七話 レミの肩こり
「レミさんには、そう言った『呪い』はないんですか?」
僕はそれとなく彼女に聞いてみた。
「はてはて、治癒魔法で回復しなかった症状といえば」
その質問に、レミは顎に指を当て少し考え込む。
「そう言えば私、いつも肩のあたりが重痛いです。別に怪我をしたり呪いをかけられたりしたわけじゃないですし、イシスさんみたいに辛い痛みってほどでもないですけど、どうしてなんでしょうねぇ?」
レミが僕に肩の重さを訴えた瞬間、彼女の体の表面にも、あの光の糸が浮かんだ。
(やっぱり)
光の流れが見えたのは、彼女のうなじのあたり。
胸元が閉まったローブのせいで、それ以外の光の流れは見えない。
だがレミが、僕に体調のことを話した瞬間、体表に光が見えたのは事実。
「レミさん、少しローブをはだけてもらえませんか?」
「え、気が変わって、谷間を見たくなったんですか?」
その言葉を無視して、僕は後ろからローブの襟をひき、彼女の首の付け根を覗き込んだ。
すると僕の予想通り、肩の根元あたりで光の流れが弱く、首から肩にかけて暗くなっている。本当は、背中の辺りまで見たかったけど、これ以上、服をめくって肌を見るわけにはいけない。
レミの体表の光の流れは、彼女が肩こりを訴えるあたりで、薄暗くなっている。
やはり、この光の流れは人間の体調、もっと言えば気のようなエネルギーの流れを表しているのではないか。そしてそれは、本人が体の症状を訴えようとした時に、僕はみることができる。
レミは特に、心当たりがないのに、肩が凝っているという。
おそらく原因は、今もたわわと揺れる巨大な胸。
その塊は、ふかふかプルプルとしたマシュマロのような見た目とは異なり、実際はなかなかの質量を持っているのは、昨日僕の肩にのしかかった時の感触でわかる。
そんな重量物を二つも胸の前に抱えているんだ。
自然と重心は前のめりになり、そのバランスを取るために無意識に肩や首の筋肉は緊張する。
「レミさん。もしよかったら、肩を触らせてもらえますか?」
僕は仮説を検証するために、彼女の肩に触れる許可をもらおうとした。
「え、ヨシユキさん、見るだけでは満足できずに、私の体を触りたいのですか? それは少し気が早いというか。けどヨシユキさんのような優しくて紳士的に申し出てくれる方なら、私も……いいかなって」
と、少しモジモジしながら、頬を赤らめて見せる。
多分、いや絶対に何か勘違いしている。けど、今はその勘違いを訂正している暇もない。
(僕の特技が、この異世界でも通用するかもしれない)
はやる気持ちを抑えつつ、僕はレミの後ろに立ち、彼女の肩を親指で触れた。
その瞬間、僕の手に何か冷たく不快な感触が伝わる。
そして少し押してみると、圧を跳ね返すような硬い筋肉。
(これは見事な肩こりだ)
そう、彼女の肩はガチガチにこっていた。
「はわわわ、後ろからだなんて、緊張します。けど、その触り方、気持ちいいです」
「こう言う感じで触られるのは、初めてです? 例えば、治癒魔法を受ける時とかも」
「は、はい実は男の人に触られるのも初めてですし、治癒魔法では手をかざし祈りを捧げるますので」
「イシスもこんな感じで、触って治癒されたこともないかな」
「た、多分。そもそもこうやって触って治癒する方法自体、私は初めてです」
(やっぱり)
僕は確証した。
おそらくこの世界には、マッサージという概念がないんだろう。
他人を触るのは、癒しではなく……別の目的の時のため。
だからレミは僕が肩を触りたいと言っても、最初は施術だとは思わなかった。
神への祈りが奇跡を起こし、治癒魔法が発展した世界。
それ故に、治癒魔法で改善しない痛みや不調は、「悪魔の呪い」「神の試練」ということにされた。それを、祈り以外の手段で治癒させようとするのは、神への冒涜と考えられ、治らない症状は切り捨てられてきた。
そのせいでマッサージのような、触れることで人間の自然治癒力を引き出す技術は、発展しなかった。
人を治すのは、人の力でなく神の力、というわけか。
「じゃあ、レミさん。このまま肩を触ります」
レミは状況を理解してないが、僕を信用してくれているんだろう。
色白のうなじを真っ赤にして、小さく頷いた。
僕のこのマッサージ技術は、この世界で知られていないスキル。
(この技術があれば……)
僕は興奮する気持ちを抑えながら、レミの首の付け根を両手の平で優しく包み込んだ。
一瞬、レミの体に緊張が走るが、それもすぐに消えてなくなった。
彼女の肩の根元、僧帽筋と言われる肩の筋肉までは、ローブが邪魔して直接みることはできない。
(だけど感じる)
僕はゆっくりと、さするように手のひらを移動させると、確実に冷たい不快感の強弱がある。おそらくこの不快な部分が、光の流れが滞っている部分なんだろう。
「あふ……」
僕が肩を優しくさすると、レミはふうっと息を吐き出す。
(肩全体の流れは掴んだ。この後は筋肉のコリを直接ほぐす。それに効くのは……)
彼女の体からゆっくりと手の平を離していく。
だが親指だけは、彼女との接点を残しておく。
(指圧!)
彼女の筋肉の奥あるコリをほぐすためには、表面を撫でるマッサージよりも、奥深くまで圧を届かせる指圧が効果的だと、僕は判断した。
ぐぐっ。
筋肉の緊張を指で感じながら、ゆっくりと親指を方に押し込んでゆく。
狙うのは僧帽筋の下にある肩甲挙筋という筋肉。
肩甲骨と背骨を繋ぎ、常に腕の重さによるストレスを受けている部分だ。
「あん、すごい、奥の方から痺れるような感じが」
肩甲挙筋のコリに圧が届いた瞬間、レミは甘えたような声を出した。
「痛くはないですか?」
「そ、そんなこと。初めてなのに、気持ちいいです」
マッサージという概念がない世界、もちろん指圧を受けるのも初めてなんだろう。彼女はその気持ちよさに戸惑いながらも、僕に応えてくれる。
「痛かったら、遠慮せず言ってくださいね」
そのまま、僕の親指は彼女の腕の付け根を目指して、ftg移動していく。
そしてゆっくりと冷たく感じる場所を探し、指圧を加えてゆく。
その都度、少しずつ肩の緊張がほぐれて、あたたかい感触が僕の指に伝わってきた。
この世界では怪我や病気などは、聖職者による神への祈りの力、すなわち外部からの力でそれを修復する。だけど疲労や慢性痛などの、体の機能低下などに対しては効果は薄く、その対処は神の力の及ばぬものとして発達してこなかった。
だからこそ、マッサージのような体の自然治癒力を引き出す施術は、未知の存在。
本当は、もっと色々と試してみたかった。
経絡治療のように、離れた場所への刺激は、どう体全体に影響するのか。
改善するのは疲労や慢性痛などだけなのか。
果たしてマッサージでどこまで人の病気を治すことができるのか。こんな異世界に来たのに、ついマッサージのことで頭がいっぱいになった。
僕が他のことに気を取られている間も、レミはマッサージの心地よさを堪能していた。
「気持ちいい……のです」
僕に触られていた彼女が、せつなげな声を出しながら、指圧する僕の手の上にそっと自分の手を重ねた時……
ピーーー
マッサージ終了の時間を知らせるタイマーのように、火にかけたケトルがけたたましい高音を立てた。
紅茶を淹れるための、お湯がどうやら沸いたようだ。
その音で、僕は「マッサージ」ではなく、本来の仕事の「朝食当番」のことを思い出した。
そして鍋から微かに漂う、食べ物が焦げた匂い。
(しまった!)
僕は心の中で舌打ちする。
鍋を見ると、スープはぐつぐつと煮え、底に残った肉が焦げ始めている。
マッサージに夢中で、スープを火にかけたままだったことを、忘れていたのだ。
「朝食を……焦がしてしまった……」
その横で、レミはとろんとした表情で僕を褒めてくれた。
「ヨシユキさんのテクニック、すごかったです」
しかしそのレミの、少し方向のズレた褒め言葉は、僕の凹んだ心を癒してくれない。
ただ今は、スープを焦がしたことへの、ニカの叱責が怖かった。