第ニ十七話 王女の告白
クシャーン城に帰還した俺たちは、久々に穏やかな空気を味わっていた。
ヴァルストリア帝国軍の撤退によって緊張は一時的に緩み、兵たちは温かい食事に笑い声を取り戻している。
バレリアも新たな臣下として加わり、武人らしい真面目さで仕事をこなしていた。
俺は腕を組み、石造りの城壁の上から夜空を眺める。
「……今だけは静かだな」
ここはクシャーン城でも俺のお気に入りの場所だ。一人で考えごとをしたい時によく来る。
黒い夜空には満天の星。
戦乱の合間にふと訪れた、この束の間の平穏。
それを噛みしめていた俺の背に、ひとりの兵が駆け寄った。
「レオン様。セシリア王女がお呼びです」
「セシリア王女が? 分かった、すぐ行く」
珍しいことだ。
急ぎ執務塔へ向かうと、灯りのともる部屋の前にクラリスが立っていた。
「レオン……王女様は、少し気がかりな話をされたいようです」
クラリスが静かに扉を開くと、淡い灯火の中でセシリア王女がひとり椅子に腰かけていた。
俺を見ると、ほっとしたように微笑む。
「レオン……来てくださりました。ありがとうございます」
セシリアはすっと目を閉じる。
「どうしましたセシリア王女……」
まぶたをあけたセシリア王女と目が合う。
セシリア王女はにこりと微笑む。
「……お話ししたいことがあります。王都を逃げる前の、最後の出来事です」
俺は椅子を引き、彼女の隣に腰を下ろした。
「実は――アレク公爵と会いました」
その名を聞いて、俺の眼差しが鋭くなった。
「会った? どこでですか」
「王宮の裏庭です。逃げ出す直前……。公爵は、まるで私を待っていたかのようでした」
セシリア王女は一瞬震える肩を押さえる。
俺は無言で続きを促した。
「わたくし……アレク公爵に言ったのです。そんなに王位がほしいなら、差し上げますと」
「セシリア王女……」
「わたくし、本当に王位なんていらないのです。王女としての義務より、花を育て、人々の暮らしが笑顔で満たされるほうが、ずっと良いと思っていました」
セシリア王女は机の上の花瓶に目を落とす。
城内の庭から摘んだばかりの白い小花。
それを見つめる瞳は切なげだ。
「でも、アレク公爵は……こう言いました」
セシリア王女は顔を上げる。
「あなたという人間は存在してはならないと」
俺は拳を握りしめ、低く唸った。
何故、アレク公爵はここまでセシリア王女を憎むのだろうか。
「……やつめ。セシリア殿下に向かって」
クラリスが怒りのため赤い瞳がさらにその赤さを増す。
「はい。何故かアレク公爵はわたくしに憎しみを向けていました。まるでわたしがこの世にいてはいけないかのように……」
セシリア王女は小さく震え、唇を噛む。
「さぞ怖かったことでしょう」
クラリスがそっと寄り添うが、セシリア王女は首を振った。
「怖い……というより、悲しかったのです。わたくしは争いが嫌いです。王位のために誰かが傷つくのは、もっと嫌なんです」
しばし沈黙が落ちる。
俺はゆっくりと立ち上がり、セシリア王女の前に膝をついた。
「セシリア王女。俺が誓う」
真っ直ぐなまなざしでセシリア王女を見つめる。
「貴方様を傷つけるものは……誰であろうと、この俺が守る。幸運の女神ティアラに誓って」
セシリア王女は驚いたように目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「レオン……ありがとうございます」
「それにセシリア王女殿下。好きなだけ花を育てればいい。そのための場所ぐらい、俺がいくらでも作ろう」
セシリア王女の瞳に涙が光った。
「……はい。わたくし、レオンのそばにいたいです」
扉の外で聞いていたクラリスは、ほっと肩をなでおろす。
だが、その温かな時間は、長く続かなかった。
数日後。
朝の大広間に、ヴィクトが血相を変えて駆け込んできた。
「レオンの旦那 王都からの勅令が届きました!!」
俺は眉をひそめる。
「勅令だと? この状況で、何のだ」
ヴィクトは広げた羊皮紙を差し出す。
そこには、刻印とともに残酷な文言が記されていた。
――セシリア王女を討伐せよ。
反逆者レオンと共にある者を皆殺しにせよ。
クラリスが口元を押さえる。
「な……なんてこと……王女様を討伐……?」
セシリア王女は真っ青になって足をふらつかせた。
「……わたくしが……討伐……?」
俺は静かに勅令を丸めて握りつぶした。
「アレクの仕業だな。セシリアが生きていては困る……そういうことか」
「さらに……」
ヴィクトは続ける。
「その勅令を受け、東の国境を守っていたグレン侯爵が進軍を開始しました。三日以内にこちらへ向かうとのことです!」
一気に大広間の空気が張り詰めた。
息を呑む一同の中、俺だけが冷静だった。
「来るなら来い。今度は追い払うだけじゃ済まさん。
セシリア王女を狙うならなおさらだ」
俺の眼光は鋼のように冷たく光る。
「全軍に伝えろ。防衛準備に入る。戦いが始まるぞ」
こうして、束の間の休息は終わりを告げた。
セシリア王女を守るための、避けられぬ戦いが幕を開けようとしていた。




