八話 穢れの時
「まったく、食い物を炭にするんじゃ、レミと変わらんだろ」
「はわわわ、イシスさん。火事を起こさないだけ、ヨシユキさんは料理上手です」
服を着て戻ってきたイシスは、肉が焦げた匂いに気づき、きつい口調で僕に言った。そしてレミは、フォローになっていない庇い方をしてくれた。
「まあ、パンと紅茶は無事だから、朝ごはんはこれで我慢するか」
「ではではヨシユキさん。ニカさんを起こしてきてくださいね。それまで朝食は、お・あ・ず・け、です」
僕はニカのテントの前に立ち、彼女に声を掛ける。
「ニカさん、朝ごはんできましたよ」
もし起きて来たら、まず正直に自分のミスを報告し、謝罪しようと思ったが。
ニカの返事はない。
「ご飯ですよ〜」
聞こえていないのかと、休日に起きてこない沙耶香さんを急かすように、声を張り上げる。
しかし返事はない。
「大丈夫です?」
あまりにも返事がないので、つい心配になって、入口の布を捲った瞬間。
ボフッ。
僕の顔面に、柔らかい感触がぶつかってきた。
この世界に転移してきた時に感じた、弾力のある柔らかさではない。もっとフニャッとした感触……
顔に当たった物を引き剥がし、確認すると、それは羽毛の枕だった。
ニカがつけている整髪料の匂いだろうか。枕からは柑橘系のいい香りがする。
しかし、いきなり枕を投げつけるのは、どういうことか?
修学旅行じゃあるまいし。枕を投げつけた理由を知りたくて、ベッドで横たわっているニカを見る。
「うるさいわ、聞こえとる」
彼女は不機嫌そうに僕を睨みつけた。
明らかに苛立っているニカ。
僕は何か、彼女の気に触ることをしたんだろうか。
確かに大声を出しはしたが、それは時間になっても起きてこない彼女が悪いはず。
ひょっとして、僕がスープを焦がしたことを、知っているというのか?
狼狽えている僕を見て、ニカは自分の行動が大人気ないと思ったのか、バツが悪そうに謝罪した。
「すまん、ヨシユキ。今のうちは『穢れの時』なんや。朝飯は先に食べてええから」
(穢れの時?)
「呪い」に次いで、よく意味のわからない言葉がまた出てきた。
穢れとか不浄と言えば、日本だと四十九日などの忌中がそれに当たるが、多分それとは違う。この世界独自の考え方、風習なんだろうか?
じゃあ、朝ごはんはどうすればいいのか気になったけど、目の前で辛そうにしているニカを見ていると、あまりあれこれ話しかけるのも悪い気がする。
とはいえ、体調が悪そうな彼女を放っては置けない。
「とりあえず、レミさんたちを呼んできます」
「おい、ヨシユキ。ニカ様は起きてこないのか?」
「えっと、ニカさんは『穢れの時』だそうで。先に食事を摂るようにと」
僕は食卓に戻って、二人にニカの様子を報告する。
「そうか、ニカ様は『穢れ」か」
「それは大変そうです。とりあえず、薬草だけでもお持ちしなければ」
二人はニカが起きてこないことへ、納得した様子を見せ、朝食もとらずにニカのテントへと向かう。
僕は意味もわからないまま、二人の後をついていった。
「ニカ様、大丈夫ですか?」
「はわわわ、ニカさん、薬草を持ってきました」
「大丈夫や、わざわざ来んでもええ」
二人はテントに入り、心配そうにニカに声をかける。
ニカはレミさんの申し出に対し、手を振って遠慮すると、そのまま毛布を被って横になった。
「ヨシユキ……枕とってくれ」
そして、入り口から様子を伺っていた僕に、入り口あたりに転がったままの羽毛枕の回収を頼む。
それは昨日の強気で快活な彼女とは違う、弱々しげな声だった。
かなり辛そうな様子だ。
「はい、枕。体調が悪いのに、大きな声で起こしてすみませんでした」
謝りながら枕を渡すと、ニカは少し考えた後、ポツリとつぶやいた。
「今のうちは穢れてるから、あんま話しかけん方がええ。けどな、ヨシユキ……イラついたとはいえ、いきなり枕なんか投げつけて……心配して来てくれて、ありがとな」
僕にひとこと謝罪すると、ニカはそのまま皆に背を向け、ベッドに横になった。
ニカのテントを出た僕は、朝食をとり始めた二人に話しかけた。
「ところで『穢れの時』って、なんですか?」
毛布にくるまっていたので、ニカの身体の光の流れは見えなかった。
あの光が見えれば、ニカの体調不良の原因を推測できたかもしれないが、流石に寝ている女性の布団を剥ぐわけにはいかない。
だけど、明らかに辛そうな様子。
ひょっとして彼女は、僕の知らない病気か何かだったのか?
「はわわわ、ヨシユキさん、異世界人とはいえ、少しデリカシーがありませんよ」
レミの思いがけない返事に、僕が戸惑っていると、イシスが苛立ったように言う。
「この世界の女はな、月の周期に合わせて、股ぐらから穢れた血が出るんだよ」
「イシスさん、せめて足の間とか、言い方が……」
その言葉を聞いて、僕は思わず声を上げる。
「えっ、血が!」
「そうなのです、それは私たち女性が持っている穢れを定期的に排泄して、神に愛される清い体を保つために必要なものなのです」
「まあ、男にはわからんことだ。首を突っ込むな」
えっと、それって……単なる……。
「けど、どうする。ニカ様の『穢れの時』が終わるのを待っていたら、城のバザーに間に合わないかもな」
そうなのだ。
僕たちはこのあと、近くにあるテスカ城で開催される大規模なバザーに参加するために、出立する予定だった。だがニカの体調不良で、出立を遅らせるとなると、最悪バザーへの参加の機会を無くしてしまう。
けど、そんなビジネスの話よりも、僕はニカさんの辛そうな様子が引っかかり続けた。
「しょうがないです。ニカさんが穢れている間は、私たちも見守るしかできません」
レミの言葉に僕は思わず声を荒らげ、立ち上がった。
「ニカさんは、穢れてなんかいません。これは僕がいた世界でも、女性に普通にある生理現象で……医学的に説明できることです」
この二人にそんなことを説明しても、どこまでわかってもらえるか。それに僕は、彼女たちに生理のメカニズムを知ってもらいたいわけでもない。
ただ「穢れ」という誤った考え方で、ニカさんが腫れ物扱いされている状況に、我慢ならなかった。
「あの赤いのが穢れか否か。住んでた世界によっては、見方はそれぞれかもな。だけどニカ様の体調が悪いのは事実だ」
「ヨシユキさん、私たちもニカさんを『穢れてる』なんて思ってないです。あの期間は頭痛や腰痛、腹痛が辛いのです。けど、あの状態に効果のある治癒魔法はないですし、せいぜい少し楽になる薬草があるぐらい。女の人は『神の試練』として受け入れるしかないのです」
「『穢れ』なんて言葉は、男の聖職者どもが勝手に考えた理屈だ。どのみち今の状況のニカ様を、馬車で揺らしていく訳にはいかんだろ」
また「神の試練」とやらか……
だけど幸い、二人ともニカのことを別に穢れていると考えているわけではない。むしろ女性なら誰にでも起こることなので、生理現象として冷静に捉えて入る。
ただ生理に伴う体調不良に対し、打つ手立てがないから、そっと見守っているだけだ。
「じゃあ……」
もしニカの体調不良が、月経からくるものなら、僕にはできることがある。
「レミさん、僕のさっきのスキル、ニカさんに試して見ていいですか」
その言葉に、先ほど僕のマッサージの効果を実感したレミさんは、目を輝かせた。
「僕のスキルなら、ニカさんの辛さを、和らげてあげれるかもしれない」
それが効果があれば、これからニカ商会でお世話になる上で、僕の存在価値を上げることにもつながるだろう。
だけどそれよりも僕は、この異世界で居場所を与えてくれた彼女のために、役に立ちたかった。