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アステリオス・ウェストリアからの命令



 二十数年前の森の民の制圧戦から帰還してから、アステリオスは暗い部屋で伏せるようになった。

 病ではないらしい。典医に見せたものの体に問題はないのだという。


 母は病で亡くなった。父も同じ病なのかと思ったが、そうではない。ただ無気力になってしまった。

 光に怯えるようになった。話しかけても、「あぁ」や「うぅ」しか言わなくなった。


 辺境の森で何か恐ろしいものを見たのだ。

 恐ろしいものを見たのか、それとも。森の民たちを虐殺したことで、精神に不調をきたしてしまったのか。


 森で何が起こったのか、シャリオは知らない。

 ただ帰還したアステリオスが「森の民は死んだ。神木は焼いた」と言っていたので、一方的な虐殺が起こったのではないかとシャリオは考えている。


 森の民が噂の通り魔獣を従え予言の力を使えるというのなら、王国軍の襲来の未来も見えていたのではないのか。

 抵抗に合ったのならばもっと長く激しく戦は続いていたはずだ。

 けれど王の軍の帰還は早かった。


 いずれにしてもシャリオがまだ幼い頃のことなので、記憶は確かではないし、記録もあまり残っていない。

 森の民についてはそれがどういう存在なのか王国民には伏せられていた。

 いないものとされていたのだ。

 いないものを討伐するのもおかしな話だが、いないのに、いる。

 知っている者は知っている。


 そこにあるのに触れることのできない雲のような存在である。


 国王はないものを討伐にしに行ったとも言える。その後ある程度は公表されることとなった。

 国王が軍を動かしたのは、まつろわぬ民を打倒するため。王国に従わない、王国にあだなすものたちを討伐したのだと。


 とはいえ、そういった情報が王国全土に広がるわけではない。

 王家に近い者たちや、情報に通じている者たちならば知っている程度だ。ほとんどの民は、そういったことには興味がない。彼らは彼らの生活で手一杯である。


 今更ハーミルトン伯爵が己の母について訴えにきたのも、無理もない話ではある。

 母が亡くなり、アステリオスが玉座に座れなくなってから、シャリオが王に変わって政を行なってきたのだ。


 母のきちんとした葬儀を行うのに一年以上の時間がかかり、兵士たちに戦働きの褒美を渡すこともままならなかった。

 城の中はもちろん混乱していたし、その当時は、森の民どころではなかった。


 若かった。若過ぎた。様々な者がシャリオの元を訪れては、自分勝手なことを言って去っていく。何が正しいのかなど判断することは難しく、その頃の記憶は曖昧だ。ただ、母の死に際の言葉ばかりが鮮やかに思い出される。


 だから、今更なんだというのだ。

 アステリオスが謁見の間に姿を現した時、シャリオの心に浮かんだのは気力を取り戻した父に対する喜びではなく、怒りだった。


「シャリオ。その者たちの話を信じた方がいい。かつて私は、森の民を殺し、世界樹を焼いた。森の民は言ったのだ。世界樹を焼くなど恐ろしいことだ。お前たちが自分の土地だと信じている場所はお前たちのものではない。必ず滅びが訪れると」


「……滅びですか、父上」


 シャリオは玉座から立ち上がり、よろめきながら近づいてくる父に玉座を譲った。

 久々に触れた体は、驚くほどに冷たい。


「あぁ。滅びだ。いつか必ず、滅びが訪れる。お前は大地を滅ぼす王となったのだと言われた。私はそれが恐ろしく、世迷いごとだと思えどどうしようもなく怖かった。しかしその少女が、我らに光を齎してくれた。捕えるべきはその少女ではない。姉だ。そして、落雷の悪魔だ。ウルフロッドに兵を向けろ、シャリオ。森の民の残党が、残っているのだ」


「ウルフロッドには辺境伯がいます。先に連絡をとって、真偽を確かめる必要がある」


 もしかしたら、今までウルフロッドに赴かなかったのは、父と同じで自分も恐ろしいと思っていたからかもしれない。

 罪のない人々を殺した王の子供である自分が、辺境に足を踏み入れることを禁忌と感じていた。気づかないうちに。

 辺境の惨状を知って、己が罪人の子供であることを認めてしまうのが、怖かった。


 母は人は神になれないと言った。

 しかし心のどこかで、自分は神だと思い込んでいた。神に間違いなどあってはならないと。

 全て、正しいのだと──思いたかった。


「シャリオ、私に逆らうのか? お前は王のように振る舞っているが、王は私だ。お前は神ではない。王に逆らうことは神に逆らうことと同義だ。場合によってはお前を投獄する必要がある」


「父上、何をおっしゃるのですか。私は今まで、あなたのために……」


「実の父に恩を売ろうというのか?」


「そういうわけでは」


「彼らを離せ。彼らを預言者として厚遇しよう。やるべき道は示された。落雷の悪魔は辺境に向かい飛んだという。お前は軍を率い、ウルフロッドの森の民の残党を滅ぼせ」


「……わかりました」


 シャリオは胸に手を当てると、深々と礼をした。

 アルシアやディーグリスが、得意気な笑みを浮かべている。

 兵士たちが下がっていく。シャリオは「ルベルト、出立の準備を」と言って、謁見の間を後にした。




 

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読んでます! なんとなく二分されてきたかな、王都に滅ぶ(かも)の人が残り、辺境にまだ理解ある人が集まってくる? 衝突はあるかもだけど、新しく再生に向かえそうかな? もしく…
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