王国の異変
森の奥にある深い洞窟の風穴から鳴る風のような低く太い轟音が、空気を震わせた。
鈍色の瞳と漆黒の体を持つ、子供が暗闇を粘土細工のようにして作った鳥が空から飛来する。
鳥は、二階建ての民家よりもずっと大きい。
その巨大な鳥が翼を羽ばたかせると、闇色の羽が刃のように幾本も放たれて、王都の美しい建物や張り巡らされた門を、石壁を抉った。
投石器による一斉投石が行われたように、強靭な石壁は抉り取られて、屋根にも外壁にも穴が開く。
「化け物だ、逃げろ!」
「皆、家の中に! 避難しろ、早く!」
危険を知らせる鐘の音が王都に鳴り響く。鳥は逃げ惑う人々を嘲笑うかのように、その嘴で土の中のミミズを掘り起こすように逃げる人々をつつき、摘み、飲み込んだ。
「弓を持て! 撃て!」
異変に気づき駆けつけた騎士団が、怪鳥に弓を射掛ける。
飛び回っているが、的は大きい。放たれた矢は怪鳥の翼を射抜き、体を射抜き、その体を霧散させた。
まるで、影が日に溶けるように、怪鳥は消えていく。
後には抉られた地面や建物、食い散らかされた人々の肉片だけが残った。
同日、王国各地を闇の獣が襲った。
闇の獣の襲撃の前から異変に気づいている人々も少なくはなかった。
作物が取れなくなっている。畑の作物の生育がどういう理由か悪くなり、川の魚も森の獣もどこかに姿を消して行っている。
崩壊の足音がすぐそばまで迫ってきており、空を駆ける黒い悪魔の姿を多くの人が目撃した日に、それは一気に弾けたのだ。
シャリオは各地から異形の目撃と被害の報告を受けていた。
「殿下、ハーミルトン伯爵がどうしても話したいことがあると面会を求めております」
「ハーミルトン伯爵?」
シャリオの側近であるルベルトが言う。
ただでさえ訳のわからない異形と怯える民をどうしたものかと頭を悩ませているというのに、この忙しい時にどういうつもりだとシャリオは眉を寄せた。
ハーミルトン伯爵家といえば、ルベルトが婿入りする先の家である。
確か、ハーミルトン伯爵家に嫁入りをした伯爵の妻が侯爵家の出で、ルベルトは伯爵の妻の甥にあたる。
自分の娘と甥に婚姻を結ばせるというのは、よくある話だ。
血筋を大事とする貴族には、近親婚を繰り返すものもいる。
シャリオはあまりそれをいいことだとは思っていなかったが、王国では兄妹はさておき従兄妹同士の結婚は認められている。
「お前の婿入り先の家で親戚筋であっても、私は厚遇するつもりはない」
亡くなった母の残した言葉通り、シャリオは公平な目で世界を見ているつもりだった。
人と人が集まれば、そこにはどうしても情が生まれる。
情は目を曇らせる。昔から側にいる側近であり、友人でもあるルベルトの血縁者だとしても、贔屓するつもりなどなかった。
この忙しい時に面会など、迷惑でしかない。
「わかっております、殿下。ただ、ハーミルトン伯爵は、森の民についての話があると言っているのです」
「森の民、か」
ルベルトは真面目な男だ。
ハーミルトン家の婿入りについては、親がそうしろというのでそうするだけだと淡々と言っている。
城勤めしているために伯爵家に行ったことはなく、結婚するまでは妻の顔も見る必要はないと考えているようだった。
お前の嫁はどんな女だと聞いても「知らない」と答えるばかりである。
真面目と冷淡、その紙一重の位置にいるルベルトがハーミルトン伯爵だから面会をさせようとしていると考えるのは、そもそも間違っていたのかもしれない。
森の民とは、かつて父が打ち果たしたウルフロッドの奥地に住むまつろわぬ民である。
未来視の力を持つという彼らと、シャリオは話をしてみたかった。
だから、森の民の生き残りがいれば城につれて来るようにと、国中にお触れを出していた。
とはいえ、父が滅ぼしてしまったのだ。本当に根絶やしにしてしまったのか、今の今まで森の民がいたという噂が耳に入ってきたりはしなかった。
「わかった、話を聞こう」
王国各地からの伝令が持ってきた被害報告書を読んでいたシャリオは、執務室の椅子から立ちあがった。
闇の獣。
皆がそう呼ぶ異形が、王国の街や村を襲っている。
それは王都に現れた怪鳥の姿だけではなく、虎や、狒々や、狼の姿をしている。
いずれにせよ、民家ほどに巨大で、矢で射り剣で切ると、風に溶けるようにして消えてしまう。
実態のない、影のような獣だ。
獣は人を襲う。理由はわからない。狼ならば家畜を襲うが、闇の獣は人を喰らう。
だが、食べるために襲っているわけでもないらしい。ただ襲うために襲っている。そんな印象である。
「……魔獣」
辺境の地にいる魔獣が解き放たれたのだろうか。
雷雲もないのに落雷が落ち、空を飛ぶ黒い悪魔の姿を見たという報告もある。
悪魔が、魔獣を連れてきたのか。
謁見の間に足を運ぶと、そこにはすでにハーミルトン伯爵とその妻、そして娘と思われるものたちが、膝をついていた。




