第3話 最低最悪の婚約者に倍返しですわ!!
前世では流行る病に恐れをなして、民と私を見捨てたクソ夫。
今世では、そんな彼との婚約を反故したい。
さて、どうやってハインツを退けましょうか?
先程ぶたれた頬の痛みと怒りを抑え、ハインツの前でかしこまる私は屋敷の床を眺めながら思考を巡らせます。
すると、未来を知らないハインツは私を見下しながら、父に向けて軽蔑の言葉を投げつけます。
「ハッ、歴史あるハーヴェイ家も落ちたものですね。娘のしつけがなっていない」
随分と煽ってくれますわね、コイツは。
腹が立ちますが、ハインツは隣国の王族なので下手に喧嘩をふっかければ外交軋轢の火種になりかねませんわ。
ここは我慢ですわ、我慢。
それはお父様も同じ気持ちなのでしょう。表情こそ、へりくだるような笑みを浮かべていますが、握り拳を作った手の甲の血管が破裂しそうなくらいに浮き出ています。
しかし、ハインツにとって不快な要素はそれだけではなかったのでしょう。
私の隣で同じくひざまずくレニを一瞥すると、獣耳を鷲掴み、怒鳴り散らします。
「貴様はなぜ、ひざまづいているっ!! 獣人は地を這いつくばっていろ!!」
そう告げながら、レニの頭を無理やり地面へつけさせて、ひれ伏せさせます。
そして、ハインツは立ち上がると、レニの頭に足を乗せて踏みつけます。
「この汚れた血め。殺されないだけでもマシに思え」
「申し訳ございません」
「許可なく口を開くな、この下賤がっ!!」
そんな耳がつんざくような大声をハインツは発しながら、靴底で無遠慮にレニの頭を押し込んでいきます。
コイツ、私に手を上げるならまだしも、レニまでっ!!
ハインツの行き過ぎた暴力に、私は先ほど叩かれた頬に残る痛みが次第に熱を持ち、怒りの波となって全身を駆け巡っていきます。
しかし、その憤怒の感情は顔に出ていたのか、レニは横目で私を睨みつけながら瞳だけで訴えてきます。
私は大丈夫です……と。
その瞳を見て、私は歯を食いしばりながら、握りしめた拳を緩め、ひたすらに感情を押し殺します。
ああ、王族や貴族の血を重んじる価値観は本当にクソッたれですわ。
いわゆる差別的な概念と言えばよいのでしょうか。この国には、とある口伝によって継承されてきた教えがございます。
それは、人とは他の生物と異なり、神を称え、布教する生物として高度な知能を与えられたという話です。
そこまでなら良いのですが、その人類の中でも上に立ち統治する貴族や王族はより高貴な身分だという解釈が一部にあるのです。
それゆえ、一部の上級身分の者は血筋というものを強く尊重している節があります。
そんな考えが根付いているせいか、獣人を含む亜人種は獣や家畜の血が混ざった人以下の存在だと差別する者も居るのです。
そして、私の瞳に焼き付く光景は、まさに差別意識を象徴したような絵面ですわ。
王族の男が獣人の女性を踏みつける。そんな光景に、私の腹底に漂う怒りは沸々と煮だっていく感覚を覚えます。
「(人だから、亜人だから、それがなんですの? 教えがなんだ、身分がなんだ!!)」
思い出しなさい!! 自由に生きると決めたのでしょう!?
前世で私はハーヴェイ家を存続させるのを優先しましたわ。
なぜなら、父を尊敬していたからです。
父はハーヴェイ家の当主としてではなく、1人の父として母の身体を守るのを優先しました。
亜人に対する差別意識もなく、獣人であるレニも使用人と同じ立場で受け入れてくれました。
他所の貴族からは変人と言われようが関係ない。女だとか、亜人だとか、そういった区別をしない型破りな父を私は尊敬していました。
その恩義として、私は自身の感情を押し殺し、ハーヴェイ家の領地を存続させるために政略結婚の道具となるのを受け入れましたわ。
でも、今だからこそ、未来を知っているからこそ、はっきりと言えますわ。
このハインツと結婚しても、父が、ご先祖様が代々守り抜いて継承してきたハーヴェイ家の意思は守られないと。
疫病が流行り、領地は呆気なく放棄され、私は民と共に死んでいく運命なのだと。
でしたら、私がすべきなのは頭を垂れて、差別を見過ごし、黙って耐え忍ぶ行為ではありません。
差別意識が蔓延する貴族社会の女として生き抜くのなら、ここで歯を食いしばって我慢するのは間違いです。
全てを守るのなら、正面から立ち向かうべきですわ!!
そう決意した私は水底に沈めたはずの怒りを再びすくい上げ、父へと瞳だけで意思を伝えます。
『コイツの尊厳、ぶっ壊していいですわよね?』っと。
すると、父は私の気持ちを汲み取ってくださったのでしょう。
一瞬の間を置いてから、深く静かに頷き、『責任は全てワシが引き受ける』と声なき言葉を投げかけてくださいます。
「ありがとうございますわ、お父様」
了承を得た私は、ゆっくりと、まるで時間を引き延ばすかのように立ち上がります。
その動きがハインツの逆鱗に触れたのでしょう。彼はレニに乗せた足をどかし、私へと怒りを滲ませた声を張り上げます。
「おい、貴様ッ!! 誰が立ち上がるのを許可した!?」
そう叫ぶやいなや、ハインツは右手を勢いよく振り上げ、平手打ちの構えを取ります。
はぁ、前世の私はよく、こんな暴力でしか人を制圧できない男と結婚できましたわね。
そんな自分自身に呆れつつ、私は振り上がったハインツの右腕を咄嗟に掴み、暴力を阻止します。
「ハインツ様。些か、目に余る行動が多すぎますわ」
「何を言っている貴様。この行動、我が国……プロイレンへの侮辱行為とみなすぞ」
「その理屈を通すようであれば、それは貴方様も同じではないですか、ハインツ・プロイレン様?」
「何を!?」
「ここはオーバードルフ国の王より譲り受けた領地。すなわち、ここに生きる全ての民は王の加護を受ける義務がありますわ。その民に手を出すという行為は、我が国の王を侮辱するのと等しい行いになりますわ」
そして、一息、間を置いた後、私はニッコリと笑みを浮かべながら煽ります。
「それとも、もう一度、力で行使をなさいますか? よもや聡明なプロイレン家の次男様が、私のような貴族の小娘の言葉を理解出来ないなんて……そこまで獣のような低俗な知能ではございませんわよね?」
その私の言葉により、ハインツは怒りに顔を歪ませながらも、右手に込めた力が弱くなっていきます。
流石に隣国の第二王子とはいえども、現国王の名を出されては喧嘩をふっかける行為は自重せざるをえないでしょう。
なにより、これで私に手を出せば、「自分は獣と同じくらいにお馬鹿さんです」と、宣言するようなものですし。
プライドだけが高いクソ夫には、結局これが一番よく効きますわね。
すると、父上が無精髭を撫でながら会話へと入ってきます。
「ハインツ・プロイレン殿。此度は矛を収めてくださらないか。これ以上の暴行を続けるならば、貴国に居るハインツ殿の兄上にも報告することも考えねばなりませぬしな」
「くっ」
その父の言葉が決め手になったのでしょう。ハインツは掴まれた右手を乱雑に振りほどきます。
やれやれ、なんとか落ち着きましたわね。
ハインツがあと一発でも手を下すようでしたら、私も物理的な報復をせざるをえないところでしたし。
とりあえず、この場は収まりましたけれど、ハインツ自身は納得ができないでしょう。
見下していた女に言いくるめられて、プライドが傷ついたのですから。
まあ、お得意の暴力が封印されてしまった以上、コイツにできるのは尻尾を巻いて逃げるだけですけどね。
「興が冷めた。帰らせてもらう」
と、ハインツは策が回らなかったのか、食堂扉へと向かい、屋敷から出ようとします。
これにて一件落着ですわ。……なんて言いたいですけれど、最重要案件を忘れていましたわ。
ふと思い出した私はハインツを呼び止めます。
「ハインツ様。お伺いしたいのですが、何故、王族の貴方がハーヴェイ家の屋敷へと訪れていたのですか?」
「ハッ、それはハーヴェイ殿から頼まれて、貴様との縁談について話を進めるためだ。しかし、お前みたいな分を弁えない女など願い下げだ」
それはありがたい話ですわね。
私としてもハインツとの婚約は避けたかったですし。
その彼から破談を持ちかけてくださるなんて、話が早くて助かりますわ。
「あら、そういうお話でしたのね。こちらも先ほどの件で無礼を働いてしまいましたので、婚約の件は遠慮させていただきますわ」
それと、もう1つだけやり残しがありましたわ。
レニの頭を踏みつけた件についても報復をしておかないと。
私は淑女のようにそっと右手を口元へ当てながら上品に笑い、ハインツへと最後の言葉を届けます。
「それにしても、ハインツ様は取るに足らない貴族の女と獣人を相手に、感情を荒げて真剣に向き合っていただける殿方とは存じませんでした。やはり強者の余裕というのは簡単には真似できないですわね~」
と、鼻息を漏らしながら冷笑してみせます。
そんな、『貴方は暴力しか脳がないお馬鹿さん』と遠回しに言われ、ハインツは赤い髪色と同じく怒りで顔を真っ赤にさせます。
「顔を覚えたからな、ルイゼ・ハーヴェイ!!」
彼は負け惜しみの言葉を残し、八つ当たり気味に扉を蹴り飛ばすと屋敷から出ていってしまいました。
そういえば、初めて名前で呼ばれましたわね。全然、嬉しくないですけど。
そんなハインツの姿を見送った後、私はすぐさま倒れるレニを抱きかかえます。
「レニ、大丈夫ですか?」
「ルイゼお嬢様こそ、どうして私などを守ってくださったのですか? 私のせいで縁談の話が反故になってしまいました」
「聞かなくても分かるのではなくて? 7年も私に仕えていたのなら、心を読むくらい造作もないでしょう」
そんな私の言葉を聞き、レニは目を一度だけ大きく見開いた後、耳を垂れさせながらため息を漏らします。
「”あんなクソッたれな男、こっちから願い下げですわ”……でしょう?」
「大正解ですわ」
私はレニを見つめながら白い歯を輝かせるように柔らかく笑います。
すると、レニは肩を脱力させ、目を伏せながら「ルイゼお嬢様には結婚は程遠いお話でしたね……」と、苦笑混じりにため息を吐き出します。
ひとまず、結婚については、しばらく考えなくて済みそうですわね。
しかし、問題は全て解決していません。
私は5年後に訪れる疫病の根源を一掃する必要があるのですから。
ここまで派手に王族へ啖呵を切ってしまった手前、責任を取らないといけませんわ。
私はレニを椅子へ座らせると、父へと向けて深々と頭を下げます。
「お父様、申し訳ございませんわ。ハーヴェイ家を存続させるために色々と準備を進めてくださったのに、台無しにしてしまいました」
すると、お父様はお腹を抱え、大口を開けて笑い声を響かせます。
「ハッハッハッハッ!! 気にする必要はないぞ、ルイゼ。むしろ、ハインツを言いくるめてくれてスッキリしたくらいだ」
そして、私の頭にゴツゴツとした手を乗せて、髪が乱れるくらい乱雑に撫でてくれます。
「謝るのはワシの方だ。ワシはハーヴェイ家の立場を考え、争いの火種になるのを恐れてハインツに反発しなかった。守ってやれなくてすまなかったルイゼ。そして、立ち向かってくれて、ありがとう。レニもすまなかったな。よく耐えてくれた」
「いえ、大主人様。私こそご迷惑をおかけいたしました」
そんな怯えるような声を発するレニに、父は肩に手を乗せて、優しく微笑みます。
貴族や王族の世界では未だに差別が残る。なのに、父は分け隔てなく全ての人に優しく接してくださる。
これが自身の信念を貫き通してきた父の偉大さなのですね。
そんなお父様の姿をみながら、改めて強く思います。
私は父の意思を継いでいきたいですわ。
この当たり前のようにある差別の常識を覆していきたい。
自由に生きると決めたのですから。
私は改めて父に向けて頭を下げ、懇願致します。
「お父様、お願いがございます。私に領地を統治する仕事を教えて頂けませんか?」
ハーヴェイ家が代々、受け継いできた領地と意思を私自身が引き継ぎたいという想いは増幅いたしました。
それに、領地の衛生管理を行い、街中のウンコを除去する大規模な計画もあります。
それを、なし得る為には、人もお金も必要になります。
婚約の手段が潰えた以上、私が取れる手段は父の仕事を手伝い、政治的な介入をする方法しかございません。
それに、女が領地運営に口出ししてはいけないなんて法律はございませんからね。
すると、父は顎に残るヒゲの剃り残しを撫でながら、返事をしてくださいます。
「ああ、いいぞ」
「え!? そんな簡単に了承して良いのでしょうか。女が政治に介入したら他貴族からの反発もあるでしょうし」
「そんなん言ったら、ワシなんて男子の世継ぎを作らなかったり、亜人を街や屋敷に住まわせたりしてるからな。既に他貴族から白い目で見られておるわ、ガッハッハ!!」
「は、はぁ……なるほど」
つい数秒前における、私の覚悟はなんだったのでしょうか?
あまりの呆気ない了承に肩透かしを食らっていると、父は片手をブンブンと振りながら笑い声のトーンを落としていきます。
「それに元々、ルイゼには領主の仕事を任せようかと考えていたからな」
「そうだったのですね。では、早速、ご教示ご鞭撻のほどをお願いいたしますわ」
「何を言っているんだ? ワシは教えるなんて言ったつもりはないぞ?」
「へ?」
するとお父様は手をパンパンと叩くと、シワ1つないスーツを着こなした白髭白髪で細身な使用人が音もなく現れます。
「お呼びでしょうか、旦那様」
「例の物をルイゼに」
そんなお父様の命令を使用人は予測していたのでしょう。
何処からともなく、両手サイズほどのパンパンに膨らんだ革袋を取り出し、机の上に置きます。
重量感のある音を鳴らしましたけど、この袋の中身は一体?
そんな疑問が浮かび、私は首を傾げると、お父様が革袋を指さして答えてくれます。
「ルイゼ、この袋の中身は銀貨だ。1000万銀貨が入っている。お前にやる」
「ほぁっっ!? お父様、1000万といったら、税収の約1年分になります。何故、私にこのような大金を?」
「だから、さっきも言ったが、お前に仕事を任せると言ったんだよ。1000万銀貨は活動資金だ」
「え、え~~っと、うううん!?」
突如として託された大金とお父様の言動に理解が追いつきませんわ。
そんな頭を抱える私に対して、お父様は父としてではなくハーヴェイ家の当主として命令を下します。
「ルイゼ・ハーヴェイ。これから1年間、王より賜りし我が領地をお前が統治してみせよ!!」
「え、ええっと……はい?」
「返事はどうしたっ!?」
「はい、喜んで承りましたわ!!」
こうして、わけが分からぬまま、私は貴族初となる女領主としてハーヴェイ家を任されるのでした。
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