二話 三人の美女
「イシス、剣をしまえ」
命の危機を前にした僕が、慌てふためいていると、ニカは女戦士に剣をしまうように命令した。
「申し訳ありません、ニカ様」
イシスと呼ばれた女戦士は、ニカの命令で素直に剣を鞘に収めたが、右手は柄を離さず、そのまま僕を睨み続けている。
おそらく僕が不審な動きをすれば、すぐにでもまた剣を抜いてくるだろう。
「で、もういっぺん聞く。あんた、誰や?」
「名前は傍士芳之と言います。怪しいものではありません」
「ほぅ、ヨシユキか。で、あんたは、ここで何をしてるん?」
自分で怪しいものではない、と弁明してはみたが、この状況はどう見ても怪しいのはわかっている。
僕だって、いきなり自分の店に忍び込んだ、みず知らずの人間が「怪しくない」と弁明しても、信じずに即警察に電話するだろう。
だけど双頭犬と剣を構えた女戦士がいる状態では、僕ができるのは聞かれたことに素直に答えることだけ。下手に弁明しても、矛盾が生じてかえって状況を悪くするだけだ。
「それが、気づいたらここにいて」
なぜ僕が、この場にいるかは、こっちが教えて欲しいぐらいだが、これも正直に答えるしかない。
その言葉に、イシスは無言で眉間に皺を寄せる。
「気がついたら、やと」
ニカは明らかの僕の言葉を聞いて、赤い瞳でグッと睨んできた。
明らかに疑っている表情。
「多分、こことは別の世界から、なんらかの理由で、やって来たのだと思います」
やって来た理由も、手段も説明できないあやふやな返事。
だけど、他に言いようがない。
果たして僕の言葉の意味を、彼女たちは理解してくれるか、そして信じてくれるのだろうか?
「ああ、あんた、異世界から転移してきたんか」
「へっ」
だが、ニカは僕の状況を簡単に納得してくれた。
あまりにもあっさりとした態度に、僕は拍子抜けする。
しかも「異世界転移」という言葉も、彼女は理解していた。
ひょっとして、この世界では異世界転移が珍しいものではないのか?
「僕の言葉を信じてくれるんですか?」
「まあ他の世界から、人間が召喚されてやって来るっていうんは、時々あるからな。実際に召喚された現場を見るんは、ウチも初めてやけど」
そう言いながら、僕のことをまじまじと見る。
「変わった服やなぁ。ウチが知ってる異世界人のとは違う」
僕が着ている服は、ファストファッションのフリースとスラックスに靴はスニーカー。元の世界ではごくありふれた服装だが、彼女には見たことのないファッションなんだろう。
「まあ、その変わった格好に、口の動きの合っていない言葉。おそらく、おたくが異世界から来たっていうのは、本当なんやろう」
よかった、異世界転生のことを信じてくれている。
と、ホッとするのも束の間。ニカは眉を顰めさらに僕に質問する。
「で、そんな異世界人が、なんでうちの店のテントにおるん?」
「いや、それはこっちが聞きたいんですっ!」
それが分かれば、僕も苦労はしない。不安のせいか、ニカの質問に対し、つい声がでかくなった。
その瞬間、まるでニカを守るように、イシスとオルトロスが身構えた。
「イシス、やめとき」
「オルちゃん、トロちゃん、この人は食べちゃダメ」
と、ニカとレミが、それぞれを嗜めてくれる。
今の所、ニカは僕との話し合いを優先してくれるみたいだ。
「さて、落ち着いたところで、もう一度聞こうか? 帝都にいる大司祭たちが、煩雑な儀式を三日三晩続けてようやく召喚できるという異世界者が、なんでこんな辺鄙な場所のテントにいるのか?」
ニカの言葉が事実だとすれば、異世界人というのは、そうポンポン現れるものではなく、大掛かりな儀式の末にようやく召喚できる存在のようだ。
だけど、僕自身がどうして異世界に転移したのかわからない状態では、きちんとその理由を説明することなどできない。
ああ。アニメのように、転移する際に女神様が、僕に異世界転移の目的とかを教えてくれれば助かったのに。
うまく状況を説明できず、僕が言葉に詰まった瞬間。
「はわわわ、ごめんなさい!」
いきなりレミが、涙目になって謝り始めた。
「ヨシユキさんがここにいるのは、私が悪いのです」
「どういうことや、レミ?」
「実は……」
レミは横にいたオルトロスを、愛おしそうに頬擦りし、言葉を続ける。
「オルちゃんとトロちゃんの、生き餌を召喚しようとしたら、ヨシユキさんがいきなり現れて……」
生き餌だって……
「確かにレミは時々モンスターを召喚して、オルトロスの生き餌にしとるな」
「はい……異世界人と違って、雑魚モンスターなら、私のレベルの錬金術師でも召喚できますし。生き餌をあげると、オルちゃんトロちゃんのストレス発散にもなるし……」
「なるほどな。ヨシユキはオルトロスの餌として、ここに召喚されたのか。偶然の手違いってやつもあるんやな」
「まさかモンスターではなく、異世界から人が転移してくるなんて、どうすれば、どうすれば」
「どうするも何も……本来の目的は……」
ニカ、レミ。イシス。三人の視線が、オルトロスの二つの顔に注がれる。
するとこのデカ犬は、互いの顔を少し見合わせると、そろってレミの方を向き刹那げに鳴いた。
「「くぅ〜ん」」
「オルちゃんとトロちゃん、ヨシユキさん食べたくないって……不味そうだから……」
僕が置かれた状況を理解した瞬間、体からガクッと力が抜け、床に四つん這いになった。
異世界転移した理由……
それはアニメなどでよくある、勇者としてこの世界を救う、などという特別な理由ではなく、このオルトロスの餌として間違って召喚されたわけか……
そして今ここで、その餌としての存在意義も否定された。
僕は果たして、これからどうなるのか?
無事に沙耶香さんの待つ、元の世界に戻れるのか?
「って、ちょっと待って!」
「なんや、餌?」
「餌じゃないです。そもそも、僕がこの世界に来たのが、レミさんの手違いが原因なら、皆さんにはちゃんと僕を異世界に戻す責任があるでしょう」
そういえばそうだ。
僕は望んでこの世界に来たわけじゃない。
レミによって間違って召喚されたんだ。
だとしたら、この人たちには僕を元の世界に戻す義務が生じる……はず。
「ほう、面白いこと言うなぁ」
ニカに睨まれた瞬間、僕の背筋にぞくっと冷たいものが走った。
彼女は見た目は幼いが、会話の中身と周囲の扱いを見るに、中身は決して子供ではない。
そして今、彼女の赤い瞳に込められた殺気。それは平和に生きてきた僕の日常では、まず出会うことのない、そして出会いたくない危険な匂いがした。
「ウチらにヨシユキを元の世界に戻す義務がある、そう言うんやな?」
「え、ええ、道義的にそうなることかと」
子供のような見た目のニカに圧倒されながらも、僕は懸命に主張する。
「けど、人に交渉する時は、言葉遣いには気をつけた方がええ。まとまる話も、拗れる」
ニカに睨まれて、僕の言葉がくぐもった。
僕の置かれた状況は、圧倒的に不利である。
いきなり召喚された異世界では、日本の法律はもとより、道徳も通じるとは限らない。
剣と魔法とモンスターの世界では大抵の場合、力こそ全て。
非力な高校生の僕が、無事でいられるかどうかは、彼女たちのお気持ち次第と言える。
「ご、ごめんなさい。義務とか、言い過ぎました」
彼女たちの機嫌を損ねてはいけない。
今の僕がするべきことは、権利を高らかに主張することではなく、とにかく下手に出ること。
そして身の安全を図りつつ、元の世界に戻る方法を探すこと。
「ニカさん、異世界に転移してきた僕が、元の世界に戻る方法があるのでしたら、ぜひ教えてください」
我ながら卑屈であるが、しょうがない。
異世界人を知っている彼女なら、元の世界に戻る方法も知っているかもしれない。
「しゃあないな」
そんな僕の下手な態度を見て、ニカは軽くため息をつくと、少し柔らかい表情になる。
「今回の件は確かに、うちの店の従業員のミスや」
と、横でおどおどしているレナを睨みつける。
「ふええ。ニカさん、ごめんなさい」
「どんなミスをしたら、召喚獣の代わりに、異世界から人間を召喚するんや」
「まったく、イシスのドジぶりは……」
「イ、イシスさんまで」
二人から責められて、レミは涙目になった。
そんなレミを無視して、ニカは何か考え込む。
「異世界人か……これは偶然か、何かの縁か」
一見子供なのだが、思慮に耽る横顔はどこか大人びた感じがした。
「よしわかった。ニカ商会としては、従業員の不手際で人に迷惑をかけたとあっちゃあ、看板に傷がつく。そんなわけで、最低限の責任はとったる」
「じゃあ、僕は元の世界に戻れるんですか」
嬉しそうに立ちあがろうとした僕を、ニカは手をばっと突き出して制した。
「だが、今この場では無理や」
表情が固まった僕に、ニカは淡々と事情を説明してくれた。
「召喚術って言ってもピンキリや。そこら辺の使役獣を召喚するんなら、レナ程度の錬金術師でもできる。やけどさっきも言ったが、異世界から人を召喚するんは、そんな簡単なもんやない」
「ふえええ、だから私は餌を召喚しようとだけなのに、偶然に人が」
いや、そんな偶然、いらない。
「そして厄介なことに、こっちに召喚するよりも、元の世界に帰還させるほうが、より高度な魔法スキルが必要になるんや」
「そ、そうなのか」
「召喚した後、勝手に自分のいた世界に戻れる召喚獣なんかは、そこそこのレベルの召喚士や錬金術師でも問題ない。だけど召喚後に自分で元の世界に戻る能力のない存在……」
ニカが、改めて僕の方を見た。
「異世界転移してきた人間を、元の世界に五体満足で戻すためには、それ相応の儀式と、何人もの高いレベルの司教が必要になる」
「じゃあ、僕は元の世界に……」
僕が元の世界に戻る方法があるのはわかった。
だけどそのためには、ずいぶんと大掛かりな準備と、そして多くの人が必要らしい。
「はあ。元の世界に帰るのは、難しいのか」
「そう捨てられたアホ犬のような顔をするな。さっきも言ったやろ。帝都の司祭達なら、異世界転移してきた人間を、元の世界に戻せるって」
「そ、そうなんです。私と違って、帝都にはすごい魔法使いや、錬金術師もたくさんいるのです。その人なら、ヨシユキさんを元の世界に戻すことができるのです」
レミも落ち込む僕を励ましてくれた。
「ニカ様。ということは、この男を帝都まで連れてというのですか?」
それまで黙って聞いていた、イシスが慌てた様子でニカに確認する。
「どのみち、ウチらも帝都を目指してたやろ。行商のついでや」
ニカは僕に向き直り微笑んでみせるが、イシスは明らかに納得していない表情だった。
「じゃあヨシユキさんと、一緒に旅をすることになるんですね」
レミも罪悪感からか、僕を元の世界に戻す手伝いができることに、嬉しそうだった。
「ああ、ちょうどウチらも一ヶ月後に帝都で行われる、皇帝の生誕祭に出店する予定や。それまでの間、よろしくなヨシユキ」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします。ニカさん」
元の世界に戻れる可能性が広がった喜びで、僕はニカに深々と頭を下げた。
こうして僕は、大商人のニカ、錬金術師のレミ、そして女戦士のイシスと、元の世界に帰るための旅に出ることになった。
初めての異世界。
果たして無事に帰れるのか。
不安は残るが、今はニカの言葉を信じるしかない。
そしてオルトロスは僕に全く興味なさげな態度で、二つの口を同時に開き、大きくあくびをした。