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配達員さんのゆっくり走る馬車

 太陽の周りを縁取るように、虹の輪っかが囲んでいる。わたしたちの世界ではそれが当たり前だ。でも他の世界ではとても珍しいことらしい。


 そう思って見上げると、いつも見えている虹が少しだけ綺麗に見えた。


(さすがに、まぶしいですね……)


 視界を下げると、その中心に水に浮かぶ油のような影が残っていた。すぐに消えるだろうけど、少し気持ち悪い。


 わたしが働くヴェルサーノは山奥にある小さな町だ。変わったところといえば、王都でも聖都でもないのに町中が石畳で舗装されていることだろうか。大昔に宮殿が建っていた名残らしい。


 道が広くて景観がいいので、たいした名産もないのに人が集まる。主要な流通路から外れているにもかかわらず、わざわざ旅客馬車が来るくらいだ。


 特に今日は天気がいい。お昼に何を食べようかと出歩く人の姿がたくさんあった。


 わたしが天を見上げていたのも、人ごみに疲れたからだ。大通りの中央は馬車が支配しているせいで、わたしを含めた歩行者は端に圧縮されている。


 それを不満に思っているのは、わたしだけなのだろうか。目に映る皆が人ごみに歩調を合わせて、通り沿いの店に目をやったりしてゆっくりとした歩幅を楽しんでいる。


 でもわたしは帰路を急いでいるのだ。読みかけの本が家でわたしを待っている。


 馬車の通る中央部分に飛び出して、人ごみの横を駆け抜けてしまおうかと何度も思った。


 実際、急いでいる人は馬車を利用しているのだろう。お金がないわけでもないし、それが賢い選択だというのはわかっている。


 でも――


「翻訳術師は動物を使役するべきではない」


 師匠の言葉が、思わず口に出た。


 翻訳術師は動物と対等に話すのが仕事だ。動物を使役すれば、その対等性が失われてしまう。


 そういう理屈を抜きにしても、その感覚はわたしにとって当たり前になってしまった。馬車の利用を咎められたことはないけれど、やっぱり抵抗がある。


 それに――


『重たいよ』


『地面が硬い』


『もっと速く走りたいよ』


 こんな声が、ずっと馬車を引く馬さんから聞こえてくるのだ。


 今も大通りの真ん中からそんな声が――


「……あれ?」


 聞こえないと思ったら、大通りの馬車が少なくなっていた。道を下る馬車はいくつかあったけれど、上ってくる馬車が一つもない。


「どうしたんでしょうか?」


 人ごみは相変わらず、端に固まっている。車道に出てしまえば人ごみを避けれそうだ。でも飛び出したとたんに馬車が走ってきそうで、ちょっと怖い。


 安全確認も兼ねて道を覗き込んでみると、下った先に馬車が見えた。


「あれは……?」


 わたしは車道に飛び出して足を速めた。馬車は止まっているわけではなく、ゆっくりとだけれど上ってきているようだ。


 その馬車に――いや、正確には馬車を引いている馬さんに見覚えがあった。


 コーヒーにミルクを入れて、混ぜなかったようなまだらな毛色。少し近寄っただけでもわかるほど毛並みが艶やかで、大事にされているのがよくわかる。


「プリッチャーさん?」


 わたしはその馬さんの名前を呼んだ。


『あら。フクラさん。ごきげんよう』


 静かで落ち着いた女の人の声が聞こえた。馬さん――プリッチャーさんの声だ。今の一瞬で翻訳術の儀式を行った――というわけではない。


 実はわたしは儀式を行わなくても動物たちと話すことができる。


 エアカイトで儀式の真似事をしたのは、そうしないとでたらめを言っているんじゃないかと疑われることがあるからだ。それくらい儀式無しの翻訳術は珍しい。


 プリッチャーさんはゆっくりとわたしへと近寄ってきた。わたしはその鼻先を受け止めるように撫でる。


「こんにちは。足の調子は大丈夫ですか?」


『ええ。あれからレナトが時々様子を見てくれるから、とても調子がいいわ』


 プリッチャーさんは足を少しだけ高く上げて、リズミカルに石畳を叩いた。足が悪くて進むのが遅れているわけではなさそうだ。


 プリッチャーさんは振り向いて、御者席を見た。そこには小柄で髪の長い男の子が座っていた。歳はわたしと同じくらいだ。


 彼がレナトさん。プリッチャーさんの主人で、運送の仕事をしている。わたしの家にも荷物を届けてくれることがあるけれど、町の中で会うのは初めてだ。


 レナトさんは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。


「おいフクラ先生! どうしてプリッチャーにしか挨拶しないんだよ!」


『なにを怒っているのよ! 最初にすることは、文句じゃないでしょう!』


 そう高圧的に返したのは、わたしではなくプリッチャーさんだ。普通に会話しているかのように見えるけれど、レナトさんもプリッチャーさんも翻訳術は使えない。お互いに何を言っているのかはわからないはずだ。


 プリッチャーさんはレナトさんの様子を見て、言葉を返しただけだし、そんなプリッチャーさんのお叱りも、レナトさんには突然いなないたようにしか見えなかっただろう。


 レナトさんは馬車から大慌てで降りた。


「うわ! 悪かったって。いきなり大きな声を出してごめんな」


 レナトさんは優しく声をかけながら、プリッチャーさんの首を撫でた。


 二人の邪魔をするのは気が引けたけれど、黙っていたらまた文句を言われそうだ。


 レナトさんの視線がわたしに戻るのを待ってから、今度はわたしから話しかけた。


「こんにちはレナトさん。ゆっくりと走っていたみたいですけど、何か問題でもありましたか?」


「いや、フクラ先生が良い装蹄師を教えてくれてから、プリッチャーの調子はずっといいな。あんときは助かったよ」


「良かったです。馬さんたちの評判通りですね」


 以前、レナトさんから依頼されて、不調だったプリッチャーさんの相談に乗ったことがあるのだ。


 飼育されている動物たちと話して、不調の問題などを探るのも、翻訳術師の仕事だ。まぁ、その多くが『ペットが買ってあげたおもちゃで遊んでくれない!』みたいな内容の、お金持ちからの依頼だったりする。


 そんな中レナトさんの依頼はまともだったので、ちょっとやる気が出たのを覚えている。


「問題ないのなら、どうしてゆっくり走っていたんですか?」


「『うちはこれが普通』」


 レナトさんとプリッチャーさんの声が重なって、二人は顔を見合わせた。


 そして――


「なんだ」

『なのよ』


 とそれぞれ続けた。


「荷物を積んだ馬車は重いからな。またプリッチャーがケガをしたら大変だろ? 荷が崩れないのもうちの売りでもあるんだ」

『レナトは馬の扱いは素人だから、あまり速く走ると酔っちゃうのよ。わたし一人だったらどこよりも早く荷物を届けられるわ』


 二人の言っていることはちぐはぐだった。当の本人たちは言葉がわからないので、そのことには気づいていない。


 それを二人に伝えるのは簡単だけれど、わたしはそんなことはしない。


 わたしは二人の今の関係が好きなのだ。


「なんだよニヤニヤして。何かいいことでもあったのか?」


「いえいえ。まぁレストランとネズミさんの契約がうまくいったから、いいことがなかったわけではないですが」


 適当にごまかしただけなのだけれど、レナトさんは怪訝な顔をした。


「もしかしてそのレストランって、エアカイトか?」


「はい。そうですけど何かありましたか?」


 レナトさんは額に手を当て、天を見上げた。


「まいったな。荷物の中に、エアカイトに届ける殺鼠剤があるんだよ」


「殺鼠剤ですか? 穏やかじゃないですね」


 レナトさんは「本当にな」と頷いてから続けた。


「でも契約がうまくいったってことは、殺鼠剤なんて使わないだろ? あそこのオーナーはいつも勝手な理由で受け取り拒否するんだ。返送は金にもならないし、手続きが面倒だってのに」


 声がだいぶ大きくなっている。相当面倒なのだろう。


「それでも届けないわけにはいかないですもんね」


「そうなんだよ。まったく。本当なら、あんなオヤジの顔も見たくないってのによ」


 レナトさんの愚痴に、思わず頷いてしまった。


「あ、そうだ。フクラ先生にも荷物があるんだ。着くのは夜になっちまうと思うが、家にいるか?」


「ええ。このまま家にまっすぐ帰るつもりなので、いると思いますよ。簡単な荷物ならここで受け取ってもいいですけど」


「結構大きな荷物だったから、歩いて持って帰るのは大変だと思うぞ。今出してやるから、見てみろよ」


 レナトさんが荷台を振り返えると――


「おい! 道を塞ぐんじゃねぇ!」


 やたらと威勢のいい男の声がそれを邪魔した。


 ガタイのいい男がレナトさんの馬車の横で、鬼のような形相を向けている。


 わたしとお話を始めてしまったせいで、プリッチャーさんの足が完全に止まってしまっていたのだ。


 レナトさんは頭を下げながら、御者席に飛び乗った。


「すまねぇ! すぐに動かすよ! フクラ先生、わりぃな! 場所を変えよう」


「いえ、荷物は夜で構わないので、そのまま配達を続けてください。それじゃあプリッチャーさん。ケガをしないよう気を付けてくださいね」


『ええ。それじゃあまたあとでね』


 レナトさんは大慌てだったけれど、プリッチャーさんはゆっくりと馬車を引いた。レナトさんがお尻を小突いてもそれは変わない。


「な、なぁ。少しの間でいいから急いでくれよ。頼むって!」


 レナトさんが拝むように懇願した。


 馬車は歩くようにゆっくりと通りを上っていった。

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