。
フィリップは笑いながら立ち上がり、俺にに手を差し出した。
「もちろんだとも。私は負けたら約束を守る主義なのさ。フェルゼン公国は、レオン殿と不戦の条約を結ぶ」
俺は差し出されたフィリップ公のその手を握り返す。
「感謝する」
フィリップは目を細め、少し真面目な声で言った。
「勘違いするなよ。私はエルヴァリア王国と約束したのではない。レオン・アナイティスと約束したのだ」
イザベラは胸に手を当てた。
どうやらイザベラとフィリップ公国の関係も改善されたようだ。
これは余談だが、イザベラが七女神教の異端審問官に追われていた理由は彼女のとある嗜好によるものだ。
それはイザベラが年老いた男性と少年の恋愛を描いた物語をこよなく愛していたからだ。
七女神教は同性同士の恋愛を厳しく禁じている。
公女という身分でそのような嗜好をもつイザベラを七女神教は異端としたのだ。
エリスは素晴らしい思想ですとイザベラのことを褒め称えた。
不戦条約の調印を終え、俺たち一行が港を出る頃。
海風が優しく吹き抜けた。
イザベラはそっと呟く。
「レオン……ありがとう。兄上が……あの兄上が、あなたを認めた。レオンならきっと、この大陸を変えられるわ」
俺は苦笑する。
「大げさだ。俺はただ、目の前のことをやっているだけだ」
そう俺は目の前の問題を一つ一つ解決しいくだけだ。
するとダリアが肩をすくめる。
「でも、あの百英雄札で勝てるってのは、やっぱり普通じゃないね」
エリスも小さく頷く。
「幸運の女神ティアラの加護……本当にあるのかもしれません」
俺は空を仰ぎ、静かに息を吐いた。
「ティアラ……俺を導け。必ず王都を取り戻す……セシリア王女のために」
こうして、俺は東の不安を解消し、ついに王都奪還へ向けて動き出すのであった。




