第二十四話 雷鳴の下の死闘
西部戦線。俺とダリアの産まれ育ったところでもある。
荒れ果てた平野に、敗残兵の呻きと冷たい風だけが吹き抜けていた。かつて三千を数えた西部方面軍は、いまやジェスラン率いる三百騎を残すのみ。
その壊滅の原因はただ一人、ヴァルストリア帝国の猛将バレリアであった。
身の丈二メートルを超える巨躯。
その手に握る戦斧は、普通の騎士の盾ごと胴を断ち割る化け物じみた威力を誇る。
そしてなにより、彼女の率いる「黒鉄鎖騎士団」は、突撃のたびに大地を震わせる鉄壁の突進で、すべてを踏み潰してきた。
「まさか、お前たちが来てくれるとはな……レオン」
やせ細り、疲労を隠せないジェスランは、それでも深々と頭を下げた。
俺は馬から降り、彼の肩を力強く掴む。
「よく三百も守り切った。あとは俺に任せろ、ジェスラン将軍」
ジェスランは苦笑しながら、遠くで焚火を囲む巨大な兵影…… バレリア軍を睨む。
「だが……あれを倒すのは容易ではないぞ」
その一言は、敗北を重ねた将ゆえの重みを帯びていた。
その時、精霊族の少女カリンが俺の袖を引く。
「レオン、わたしの言うこと、信じてほしいの」
カリンは青い瞳を夜空に向け、静かに告げた。
「三日待てば……大雨が降る。必ず」
カリンは晴天を見つめる。
「雨……?」
俺も晴天を見上げる。
とてとあと数日後には雨が降るとは思えない冬の青空だ。
「うむ。わたしの精霊たちが告げてわ。三日目の夜明け、大地がぬかるみに変わるほどの豪雨が来るの」
俺は数秒だけ考えた。
圧倒的な突撃を誇る重装騎兵は、ぬかるみを前にすればただの重い鉄の塊となる。
確かに、それは勝機となるだろう。
そして俺たちはほとんどがスピード重視の軽装騎兵だ。泥沼などそれほど気にすることはない。
だが三日とカリンは言った。
待てば、ジェスランの三百騎はもう保たぬかもしれない。だが、ここで勝負を焦ればバレリアに蹂躙される。
俺は決断した。
「三日間、徹底して逃げる。バレリアを怒らせ、追わせろ」
俺ベアトリスら諸将を見る。
「えっ……逃げるのですか?」
エリスが意外そうな顔をする。
「レオン殿は本気か?」
と兵士たちの声が漏れる。
俺は頷いた。
「勝つためだ。耐えてくれ」
俺は兵士たちにそう言った。
一日目。
俺たちの軍は丘を越え森を抜けながら、ひたすらバレリア率いる黒鉄鎖騎士団をかわし続けた。
「卑怯者がああああっ!!」
「逃げるくらいなら最初から戦場に来るなああ!!」
黒鉄鎖の甲冑をきしませながら、バレリアは怒り狂って追撃を続ける。
追い付かれればそれはすなわち死だ。
しかし追わせねばならない。
俺の判断は、生き残るための冷徹な賭けだった。
二日目。
雨の気配はまだなく、バレリアの猛追はさらに苛烈となった。
「レオン様ぁ! バレリア軍が近い!」
エリスが叫ぶ。
殺気をはらんだ黒鉄鎖騎士団が目の前にせまる。
「全隊、散開して側面に逃げろ!! 接触は避けろ!!」
俺たちは逃げる。逃げて、逃げて、どこまでも逃げる。砂煙をあげて逃げる俺たちの軍に、バレリアの罵声が轟く。
「なぜだ!? なぜ逃げる!? 戦えええ!!」
その豪声は山々に木霊した。
ジェスランの部下たちは、屈辱に歯を食いしばりながらもレオンの指示に従った。
「……耐えろ。あと一日だ」
俺は自分にも言い聞かせるように呟いた。
三日目の夜明け。
湿った風が吹き、空は鉛色の雲で覆われていた。
「来る……もうすぐよ」
カリンがつぶやいた直後、空が裂けるような雷鳴が響き渡った。
豪雨だった。
それは地面をあっという間に濁流に変え、足元を奪うほどの激しさだった。
「全軍、反転する!! 今こそ攻めるぞ!!」
俺の声が雷雨に負けじと響く。
これも幸運の女神ティアラの導きか。
あの時カリンを助けなければ、俺たちはバレリアの黒鉄鎖騎士団に虐殺されていただろう。
バレリア軍は重装鎧ゆえに泥沼に沈み、馬は足を取られ進めない。
「ぬ……ぬかるみが……!」
「動けん!?」
「馬が倒れるぞ!」
黒鉄鎖騎士団の強みである突進力は完全に奪われた。
そこへ、雷鳴とともに戦斧を振り上げたバレリアが吠える。
「たとえ泥でも……私ひとりで貴様らを潰す!!」
その巨躯は泥を跳ね上げながら俺に向かって、突進する。
しかし無理な踏み込みのせいで足元が滑った。
「今だッ!」
俺は雷光を背に斬り込んだ。
その瞬間。
天が割れた。
バレリアの頭上に、白々とした閃光が直撃した。
「ぐッ……ぁぁあああああッ!!」
雷撃に全身を貫かれ、巨躯が泥へ崩れ落ちる。
蒸気が立ち上がり、戦斧が泥に突き刺さった音だけが響いた。
俺は駆け寄り、彼女の息を確かめる。
「……生きている。捕縛しろ」
俺はバレリアの生命力に驚愕と恐怖を覚えた。
瀕死のバレリアを抱えながら、俺は深く息を吐いた。
「これで……西部は守られた」
豪雨は雷鳴とともに戦場を洗い流し、勝利の時を告げるかのように降り続いていた。




