第二十八話 六千の軍影
東の平原に、土煙が立ちこめていた。
朝日を受けてきらめく無数の槍。六千の兵が押し寄せてくる。
「ついに来たか。グレン侯爵軍……」
城壁の上から眺める俺の隣で、ダリアが険しい表情で頷く。
「六千といっても、騎兵は千。残りは歩兵主体……ですが、油断は禁物です」
エリスがはそう進言する。
エリスの状況把握能力は的確だ。おそらくその数は合っているだろう。
その時、クラリスがふと固まった。
「クラリス、どうした?」
クラリスの異変に気づいた俺は彼女に問う。
「あれは……」
震えるクラリスの指が、敵軍の先頭を示す。
グレン侯爵軍の一番槍。その先頭に立つのは銀色の鎧に、青い羽飾りの騎士。背筋を伸ばした威厳ある女騎士だった。
「お母様……?」
クラリスの声は、風に消え入りそうだった。
俺は目を細めた。
「クラリスの……母親?」
俺は言った。
「たしかにあの女騎士はクラリス様と同じ炎のように赤い髪色をしています」
目の良いエリスが報告する。
「うん、あの人クラリスにそっくり」
かりんが補足する。
「はい……。母、マチルダです。父ジークフリードが亡くなってから、行方もつかめず……まさか、グレン侯爵の軍に……」
クラリスは拳を握りしめ、かすかに震えた。
その横でセシリア王女がそっと手を添える。
「クラリス……落ち着いて」
クラリスは顔を伏せ、悔し涙をこらえた。
「父は……王女様を逃がすために戦死しました。そのせいで、母は一人になってしまって……」
クラリスは呟く。
「……すみません。わたしのために……」
セシリア王女の端正な顔が曇る。
「ちがいます!」
クラリスは涙をぬぐい、首を振った。
「父は騎士として当然のことをしたのです。
けれど……母は……母がなぜグレン侯爵の軍に……」
そのとき、伝令が駆け込んできた。
「レオンの旦那!! 敵軍より使者が!」
ヴィクトが俺にそう報告した。
本陣前。
俺の前に現れたのは、白旗を掲げた老騎士であった。グレン侯爵の側近であると彼は名乗る。
「レオン殿。この戦い……血を流す前に、我が主より申し出がある」
老騎士は言った。
「グレン侯爵が? 内容は」
俺はその老騎士に尋ねる。
老騎士は俺に手紙を差し出した。
「これをお読みください」
俺は封を切る。
そこには丁寧な筆致で、たった数行の言葉が記されていた。
こちらにマチルダがいる。
彼女と共に会談したい。
戦を避けるための話し合いだ。
セシリア王女殿下のために。
俺は思わず目を見張った。
「どういうことだ?」
そのとき、クラリスが静かに語り始めた。
「グレン侯爵と母……マチルダは、若い頃、お互いを想い合っていました。でも、政治の都合で結ばれなくて…… 母は父と結婚しましたが……心のどこかに、ずっと侯爵を……」
途切れ途切れにクラリスは言う。
「では……夫を亡くしたマチルダ様は、侯爵のもとへ……?」
エリスが視線をクラリスに向ける。
クラリスはうなずいた。
「ええ。でもだからといって、母が王都に味方する理由はありません。むしろ……」
クラリスの瞳が揺れる。
「母は……わたしに、セシリア王女を守れと言っていました。あの人が、王女様を討つ軍に加わるなんて……絶対におかしい」
俺は即断した。
「会う価値はあるな。罠の可能性はあるが……少なくとも、あの文面は敵意のない者の書き方だ」
そこにエリスが一歩進み出る。
「護衛は私とクラリスで」
「いや、クラリスは残れ」
俺が即座に制した。
「母親が相手では、心が揺らぐ。ここは俺とエリスで行く」
「……はい」
クラリスは唇を噛んだが、従った。
敵軍の中間地点。
そこには天幕が張られ、小さな会談の場が設けられていた。中に入ると銀鎧の女騎士・マチルダが、ゆっくりと振り向いた。
「レオン殿。遠路ご苦労」
毅然とした姿。その目には迷いがなかった。
赤い瞳で俺を見ている。
この容貌はやはりクラリスに似ている。
「クラリスは……元気にしているか?」
マチルダは懐かしそうな笑みを俺にむける。
俺は軽く一礼した。
「おかげさまで立派に働いてくれています。あなたに似て、強くまっすぐな娘さんです」
俺の返答を聞き、マチルダは胸に手を当て、ほっと息を吐く。
「そう……よかった……」
そして、彼女の横に立っていた男、グレン侯爵が口を開いた。
「レオン殿。我らは王都の命令で進軍した……と見せかけているだけだ」
俺は目を細めた。
「つまり?」
「この軍は、お前たちを討つためではない。セシリア王女に味方するための軍だ」
俺はあきれたように息を吐いた。
「なるほど。予想以上に話が早い」
「王都の勅令は、アレク公爵の独断だ。正統なる王女を害するなど、許されることではない」
マチルダもグレン侯爵の言葉に静かに頷く。
「夫……ジークフリードは、王女様を守った。その遺志を、わたしが踏みにじるわけにはいかない」
マチルダのその言葉に、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
グレン侯爵は続ける。
「レオン殿。六千の兵……すべて、そなたの軍に下る。共に王都を正し、アレクを討とう」
俺は深く息を吸い、言った。
「ありがたく受け取ろう」
こうして、反逆者と呼ばれた俺はセシリア王女派の強力な仲間を得た。
天幕を出ると、俺を迎えたのはクラリスだった。
「母は……」
そこでクラリスは言葉を飲み込む。
俺はクラリスのガーネットのような瞳を見る。
「立派な騎士だ。クラリスの父の想いを受け継ぎ、王女を守ろうとしている」
クラリスの目に涙が溢れた。
「よかった……生きていて……そして……王女様の味方で……!」
俺はクラリスを抱きしめる。
「泣くな。今は前を見る時だ。六千の軍が加わった。戦いはこれからだ」
涙をぬぐったクラリスは、凛と顔を上げた。
「はい、レオン!!」
こうして、王都ルミナスを巡る戦は、大きく動き始めたのであった。




