五話 初めての夜
「夕飯の準備ができたぞ」
イシスの精悍な声が、テントの向こうから聞こえる。
洗濯物を畳み終えた後、僕は荷物運びに駆り出されていた。
ニカのテントの中に雑然と並べられた箱、その中身は教えてもらえなかったけど、明日のバザーで扱う商品が入っているらしい。
それを彼女の指示通り馬車に運んでいるうちに、日は暮れ夕飯の時間になった。
「もうそんな時間か」
慣れない力仕事で、身体中がバキバキになりながら、ようやく一息つけるのかとホッとする。
ニカ商会では、食事は屋外でとるらしい。
そのため、ニカたちが生活する三つのテントから少し離れたところに、コンロがありそこでイシスが夕飯を作っていた。
「僕のいた世界でも、こうやって屋外で食べるのは、ベーベキューって言って人気だったんですよ」
「屋外で料理したり食べたりするのは、昔一度テントの中で料理したらボヤが起きて……以来テントの中では、煮炊きは禁止に。ほら、大切な帳簿が燃えると大変ですから」
レミは気まずそうに答えてくれた。
なんとなく……ボヤを起こしたのは彼女のような気がするが、それ以上は追求しないでおこう。
「さてヨシユキ、メシの時間や。しっかり食って、明日も働け」
「さあ、ヨシユキさんも一緒に食べにいきましょう」
「えっ、一緒に食事していいんですか」
ちょっと意外だった。
僕のここでの扱いは、使い走り。
げんに、今でもニカはまるで機械に命令するように、僕を顎で使っていた。
「てっきり、僕は皆さんと別に食べるんだと思ってました」
「そんなことしませんよ〜 ヨシユキさん、頑張って荷物運びしてくれたんですから、ニカ商会の一員として一緒に食事をとる資格があります」
そんなふうに、僕の地道な働きぶりを評価してくれるレミの言葉が嬉しかった。
こんな可愛い子に、優しくされたのはいつ以来だろうか……と、一瞬考えたが、すぐに沙耶香さんの顔が浮かんだ。
そして、常に美人に優しくされ続けた、元の世界が懐かしくなった。
「働いた人間には、素性を問わず、ちゃんと飯を食わす。それがニカ商会や」
そう言ってニカはテーブルにつき、その小さな体をふんぞり返らせる。
とにかく、働きぶりを認められたのは嬉しいことだ。この信用をなくさないように、明日からも真面目に働こう。
そう思う僕の横で、レミが少し頬を赤くした。
「ヨシユキさんは、真面目に働くだけでなく、やはり誠実な人でしたね」
その言葉の意味は、よくわからなかった。
「どういうことです?」
「干した洗濯物から、下着がなくなってはいませんでした」
いや、そんな真似しなし、その程度のことで評価が上がるなんて、この世界の男たちはどれだけモラルがないんだ……
「けど、私のでよければプレゼントしますから、欲しくなったらちゃんと言ってくださいね。泥棒は、ニカ商会では重罪ですから」
と、よくわからないアドバイスを受けながら、僕たちもテーブルにつく。
食卓を囲むのは、ニカ、イシス、レナ、そして僕とオルトロス。
流石に僕には椅子が用意され、オルトロスは地面でおすわりをしている。
(よかった。流石に逆だったら、人間としての尊厳が)
用意された夕飯のメニューはごく質素なものだった。
小さくて硬いパンと、肉と野菜が入ったスープ。それにホットミルク。
「ではニカ様、先に召し上がってください」
一番偉い立場のニカが、まずは食事に手をつける。それがニカ商会の食事のルールのようだ。
「オルちゃん、トロちゃん、ニカさんが手をつけるまで、お預けですよ」
そう言ってレナは布袋に入ったペレット状のフードを、並べられた二つのエサ皿に注ぎ入れる。オルトロスも躾ができているのか、ニカが食べ始めるまでエサに手を出そうとはしなかった。
「ニカ様、どうしたんですか?」
エサ皿に守られたドッグフードを感慨深げに見るニカに、イシスが声をかけた。
「いや、ヨシユキの態度が悪かったら、今頃、こうなってたんやなぁと思って」
そんなニカの物騒な想像に、僕は顔を引き攣らせて愛想笑いをするしかできなかった。
さて、初めて食べる異世界の食事の味だけど……
絶賛するほど美味しくもないし、かと言って食えないほど不味くもない。
パンは僕が普段食べるものに比べると、硬く少し酸味がある。
これを噛みちぎるのは大変だと思ったけど、他の三人の食べ方を見るに、この硬いパンはスープに浸して食べるみたいだ。
そして肝心のスープは、少し塩分が強め。それに僕の分には、具がほとんど入っていない。
一方でニカのスープには、肉や野菜の塊がちゃんと入っている。
これは配膳を担当したイシスが、意図的に盛り分けた結果。
(まあ、居候の身だと、こんなもんか)
両親を亡くした直後、僕をタライ回しにした親戚の家のことを考えれば、扱いが粗末なのはしょうがない。
ちゃんと食事が出るだけでも、ありがたいと思っておこう。
「さて、みんな。明日の朝は早いから、夜更かしせんと寝るんやで」
皆が食事を終えたタイミングで、ニカが口をひらく。
どうやら、明日の朝のバザーに向けて、このあとはもう寝るだけらしい。
「食器を洗うのは、お前の仕事だからな。あと、明日の朝飯も、お前が準備しておけ。今日の残りを温め直すだけでいい」
「バザーの日の朝は忙しいからな、頼んだでヨシユキ」
イシスとニカの言葉に、拒否権のない僕は素直に頷く。
「ここに魔法を利用した、簡易水道がありますからね。このブラシと洗剤を使ってください」
そう言ってレミが蛇口らしきものを捻ると、ちょろちょろと水が流れ出る。
「この魔法石が生み出せる水の量は、多くはないですから、大切に使ってくださいね」
「わかりました」
なんだが、バーベキューの水タンクで食器を洗うような感覚だ。水道はなくても、魔法で水の確保ができるのは、さすが魔法が存在する異世界といったところか。
そんなことを考えながら、黙々と皿を洗う僕にニカが声をかけてきた。
「ヨシユキも、片付け終わったら、好きに寝てええで」
「わかりました・・・って」
そのことは納得したけど、ふと一つ確認したいことがあった。
この野営の場所にはテントは三つ。
ひときわ大きなテントは倉庫も兼ねており、ニカが使う。
残りの二つは、人が一人寝るのでいっぱいの小さなテント。これはイシスとレミがそれぞれ使う。
ということは……
「なんや、ヨシユキ。けったいな顔をして」
「僕はどこで寝れば?」
僕の素朴な疑問に対し、ニカは躊躇せず地面を指差した。
「ここ」
その指示にイシスは、さも当然と頷いたが、レミだけは僕に同情してくれた。
「はわわわ。ヨシユキさん一人だけ外で寝るって、可哀想ですよ。よかったら私のテントで一緒に寝ませんか?」
少しハニカミながら、上目遣いでそう提案してくれた瞬間。
オルトロスの二つの口から、明らかに害意が込められた唸り声がする。
「いえ、僕は喜んで、地面で寝させてもらいます」
僕は自分の命を守るために即答した。
地面に一人横たわる。
さすがに地べたに寝るのは可哀想と、ニカは寝袋のようなものを貸してくれたが、所詮は簡易寝袋。背中に地面の硬さがダイレクトに伝わってくる。
ふと空を見上げると、昼間とはうって変わり、空は雲に覆われていた。
星の瞬きなどは見えず、コンロの残火と虫除けの魔法具の淡い光が、周囲の漆黒を微かに照らしている。
「夢じゃなくて、現実なんだよなぁ」
ほとんど何もわかっていない異世界で、一人になり、ふと不安になる。
僕は元の世界を懐かしむように、ポーチからスマホと財布を取り出した。
おそらく、この世界では使えない日本の貨幣。ただ、何かあった時のため、財布は人目につかないようにしまっておこう。
そして僕のスマホ。
電源を入れると眩しい光が、暗闇に慣れかけた僕の目に飛び込んでくる。
あまりお金もなく、贅沢も言えない立場だから、古いモデルでバッテリーも劣化し始めている。そのせいか、特に使っていないはずなのに、もうバッテリーの残りは半分近い。
当然だけど、電波の状態は圏外。
「どうせ、連絡なんかつかないか」
軽くため息をついた僕は、元の世界への未練を断ち切るため、スマホの電源を切った。