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西のだんだんと呼ばれるその小さな滝はモイズ村の西側にある山の中腹にあった。
そこへ向かう山道でファイザルはアレクサンドラをとても気づかいながらゆっくりと進んだ。
「ここからは足場が悪いので気をつけて下さい」
ファイザルにそう言われ、アレクサンドラは細心の注意を払ってその後を追った。
途中、開けた場所に出るとファイザルが立ち止まって休憩を提案したので、それに従いアレクサンドラとロザリーは少し休憩を取ることにした。
「あの、こちらから少し村が見渡せます」
ファイザルにそう言われ、アレクサンドラとロザリーは木々の隙間を覗いた。
「お嬢様、私には何も見えません」
ロザリーはそう言ってアレクサンドラの方を振り向くと、突然恐怖の表情を浮かべた。
「ロザリー?」
そう言ってアレクサンドラが後ろを振り向くと、なにかが右の茂みから飛び出しアレクサンドラの背後に立っていた人物を突き飛ばした。
アレクサンドラはなにが起きたのかわからなかったが、しばらくしてファイザルがグラニエに突き飛ばされたのだと理解すると、慌ててグラニエに言った。
「待ってグラニエ。ファイザルはモイズの村長で決して悪い人物ではないの!」
だが、グラニエはファイザルを取り押さえたまま言った。
「いいえデュカス公爵令嬢、彼は今あなたをその棒で殴ろうとしていたのです」
それにロザリーが続く。
「そのとおりです。今、お嬢様を殴ろうとしていたのは私も見ました!」
グラニエがファイザルを無理やり立たせると、ファイザルは悔しそうにアレクサンドラを睨んだ。
「まさか、こんな護衛がいたとはな。まったく厄介な令嬢だぜ」
そう吐き捨てると、突然グラニエの手を振り払おうとした。だが、グラニエがそれを許すわけもなくその試みは無駄に終わった。
グラニエはキツく手をひねりあげると、逃げられないようファイザルの両手と両足を縛りあげた。
「まさかこの期に及んで逃げ出そうとするとはな」
グラニエかそう言うと、ファイザルは鼻で笑った。
「なんとでも。どうせ俺は奴らに消される」
アレクサンドラはそれを受けて慰めるように優しく言った。
「正直に色々話してくれればあなたを保護するわ。証言してちょうだい」
だが、ファイザルはそんなアレクサンドラを一瞥すると馬鹿にするように笑った。
「これだからお嬢様って奴は」
そう言って口をつぐんでしまい、それから一言も喋らなくなった。
それを見てグラニエがアレクサンドラに言った。
「今はこれ以上彼から有益な情報は得られそうにありません。それに彼に関わっている暇はないかもしれませんよ、先を急ぎましょう。目的地はたしか、西のだんだんですね? 場所は私が把握しています。案内します」
そう言って歩き始めた。
「待って、ファイザルはどうするの?」
するとグラニエはファイザルをチラリと見ていった。
「彼はここに置いて行きましょう。どうせ逃げられはしません」
「そう、わかったわ」
そう答えると、アレクサンドラはグラニエのあとに続いた。
西のだんだんに向かいながらアレクサンドラはグラニエに尋ねる。
「ところで、グラニエ。なぜここにいますの?」
すると、グラニエは苦笑いをした。
「殿下の命令です」
「殿下の?!」
「はい。デュカス公爵令嬢に一切触れずに遠くから護衛せよと」
「だから隠れてましたのね。それにしても、殿下はなぜ私の護衛を命令したのかしら」
「それは殿下に直接ご確認ください」
そう答えると、グラニエは前方を指差した。
「西のだんだんはあちらです」
アレクサンドラはグラニエの指差す先を見つめた。そこには流れの急な三段の低い滝が現れた。
「ダヴィドが言ったとおりだわ。ここなら毒を撒いても滝になっているからモワノ領へ毒が逆流することは無いわね」
それにグラニエが答える。
「そんなことが実際に起きると言うのですか?」
「そうよ、そしてそれをお父様や私の仕業にしようという企みがあるの」
「確かに、先ほどのファイザルのことを考えるとその話は否定できませんね。それにファイザルがここに行くのに足止めをしようとしたということは、その計画が実行される時間が近づいているのかもしれません」
「では見張りましょう。なんとしてでも実行犯を生け捕りにしたいの」
それを聞いてグラニエはアレクサンドラを驚いたように見つめた。
「できれば危険な場所には居てほしくないのですが、このまま村に戻ってほしいと言っても聞いてくれませんよね?」
「えぇ、悪いけどここまで来てなにもせず村に戻る気はありませんわ」
グラニエは大きくため息をつくと諦めたように言った。
「わかりました。必ず生け捕りにしましょう」
そして、周囲を確認し茂みを指差した。
「あの場所へ移動しましょう。あそこなら怪しいものが現れたとき直ぐに確保できます。犯人を生け捕りにしても、毒をまかれたあとでは意味がありませんから」
そうして三人は滝の横の茂みに移動した。
それにしても、こんなにタイミングよく犯人は来るだろうか?
そう不安に思っていると、大きめな外套を着て目深にフードをかぶった明らかに怪しい人物が滝の方へ近づいてきた。
アレクサンドラとグラニエは顔を見合わせると、グラニエは無言で頷きそっとその男の背後に近づいた。
男は立ち止まると、懐から瓶を取り出した。
それを確認したグラニエは勢いよくその人物に飛びついた。
「貴様! なにをする!!」
男は手に持っている瓶を決して放さないと言わんばかりに抱え込みながら、グラニエに抵抗する。
だがグラニエは戦いを訓練されている。男の必死な抵抗もむなしくあっという間に地面に組み伏せた。
「くっそー、だから今日は無理だと言ったのに……」
悔しそうにそう呟く男からグラニエは瓶を取り上げアレクサンドラに渡した。
透明なその瓶の中身は美しい緑色の液体で満たされている。
「これは、シェーレグリーンね」
すると、男は叫んだ。
「そのとおりだよ! お前たち貴族のせいで、どれだけの領民が苦しんだと思ってるんだ! これは報復さ!」
そこでグラニエが大きな声を出した。
「黙れ! その毒で何の罪もない領民を殺めようとしたくせに。それにテオドール様も国王陛下もシェーレグリーンの使用を反対した。特にテオドール様は一番最初にその毒性を指摘した人物なんだぞ?!」
すると男は驚いた顔でグラニエを見つめた。
「嘘をつけ! 俺はシェーレグリーンの使用再開をそこの馬鹿令嬢にそそのかされたデュカス公爵が推し進めていると聞いたぞ! 騙されんからな!」
 




