第十五話 裏切りの森
南方に夏の風が吹きはじめた。
湿った空気が肌にまとわりつき、蝉にも似た魔虫の声が森に響く。
俺が南方駐屯地を治めてから、すでに三ヶ月が過ぎた。
反抗的だった部下ベクトル、アラミス、ベアトリスも、いまではすっかり俺の信頼できる仲間となっていた。
ヴィクトは偵察を、エリスは暗殺対策を、ダリアは兵站をになっている。
それぞれが自分の役割を果たし、南境の守備は安定していた。
だが、その平穏は、ある報告で終わりを告げた。
「南のガルドリア王国軍が、国境を越えた!!」
報告を持ち込んだ伝令の顔は真っ青だった。
ガルドリア王国。
帝国とも連なる強国であり、常にエルヴェリア王国の南方を脅かしている宿敵だ。
今回は五千ではない、一万の軍勢が国境の鉄盾の街道を北上しているという。
報告を聞いた俺はすぐに指揮官会議に出席した。
クシャーン城の一室にゴードン辺境伯、グラン千騎長、ゲルド千騎長が集まる。
「レオン千騎長。お前の部隊に先陣を任せる。鉄盾の街道にてガルドリア軍の進軍を押さえよ。我らは後続として出立する」
――先陣。
それは名誉であり、同時に最も危険な任務でもあった。
命令をうけた俺は兵舎に戻る。すぐにクシャーン城を出て、ガルドリア王国軍を迎え討たないといけない。
「レオン千騎長殿、どうやら本格的な戦が始まりそうだな」
副長ベクトルが言う。
「ふん、こっちは千しかいねぇのに、一万の軍勢を抑えろってのか?」
アラミスが舌打ちする。
それでも俺は迷わなかった。
「やるしかない。ここで退けば、王国の南門が破られる」
そう言って立ち上がる俺に、仲間たちは無言で頷いた。
出発の準備を整えたころ、ヴィクトとエリスが不穏な報告を持ってきた。
「旦那、ダリア嬢も連れて行け」
出撃準備を整えたヴィクトが俺にそう進言する。
「は? 後方勤務の彼女を戦場に?」
俺はヴィクトを見る。
その顔は真剣だ。
いつも軽口をたたいているヴィクトの顔ではない。
ヴィクトの言葉にエリスも同じ事を言う。
「クシャーン城にいるよりレオン様のところにいるほうがダリア嬢は安全です」
エリスがヴィクトのことばにそう付け足す。
二人の表情は真剣そのものだった。
「ゴードンの周りに、ガルドリア訛りの男たちがいた。どう考えても怪しい」
ヴィクトは俺にそう言った。
俺は息をのむ。
「……つまり、辺境伯が」
ガルドリア王国に寝返ったのかという言葉を飲みこんだ。
「寝返る可能性がある。そんなところにダリア嬢を置いておけないだろう、レオンの旦那」
ヴィクトは言った。
俺はしばし沈黙し、頷いた。
「分かった。ダリアも連れて行く」
俺はそう結団した。
こうして、南方国境守備軍千騎長である俺が率いる千人の部隊は、ガルドリア王国軍を迎え撃つため大森林へと進軍した。
森は湿り気を帯び、霧が立ち込めていた。
進軍は慎重を極め、兵たちはほとんど息を潜めて進んだ。
ダリアは馬上から辺りを見渡しながらつぶやいた。
「この道……まるで、誰かに導かれてるみたい」
「導かれてる?」
俺はダリアの皮顔を見る。
「ええ。獣の気配がまるでない。不自然よ」
俺が返事をするより早く、前方を偵察していたヴィクトが駆け戻ってきた。
「旦那!!奇妙なことが起きてます!!」
ヴィクトは肩で息をしている。
「どうした?」
俺はヴィクトに確認する。
「街道を南へ進むガルドリア軍が……まっすぐクシャーン城へ入っていった」
ヴィクトの予想があたったということだ。
ヴィクトの言葉にベクトルが眉をひそめる。
「待てよヴィクト、ということはゴードン辺境伯は……」
ベクトルはごくりと唾を飲み込む。
しかし、現実は残酷だった。
「旗を見た。ゴードン辺境伯の梟の旗とガルドリアの赤獅子と並んで掲げられてたんだ」
ヴィクトの言葉に一瞬、誰も言葉を発せなかった。
静寂を破ったのは、エリスの冷ややかな声だった。
「つまりというかやはり、領主殿が裏切ったということね」
俺は強く拳を握りしめる。
「他の千騎長たちは?」
俺はヴィクトに問う。
「……どうやら二人とも、同じく寝返ったようです」
ヴィクトはたんたんと事実だけを言う。元盗賊のヴィクトは現実主義者だ。彼の言葉に楽観的なものは入らない。
森の木々がざわめいたように感じた。
千の兵を率いて森の奥に進んだ俺の部隊は、いまや帰る城を失った。完全な孤立部隊となったのだ。
夜。焚き火の前で、兵士たちは不安の表情を浮かべていた。
「どうする、レオン千騎長。これじゃ包囲されるのも時間の問題だ」
アラミスの声は沈んでいる。
だがレ俺は静かに立ち上がり、火の光を背に皆を見渡した。
「聞け。我々は裏切られた。だが、だからこそ生き延びる。この森を越え、南方を奪い返す。敵は一万だが、俺たちには千の勇士がいる」
ベアトリスが口を開く。
「それに、精霊族のカリンがいるわ」
焚き火の向こうでカリンが頷いた。
「森そのものが、レオンに味方します」
俺は微笑んだ。
「そうだな。女神ティアラの加護がある限り、運命は俺たちの側にある」
その夜、俺の部隊は生き残るための進軍を開始した。
この時は誰も知らなかった。この進軍が、やがて南方戦線の伝説千騎の奇跡と呼ばれることになるとは。
翌朝。
霧の立ちこめる森の中、俺は剣を握り締めながら小さくつぶやいた。
「ティアラ……俺はまた、試されるのか」
その時、女神ティアラの声が風に乗って響いた。
「レオン。幸運は、信じる者にこそ微笑むのです」
俺の背後には、仲間たちがいた。
ヴィクト、エリス、ダリア、ベクトル、アラミス、ベアトリス、そしてカリン。
それぞれが俺の背中を見つめていた。
俺は静かに剣を掲げた。
「行くぞ。裏切りの森を抜け、生き延びるんだ!」
その声が木霊し、森の鳥たちが一斉に飛び立った。




