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「殿下、少々強引過ぎですわ」
「うん、君を振り向かせるためにこれでも必死なんだよ」
シルヴァンはそう言って微笑んだ。
土ボタルの見られる洞窟は、城下から近くにあり一時間もかからずに行くことができた。
馬車が止まると、シルヴァンは馬車を先に降りアレクサンドラに手を差し伸べる。
「足元に気をつけて」
「ありがとうございます」
その手を取り、アレクサンドラはゆっくりと馬車を降りた。
「こっちだ」
シルヴァンはアレクサンドラの腰に手を回しがっちりホールドすると、ランプを片手に洞窟内へ入った。
狭い洞窟内のをゆっくりと奥へ進んでいくと、突然広い空間に出た。
「懐かしいですわね、私ここに来るのはあれ以来ですわ」
「僕もだ。君以外と来たいと思えなくてね」
そう答えてシルヴァンは洞窟内の一角を指差す。
「あの岩、覚えているか? 二人で座った」
「そうでしたわね」
「もう一度そこへ座ろう」
そう促されて並んでそこに座ると、シルヴァンはランプの火を吹き消した。
すると突然頭上に青く輝く無数の淡い光が見えた。
洞窟内で淡い青い光を放つ土ボタルはとても幻想的で、それがずっと洞窟の奥へと続いており、それはまるでミルキーウェイのように見えた。
さらにそれが地底湖に反射し、なんとも言えない幻想的な景色が広がっている。
「本当に綺麗だ」
「本当、とても美しいですわ!」
そう答えシルヴァンの方を見ると、シルヴァンはアレクサンドラを見つめていた。
そうして目が合うと優しく微笑む。
アレクサンドラは驚いて視線を土ボタルへ戻すと話題を変えた。
「殿下、今日はこちらに連れてきてくださってありがとうございます」
「僕のほうこそお礼を言いたいぐらいだ。僕はずっと君とこうしてこの景色を見つめ、普通にお互いの話をする。そんなことを夢に見ていた。それは素直になれば簡単にできたことだったのに、こうして叶えるまで何年もかかってしまった」
「殿下……」
「まぁ、いい。僕たちにはまだ時間がある」
「そうかもしれませんわね」
アレクサンドラがそう答えると、二人ともしばらく無言で土ボタルを見つめた。
先に話し始めたのはシルヴァンだった。
「僕は昨日、君に言ったね『立場上、愛しているからといって、無条件に相手を信用することはできない』と」
「はい。ですがそれは殿下の立場上、仕方のないことだと思いますわ」
「いや、僕は君に関してはそれを守ることができそうにない。もしも君が大罪を犯したとわかったなら僕はなにをするか……」
それを聞いてアレクサンドラは自分が夢の中で監禁されていたことを思い出した。
「もしかして、尖塔の牢屋にでも監禁しますの?」
するとシルヴァンは驚いたように言った。
「なぜ君は尖塔にそれ専用の牢屋があることを知っているんだ?!」
「えっ? それ専用? では、本当にあれはそのためのものですの?」
アレクサンドラの問にシルヴァンは少し動揺したように前方を見つめ咳払いをした。
「いや、今はそれはどうでもいいことだ。それより実は君に関してよくない噂を耳にする機会が増えてね。もしもの話だが、そういうことになればあそこに匿うしかないとは思っていた」
「そんなことを考えてらしたんですのね?」
それで夢の中でシルヴァンはアレクサンドラを幽閉したのだ。アレクサンドラは確かにシルヴァンに愛されていたのだ。
後々アレクサンドラを隠していたと知られれば、大問題になりかねないだろう。
それにシルヴァンは法を犯すようなそういったことが出来る性格でもない。
夢の中でアレクサンドラをあの尖塔の部屋へ幽閉したとき、シルヴァンなりに様々な葛藤があったに違いなかった。
そう思いながらアレクサンドラがシルヴァンの横顔を見つめると、シルヴァンはその視線に気づいて見つめ返し微笑んだ。
「もちろん、君が罪を犯すことは万が一にもないだろうが」
「わかりましたわ、では殿下がそんなことをしてしまわないよう私十分に注意いたしますわ」
するとシルヴァンはくすくすと笑った。
「大丈夫、君はそんなことをする人物ではないと言い切れる。ただ今回のように君が誰かに陥れられる。そういった事態になることが僕は一番怖い」
そう言うとシルヴァンはアレクサンドラをじっと見つめた。
淡いブルーの光に照らされたその真剣な眼差しに、アレクサンドラは吸い込まれてしまいそうだと思いながら見つめ返す。
「アレクサンドラ、僕はもう二度と君を失いたくない。だからこれからは君をしっかり守りたい。いや、守らせてほしい」
そう言うと、そっと額にキスしアレクサンドラを抱き寄せた。そして耳元で囁く。
「好きだ。このまま、ずっとこの時間が続けばいいのに」
シルヴァンの胸の中が心地よく、アレクサンドラはしばらく体を預けた。
すると、シルヴァンの胸の鼓動がより一層早く強くなるのを感じた。
しばらくそうしていたが、シルヴァンはゆっくりとアレクサンドラから体を離して言った。
「今、君を離してしまわないとどうにかしてしまいそうだ」
そう言って立ち上がると、手を差し伸べた。
「アレクサンドラ、おいで。もう少し洞窟内を散歩しよう」
そう言われ、アレクサンドラが差し出された手を取り立ち上がると二人は歩き始めた。
「アレクサンドラ、10年前も思ったんだが。僕は土ボタルよりも何よりも君の方が美しいと思う」
「な、なにをおっしゃってますの? そんなことありませんわ」
「いや、そんなふうに謙遜するところも他の令嬢にはないところで、僕はとても惹かれる。他の令嬢に同じことを言えば、さも当然といった顔をするだろう」
「それは、それが当然だからですわ」
「でも君はそうしないだろう?」
「そうかもしれませんが……」
「それと、言っておきたいことがある」
そう言うとシルヴァンは立ち止まり、アレクサンドラを見つめた。アレクサンドラはなにを言われるのかと思いながらシルヴァンを見つめ返した。
「君が僕のために考案してくれた焼き菓子だが」
アレクサンドラはハッとして答える。
「申し訳ありません。お口に合いませんでしたわね」
「いや、特別なときに作らせて食べている。それで、僕に名前をつけてほしいとのことだったからつけさせてもらった」
「まぁ、そうでしたの。それでどんな名前を?」
「リヴァートにした」
「リヴァート、ですの? 素敵な名前をつけてくださってありがとうございます」
「うん。僕はリヴァートを特別なときにゆっくり美味しくいただく。これからはそうすることにする」
それを聞いてアレクサンドラは、自分が努力していたことは少なくとも無駄ではなかったのだと思った。
あとでリヴァートという言葉の意味を調べてみようと思いながら、そのあとも他愛のない会話をしながら洞窟内を散歩し屋敷へ戻った。
帰る間際、シルヴァンはアレクサンドラに言った。
「君を幸せにすると誓う。僕をもう一度信じてほしい」
そう言うと、アレクサンドラをギュッと抱きしめ、首筋にキスをすると熱っぽくアレクサンドラを見つめ名残惜しそうに帰っていった。
アレクサンドラは、まるで別人のようになってしまったシルヴァンに今後どう接すればよいのかわからず、ぼんやりとシルヴァンが去っていった闇を見つめた。
そのとき、先に戻っていたセバスチャンがアレクサンドラに声をかけた。
「お嬢様、先ほどのお茶会でのカフスボタンについて大切なご報告があります。すぐに目を通されたほうがよろしいでしょう」
アレクサンドラは気を取り戻して答える。
「あ、あらセバス、なんですの?」
セバスチャンは報告書を無言でアレクサンドラに渡すと言った。
「こちらについては、慎重に対処しなければなりません」
「わかったわ」
アレクサンドラがそう答えると、セバスチャンが下がろうとしたのでアレクサンドラはそれを引き止めた。
「セバス、待って。ちょっとお願いがあるの。リヴァートがどういう意味なのか調べてちょうだい」
「リヴァートですか?」
「そう」
「それでしたらすぐにお答えできます。リヴァートとは、異国の言葉で『愛しい人』という意味でございます」
「い、愛しい人?!」
「はい。では、失礼いたします」
そう言って、セバスチャンが下がっていくと、シルヴァンが言っていた言葉の真の意味を知ってアレクサンドラは戸惑い、このことは考えないことにして自室へ戻った。
昨夜、アレクサンドラは報告書を読んだり、夜遅くまで色々考えてしまって寝付けなかったせいもあり、かなり朝寝坊してしまった。
起きるとすでに昼を回っており、ここまで朝寝坊をしたことがなく、自分で自分に驚いていた。
「お嬢様はここ最近とてもお忙しかったですから、少し休まれた方がいいと思ってお声かけいたしませんでした」
ロザリーはそう言って心配そうにアレクサンドラを見つめた。
「ありがとう、今日はゆっくり休めたわ。もう大丈夫よ」
そう言うと大きく伸びをした。
「なら、よかったです。殿下の誕生会は明日ですから、それまでに体調を万全に整えて置かなくては」
「そうね、とうとう明日なのね……」
「そうですよ、だから今日は予定がいっぱいです。全身パックに念入りなオイルマッサージ、それに髪のトリートメントに……」
「ロザリー、わかっているわ」
「お嬢様、わかっていません! なにか予想外のことがあるかもしれないじゃないですか!」
「なにがあるっていうの?」
「わかりません。でも、なにもないとは言い切れませんよね?」
「確かに、それはそうだけど……」
アレクサンドラは思わず口を噤んだ。
明日は王宮に泊まることになっている。
以前ならなにも起こらないと断言できたが、今のシルヴァンならそういったことが絶対におきないとは言えなかった。
「ほら、お嬢様だってなにか思うことがあるんですよね?」
「そんな、ないわ。ない、ない」
「え~っ! そうですか?! 私はいろんな意味でなにか起こりそうだと思ってますよ!」
そう聞いてアレクサンドラは頭を抱えた。そして、絞り出すように言った。
「と、とりあえず食事を取りたいわ」
「はい、承知しました。ですが、その前に少し散歩をなさってはどうでしょう? 気分転換も必要です。最近そんな暇もありませんでしたし」
「それもそうかもしれないわね」
そう答えながらアレクサンドラは、夢の中でもロザリーに促されて散歩をし、アリスと遭遇したことを思い出していた。




