異世界
いつものように俺は朝食を済ませると、ベビーベッドの隙間から見える外の景色を、ただ呆然と眺めていた。
「︙︙暇だ」
それもそうだ。前世の記憶を持った俺からしてみれば、空を自由に飛びまわる蝶々や、音の鳴る玩具に興味を示すはずもなかった。いつものように昼食が来るまで寝ているかと考え、横になる体勢をする。しかし、眠くないのに眠ることは難しい。羊でも数えて、自然に眠るのを待とう。
羊が一匹。羊が二匹。羊が三匹。羊が────
「うりゃぁぁぁあああ!」
うるせぇっー! 誰だよ、朝から大声出してんのは!
声がする方に体を向けるため、寝返りを打つ。するとそこには、庭で剣を振りかざす、ゴリラの姿があった。幾ら脳筋とはいえ、この歳で厨二病とは流石に目も当てられない。
ゴリラは背筋を伸ばし、右足を一歩前に出してから、高く上げた剣を振り下ろす。その動作を何度かやり終え満足したゴリラは、剣を鞘に収め、首に掛けていたタオルで体にある汗を拭き始めた。汗を拭き終えると、家の中にある椅子へと腰を掛け、剣を磨き始める。ゴリラは気分がいいのか、鼻歌を歌いながら磨いていた。
「おとうさーん!」
しばらくすると、二階から急ぎ足で、シルヴァが体に似合わない古びた大きな本を持って、ゴリラの元まで駆けつけてきた。
「おぉ! シルヴァ勉強か! 偉いぞー!」
そう言うとゴリラは、シルヴァの髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。シルヴァは嬉しそうに、にんまりとした笑顔でゴリラを見ている。本当にこの家族は、仲がいいんだな。毎日こんな光景があり、ほっこりとさせられている。
「そろそろシルヴァも、魔力が発現する時期だしな! どんな系統の魔法が使えるか楽しみだな!」
「うん! 楽しみ!」
シルヴァはニコニコしながら、大きな本をめくり始めた。
「シルヴァ、まずは全身を巡る血液の流れを感じ取るんだ! 血液の中には魔法を使うのに必要な魔素が含まれているから、その感覚を掴みさえすれば、魔法を扱えるようになったも同然だ!」
そう言われるとシルヴァは、子供らしからぬ真剣さを見せる。
「うーん、むずかしい〜よ〜」
「ガッハッハッ! 確かに俺も小さい時は苦労したもんだ!」
シルヴァにゴリラは魔法を教えようとしていた。こっちの世界でも、プリキュア的なものはあるのだろうか。そんなことを思っていると、シルヴァがいきなり大声を出した。
「お父さん! なんか体がムズムズする!」
「シルヴァそれだ! その中にあるものを、体の外に出すイメージを強くするんだ!」
シルヴァは小さく頷き、目を瞑って力を入れる。しかし、時間が経過するだけで、何も変化は訪れなかった。
(何も起きないじゃないか)
俺はシルヴァの様子を見て、完全に諦めた。多分、日本の漫画やアニメに影響を受け、それを現実に求めてしまったのだろう。そこまで熱狂的なファンを生み出すとは、流石は我が母国、実に誇らしい。俺は今度こそ寝るために、横になるように寝返りを打った。寝返りを打った先にはゴリラの足があり、いい日陰となっていた。
って、なんで俺はゴリラの足元にいるんだ? 俺はさっきまで、ベビーベットの上にいたはずじゃ︙︙まさか、本当に魔法が使えるのか!?
「凄いぞシルヴァ! ランスロットとシルヴァの場所を入れ替えたぞ!」
興奮を隠しきれないでいるゴリラが、地面に転がっている俺を両手で担ぎあげ、ベビーベットの上で嬉しそうにしているシルヴァを見えるようにする。
「や、やった! やったよ、お父さん!」
「今日はお祝いだー!」
そう言うとゴリラは、天井の埃が見える程の高い胴上げを、俺に何回も繰り返した。
「死ぬってぇえええ!」
俺の悲鳴はゴリラには届かず、母さんが来てゴリラが怒られるまで、それはずっと続くのだった。