三話 ステータスとチート
僕が異世界召喚に巻き込まれたのは、どうやら間違いないようだ。
だけど一ヶ月。
それだけ我慢すれば、元の世界に帰ることができる場所にいける。
その事実が、僕の気持ちを前向きにし、正気を保たせてくれた。
「ヨシユキさん、短い間だけど、よろしくね。私が召喚術をミスして迷惑かけちゃったから、私でよかったら、あの、その、いろいろお世話しますね」
「アホかレミ。このニカ商会に、働かん奴はいらん」
レミの気配りを、ニカが一刀両断した。
「そんなわけでヨシユキも、商売の手伝いぐらいはしてもらうで」
突き放すような冷たい口調に、僕は反射的に答える。
「喜んで、ここで働かせてもらいます」
ニカには、今回の召喚ミスの責任はない以上、僕がここで下手に待遇についてごねれば、せっかく元の世界に戻るチャンスを失いかねない。
ニカ商会という名前からして、この三人で一番偉いのは、一番幼く見えるニカなんだろう。
とにかく帝都まで旅して、元の世界へ戻るまで、僕は彼女たちに従うしかない。
僕の返事にニカは満足げな表情をする一方、イシスは不満げに小さく舌打ちした。
彼女だけは、僕と旅をすることに納得できていないようだ。
「じゃあレミがヨシユキの面倒見てやってな」
「もちろんです、こうなったのは私のせいですから……ヨシユキさん、よろしくお願いします」
「こちらこそ、色々教えてください」
「い、色々教えるだなんて……」
なぜか照れるレナの横で、オルトロスの二つの頭が僕に対して威嚇の唸りをあげた。
「では、イシスさんが洗濯物を持ってきますから、そこにロープを張って干してくださいね。私はニカさんと出店の準備をしてますから、寂しくなったら呼んでもいいですよ」
レミはそう言って、ニカのいる一番大きなテントへ戻っていった。
この場所を発つのは、明日の朝。
今、二人は、この先にある城で行われる、バザーに出展するための準備中らしい。
僕はこの世界の商売のことなど、何もわかっていない。簡単な帳簿付ぐらいはできるけど、もちろん部外者の僕にそんなことを任せるわけもなく、必然的に回ってくる仕事は肉体労働の雑務。
そんなわけで、まず与えられた仕事は洗濯物干し。
粛々と仕事をこなし、彼女たちに僕が役に立つところを見せなければ、ここに居場所はなくなってしまう。
「だけどその前に……」
僕には一つ確認しておくことがあった。
ここはアニメやゲームでお馴染みの、剣と魔法の異世界。
オルトロスのような凶暴なモンスターもいるこの世界で、なんの特技もない僕が一人で生きていくのはほぼ不可能だろう。
「そう、もし、僕になんの特技もないのなら」
すぅっ。
周囲に誰もいないのを確認して、大きく息を吸う。
さっきまではニカ商会の三人に囲まれているので、確かめることはできなかった。
だけど一人になった今なら、僕に何か特殊な能力があるのかを探ることができる。
アニメやゲームだと、異世界にやってきたキャラは「スキル」や「ギフト」と呼ばれる特殊能力を持っていることがほとんどだ。
そして、その能力を利用して、無双したり、英雄になったり、もしくはハーレムを作ったり。
もちろん僕は、この世界でそう言った大仰なことをするつもりはない。
今の目的は、元の世界に無事に戻ること。
だけどもし僕にチートと言える優れた能力があるのなら、ニカたちに依存しなくても、この世界で生き延びて元の世界に戻ることができる。
(戻らなきゃ、沙耶香さんが待っている、元の世界へ)
大切な女性の顔を思い浮かべ、僕は叫んだ。
「ステータス・オープン!」
両手を開き、虚空を見つめる。
「……」
これがアニメやゲームなら、目の前には僕の能力値を示す数字の羅列が現れるはず。
だけど何も見えない……
見えるのは雲一つない青空と、燦々と輝く太陽だけ。
「おかしいな、ひょっとして別のキーワードが必要か? それとも叫んだ時のポーズに問題が?」
現状を受け入れることができない僕は、独り言を呟き始めた。
「いや、ひょっとしてこの世界にはステータスがないだけかも知れない。そ、そうだよな、人間の能力を数値化なんて、世の中の仕組みはそんなデジタルとも限らないし……」
ステータスの存在を確認できない状態で、これ以上考えてみても仕方ない。
僕は気持ちを切り替え、次の可能性にかける。
「だとするとチート能力が」
そうだ。異世界人である僕には、チート能力がある可能性が高い。
チート能力とは、この世界の人間にはない優れた能力やスキル。
さっきはいきなり目の前に剣を突きつけられたせいで、身動き一つできなかったけど、ひょっとしたら僕は、この世界に人間より遥かに体力が優っているかもしれない。
もしくは魔法の適性があり、修行しないでも、とんでもない威力の攻撃魔法や、全てを治す治癒魔法が使えるかもしれない。
行うべきは、体力測定か、魔力測定か。
どちらにしろ、異世界からやってきた僕が平凡な存在であるわけがない。
などと、考え込んでいると、後ろに人の気配がした。
「お前、何叫んでいるんだ……」
驚いて振り返ると、何かケッタイなものを見るような目で、イシスが僕を見ていた。
他人には見られたくない姿の一つ、ステータス・オープンの儀式。
「い、いや、天気が良かったので」
顔が真っ赤になり、自分でも謎の言い訳をする。
そんな言い訳を興味なさそうにスルーして、イシスは山盛りになった衣類が入った洗濯桶を「どん」と置いた。
その瞬間、石鹸の心地よい匂いがする。
「明日には、ここを発つからな。とっとと洗濯物を干しておいてくれ」
「わかりました……って」
反射的に返事して、イシスを見た瞬間、僕は驚いた。
さっきまでは洗濯の山に隠れて見えなかったが、彼女は下着同然の格好で僕の前に立っていたのだ。
その姿はスポーツブラとトランクス。両方とも生成りの木綿のような生地でできていた。
黒い下着姿で柔らかそうだったレミとは正反対の、女っぽさも色気のかけらもない姿だ。
見た目は長身の金髪碧眼の美人であるイシスから色気を感じないのは、彼女の鍛え上げられた筋肉のせいもあるだろう。
ブラから露出した肩は丸みを帯び、上腕二頭筋の盛り上がりと、上腕三頭筋の陰影がはっきりとわかる。腹直筋は六つに分かれ、トランクスから伸びた足は大腿四頭筋や腓腹筋がメリハリのあるラインを作っていた。
一応、下着姿のようだけど、イシス自身もその姿で男性の前に立つことに抵抗はないようだ。戸惑う僕に対し怪訝な表情をしただけで、すぐにテントの方へ戻ろうとする。
「とっとと干しておけよ。こっちも腰が痛いの我慢して、洗濯したんだ。生乾きは、許さねぇからな」
イシスはそう言って、軽く自分の腰を叩きながら、この場を去ろうとした。
その時……
「えっ」
イシスの後ろ姿を見た僕は、思わず声が出て、もう一度目を凝らした。
(なんなんだ、この光の線は……)
ブラとトランクスの間から見えるイシスの背中、そこに無数の光の道が見えたのだ。
どこかで見たことのある光の線は、体表面を通る光の通路のようでもあり、別の例えをするなら人間の気の流れを表す経絡のようにも見える。
そして……彼女が痛みを訴えた腰の部分。
そこだけは光の流れが途絶え、暗く沈んでいた。
「おい、俺はお前と旅すること、正直反対なんだからな。追い出されたくなかったら、しっかり働け!」
僕の視線に気づいたのか、くるっと振り返り、イシスはきつい口調で叱責した。
明らかに僕を拒絶するような態度。
その瞬間に、彼女に張り巡らされた光の糸は見えなくなった。
(あれは、なんだったんだろ?)
とにかく、持ってこられた洗濯物は、すぐに干さなければならない。
そうしないと僕が干されてしまう。
僕が、洗濯桶を紐の近くへ運ぼうとした瞬間……
「うっ」
僕の腰にも痛みが走った。
「こ、こんな重いものを一人で」
簡単な脱水を終えただけの大量の洗濯物は、僕の力ではやっと持ち上がる重さだった。
一方でイシスはこの洗濯桶を、軽々と運んで来た。
だとすると……
「少なくとも、腕力系のチートは……ないみたいだな」
僕は力無くそう呟いた。