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戸惑う夫

 ハンドルを両手で握ってじっと前を見つめる香澄を見て、隆二は小さく、気づかれないように息を吐きだした。


 仕事から帰ってきた香澄は尋常ならざる気配を醸し出しており、「今日2人で出かけるから。空いてるよね?」と、たぶんきっと怒っているのだろうという態度で隆二をデートに誘ってきた。


 香澄は子供のようにただ不機嫌になってそれを相手にぶつけるということが基本無い人なので、隆二はいったい自分が何をしてしまったのかと戦々恐々とするほかなかった。


結婚して、朱莉が生まれてからほとんど行くことのなかった2人きりのデート。


 2人とも忙しかったということもあるが、香澄と同様に優秀で重要な地位にいる義両親に、夫婦で遊ぶためという理由で朱莉を預けることが申し訳ないというのもあって、これまで2人きりの時間というのは数えるほどしかなかった。まさかこんなテンションで行くことになるとは。


 隆二は少し緊張している。


 交差点に差し掛かり、香澄がブレーキをかけるとお尻の下から振動が伝わってくる。なぜか、今日は香澄の車ではなく隆二の軽自動車で出かけている。


 ならば自分が運転しようかと声をかけたのだが、「いいから。」と冷たく言われてしまえば、香澄より運転の下手な自覚がある隆二から言えることは何もない。


 いつもなら、香澄の話を聞くということが2人の会話内容のほとんどを占めているので、こうなってしまうと車内に漂うのは気まずさだけである。


 仕方なく、隆二は窓の外に目をやってこの時間をやり過ごすことにした。


 窓の外の景色が流れていくのを見ながら、隆二は大学時代、香澄と出会ったばかりのことを思い出していた。




 隆二は、真面目な大学生だった。

 

 いや、真面目でいるしかなかったというべきだろうか。


 大学生と言うのは、今も当時もそうだろうが、「友人をどれだけ作るか」ということがすべてを左右する。進級、研究室配属、就職活動、そして青春といった大学生活で乗り越えなければならないイベントごとの全てに必要な情報は友人を介してやり取りされるため、基本的に一人ぼっちの学生はひどい目に合うことが確定している。


 そんなぼっちゆえに降りかかる悲劇に対抗するただひとつの手段が、極端に真面目でいるということである。


 楽に単位が出る講義を友人に教えてもらえなくても、勉強して普通に単位をとればいい。テスト前に過去問がもらえなくても本当にちゃんと勉強すれば単位が出るくらいの成績は取ることができる。


 研究室配属も就職活動もそうやって自分で調べて、自分でやってみて、失敗を受け入れて、おかれた場所で頑張れば、なんとかつつがなく卒業して就職することはできる。


 そんな、クソほどにつまらなくて、結構苦しいキャンパスライフを送っていたのが隆二だ。


 友人無し、彼女なし、夢無し、趣味無しで、田舎の両親が必死に働いて送ってくれる仕送りを大事に節約しながら使い、勉強や実験だけして過ごす毎日。せっかく親が行かせてくれた大学生活をこんな風にしか過ごせない自分は終わっていると思った。


 どうせ、社会人になってもずっとこんな風な生活が続くのだろうと隆二は思っていた。それどころか、自分は何をやってもなんだか駄目な感じにしてしまう人間なので、今以上に、例えばいるだけで誰かに煙たがられるような、そんな存在になってしまうのではないかと、そんな予感までしていた。


 だから、香澄に声をかけられた時、意味が分からなかった。


 あの日、隆二はいつものごとく馬鹿みたいに講義を聞いていた。


 普通ならサボるような、学期終わりの、テストも出席確認もない、今までの講義資料とネットで調べたことをちょこっと混ぜてレポートを書けば単位が出る、カリキュラムを埋めるためだけの講義を最前列で聞いていた。


 早めに夏休みに入っても、一緒に旅行に行く友人も、金も、気力もなかった隆二にとって、出なくていい講義に出席するということが自分のアイデンティティを保つ唯一の手段だった。


 そんな隆二に香澄は話しかけてきたのだ。


 香澄のことは知っていた。


 どう考えても同期の中で一番かわいかったし、常に講義室の真ん中あたりに座ってがやがやと楽しそうに浮かれている集団の中にいたから、彼女を見かけると自然と目で追っていた。


 そんな彼女が声をかけてきた。連絡先を聞かれて、食事に行くことになった。


 裏で馬鹿にでもされているのかと思ったがそうではなく、マルチの勧誘を疑ったがそれも違った。


 彼女から付き合いたいといわれて、何度もデートに行った。意味が分からなかった。水族館、映画館、カラオケと、自分の選ぶ場所はどれもセンスがなかったが、彼女は楽しんでくれた。


 隆二にとって、自分といてこんなに楽しそうにする人は初めてだった。


 だからこそ、大学を卒業するとき、そのまま付き合いを続けていいものか本当に迷った。いいひとだからこそ、自分といることで悪い影響があるんじゃないのか。彼女の周囲の男たちが自分に投げかけてくる心無い言葉は厭味でも嫉妬でもなく事実なんじゃないのか。そう何度も自分に問いかけた。


 そして、やっぱり別れようとした際に、彼女に怒鳴られて、驚いて、でも嬉しくて、結婚までしてしまった。


 見栄え、収入、生活能力、センス。何をどこからどう切り取って見ても、香澄と自分は釣り合わない。



 隆二は窓の外を見ている。


 2人を乗せる小さな車は隆二と香澄と朱莉が住んでいる都市の中心部からはずいぶんと離れたところまで来ていて、窓を流れる景色が少なくなっている。


 いったいどこに向かっているのだろうか。一言尋ねればいいだけなのに、隆二は香澄に声をかけることができないでいた。


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