第十七話 宝石姫の密約
大森林を抜け、朝の光が木々の間から差し込むころ、俺たちは森の宿営地へと戻ってきた。
風に揺れる旗には、南方国境軍の象徴である双剣の紋章。捕虜となったアナスタシア王女は、その旗の下で静かに馬から降りた。
黄金の親衛隊をはもうない。今は旅塵をかぶりながらも、アナスタシア王女はその気高さだけは微塵も失われていなかった。
周囲の兵たちはざわついた。
「まさか、あれがガルドリアの王女だと?」
「信じられん。あのレオン千騎長が、敵の王女を捕らえたのか……」
その噂は瞬く間に宿営地全体へと広がった。
俺はアナスタシアを自らの天幕に案内した。
夜明けとはいえ、まだ天幕内は暗い。ランプの灯が柔らかく揺れる中、アナスタシアはダリアが淹れた紅茶を受け取りながら静かに微笑んだ。
「森の暮らしというのも、悪くはないわね。風が清らか」
ふふっとアナスタシアは微笑を浮かべる。
「捕虜の身で随分と余裕だな」
俺が苦笑を交えて言うと、アナスタシア王女は肩をすくめた。
「私は戦場が好きではないの。むしろ、あなたに捕まって清々しているわ」
「どういう意味だ?」
アナスタシアはカップを置き、真剣な眼差しで俺を見た。
「私は、グランハイト帝国の皇太子アルベルトと婚約しているの」
「帝国の、皇太子?」
「ええ。かの獅子皇子の異名を持つ男よ。戦争を遊戯のように楽しみ、敵将を捕らえては見せ物にする冷血漢。彼と結婚すれば、私はガルドリアを帝国の属国として差し出すことになるわ」
俺は黙って聞いていた。アナスタシア王女は淡々と続ける。
「そんな運命を変えたかった。でも、国の意志に逆らえば反逆者として処刑される。だから、あなたに捕まることを選んだのよ、幸運の騎士様……」
その言葉に、エリスとヴィクトが目を見交わす。
「最初から、捕まるつもりだったってことか?」
ヴィクトは訝しげに言う。
「ええ。あなた方が私を襲うとわかったとき、逃げる気はなかった。むしろあなたが来ることを祈っていたの」
アナスタシアはゆっくり立ち上がり、俺の前に進み出た。
「レオン・アレスター。帝国の暴牛バランを倒した騎士。あなたなら、この南方の混乱を終わらせることができる」
アナスタシア王女の瞳がまっすぐに光る。
「私をエルヴァリア王国の王都まで連れて行きなさい。そして、私が捕虜となったことを公にするの。そうすればガルドリア王国軍は撤退するわ。父王は私を人質にして戦を続けることはできない」
俺はしばらく沈黙し、低く問う。
「それで、帝国との婚約は?」
「破談になるでしょう。私が捕虜の身となれば、皇太子アルベルトも手を引かざるを得ない。帝国にとって価値を失った婚約者に興味はないもの」
その計算の深さに、ヴィクトが苦笑した。
「とんでもねえ王女さまだ」
アナスタシアは唇に指をあてて微笑む。
「褒め言葉として受け取っておくわ」
俺は彼女を見つめた。
「いいだろう。約束しよう。あんたを王都へ連れてく」
「では、そのかわりに」
アナスタシアは手を差し出す。
「ガルドリア王国軍を撤退させる。私の身が無事である限り、兵たちは剣を収めると誓うわ」
そのアナスタシアの手を、俺はしばらく見つめてから、力強く握り返した。
「交渉成立だ、王女殿下」
翌日。
俺が率いる千騎は、国境の城クシャーンに向けて進軍していた。
背後には、ガルドリア軍が退却を始めた報せが届く。
「本当に王女の言葉どおりだな」
ベアトリスが呟くと、ヴィクトが笑った。
「たまには貴族の約束も信じられるもんだ」
俺は無言で頷く。
クシャーン城の城門前に立つと、待ち受けていたのは裏切り者であるゴードン辺境伯と、二人の千騎長だった。
「まさか生きてかえって来るとは……」
辺境伯は笑顔を作るが、その背後の兵たちはガルドリア訛りの声を交わしていた。
ヴィクトが小声で囁く。
「やっぱり、奴らグルだな」
レオンは静かに馬から降りる。
「辺境伯殿。国家反逆の罪であなたを拘束する」
「な、何を言うか!」
ゴードンの叫びより早く、俺の剣が抜かれる。
ベクトルとアラミスが同時に動いた。
「裏切り者ども、覚悟しろ!」
瞬く間に城門前は混乱に包まれる。しかし、兵たちは次々と俺たちに寝返っていった。
「俺たちはレオン千騎長に従う!」
「ゴードンはガルドリアに通じていた裏切り者だ!」
城門が開き、短い戦いのあと、ゴードン辺境伯とその仲間たちは、拘束された。
俺は剣を収め、深く息をついた。
「終わったな」
アナスタシアが馬上から俺を見下ろし、静かに言った。
「あなた、本当に……幸運の騎士なのね」
俺は振り返り、わずかに笑みを浮かべた。
「幸運かどうかは、まだ分からない。だが、この出会いが、戦の転機になることは確かだ」
こうして、ガルドリアとの戦は一時の終結を見た。
しかし、アナスタシア王女の微笑みの裏に隠された真意を、俺たちの誰も知らなかった。




