第十九話 白き審問会の影
南方辺境伯の任を受けた俺は、王都での式典を終えるとすぐにクシャーン城へ戻ることを決めた。
アナスタシアは王都の客館に滞在することが決まった。クラリスやセシリアは名残惜しそうに俺を見送ってくれた。
もっと力をつけて彼女らをあの不幸な未来からすくってみせる。そう俺は心に誓った。
初夏の蒼い空の下、俺はベアトリス率いる軽騎兵隊、精霊族のカリン、ヴィクト、エリス、そしてダリアと共に南へと街道を進んでいた。
南方の風は湿り気を帯び、遠くからは大森林の香りが流れてくる。
故郷へ帰るような、そして新たな戦場に踏み込むような、不思議な気配を俺は感じていた。
「レオン、クシャーン城はどうなってるかしらね」
馬を並べたダリアが、陽光を受ける薄茶の髪を揺らしながら言った。
「ベクトルとアラミスがいる。心配はないさ。それに……南方は俺の領地になった」
「ふふ、辺境伯様の言うことは違うわね」
茶化しながらもダリアの瞳には誇らしさが宿っていた。
その時だった。
街道の先から、甲冑のきしむ音と鋭い金属音が響いてきた。
「戦闘なのか?」
ヴィクトが手をかざし、耳を澄ませる。
「追撃だ。誰かが狙われている」
エリスが遠くを見る。エリスは視力が抜群に良い。
俺たちがまだ見えないものをエリスは見ているのだろう。
俺たちはすぐさま馬首を返し、音のする方向へ疾走した。
街道脇の林に飛び込むと、そこには数名の黒装束の暗殺者が、一人の女騎士を囲んでいた。
女騎士の鎧は深い青。金糸の紋章が胸に刻まれ、その白銀の髪が乱れている。
傷だらけでありながら、その剣はなお敵の攻撃を払い続けていた。
「援護する!!」
俺は剣を抜き、馬から飛び降りる。
エリスとヴィクトも続く。
俺の一撃は黒装束の短剣を弾き飛ばし、ヴィクトの短弓が敵の肩を射貫く。
その隙にエリスは影のような動きで背後に回り、暗殺者の一人を倒した。
たちまち戦局は逆転する。
追い詰められた暗殺者たちは音もなく退却し、森の奥へ消えていった。
「大丈夫か?」
俺が手を差し出すと、女騎士は苦しげな呼吸を整えながら答えた。
「ええ……助かりました。感謝します」
その姿は気品があり、鋼のような意志を秘めていた。
俺はその紋章に気づく。
「その紋章……フェルゼン公国のものか」
「ご存じでしたか。私はフェルゼン公国公女、イザベラ・フェルゼンと申します」
名乗った瞬間、その場に緊張が走った。
フェルゼン公国――七女神の信仰が薄く、多神教を認める独自の宗教観を持つ国家である。
だからこそ、白き審問会に狙われる。
「追ってきたあの暗殺者たち……まさか」
俺が問うと、イザベラは険しい表情で頷いた。
「はい。神聖連邦ヴァルストリアの異端審問官。白き審問会です。私は七女神以外の神を敬う罪で、粛清の対象となりました」
その言葉を聞いた瞬間、エリスの身体が震えた。
顔色が失われ、呼吸が浅くなる。
「エリス? どうした?」
俺が肩に触れると、エリスは青ざめたまま答えた。
「……白き審問会……わたしを……暗殺者にしたのは……あの組織……」
ダリアが驚きの声を上げた。
「えっ、エリスを? あの人たちが?」
エリスの瞳が、遠くの闇を見つめるように揺れている。
「幼い頃に連れていかれた……。洗脳され、殺しの技を叩き込まれ、罪人を正すという名目で……人を殺す機械にされたの……」
エリスの声は震え、今にも崩れ落ちそうだった。
俺はそっと彼女の手を握った。
「もう大丈夫だ。お前は今、俺の仲間だ」
エリスは唇を噛み、静かに頷いた。
イザベラはその光景を見つめ、胸に手を当てた。
「白き審問会は恐ろしい組織です。七女神の名のもとに、異端と決めつけた者を容赦なく排除する。わたくしの国の民すら、標的となりつつあります」
レオンは深く息を吸い、森の匂いを感じた。
「……つまり、ヴァルストリアはフェルゼン公国まで動かし始めたということか」
「はい。このままでは、公国は飲み込まれるでしょう」
重苦しい沈黙が訪れる。
だが、俺は剣を腰に戻し、イザベラへと向き直った。
「イザベラ公女。俺たちはクシャーン城に戻るところだ。よければ一緒に来るといい」
「よろしいのですか? わたくしを匿えば、ヴァルストリアに目をつけられます」
「そんなもの、今さらだ」
俺は笑みを浮かべた。
「俺は女神ティアラの加護を持つ異端だからな」
イザベラの目が驚きに見開かれ、そしてふっと笑った。
「……奇妙な縁ですね。では、お言葉に甘えましょう」
こうして――
俺は新たな客人、イザベラ公女を迎え入れることになった。
南方へ向かう街道は、さらに険しさを増し、白き審問会の影は静かに迫っていた。
しかし俺の背にあるのは、女神の幸運と仲間たちの絆だ。
俺はただ前を見た。歩みを止めるわけにはいかない。。




