食料のない家
ジオスティルはシャルロッテの腕を掴んだまま、逡巡するようにしばらく黙り込んでいた。
それから、薄い唇を開く。
「食料は、探しても多分、ない」
「え……え、まってください、待って、辺境伯様……!」
「ジオスティルでいい」
「で、では、ジオスティル様。ええと、その、ジオスティル様は何を食べて生きているのですか? 最後に食事をしたのはいつなのです……!」
シャルロッテは慌てて言った。
シャルロッテでさえ、一日一回は乾燥したパンや干し肉を与えられて生きていたのだ。
それなのに、食料が何もないとは。
水ものまず、食事もしないで生きている人など、シャルロッテは知らない。
それは人ではない、何かだ。
「俺は、魔獣ではない。人間だ」
「魔獣とは、ご飯を食べずに生きられるものなのですか? 魔獣とは思っていませんけれど、本当に吸血鬼なのかなって思いました」
「吸血鬼とはなんだろうか」
「それはまた今度説明します。そんなことより、お屋敷に食料がない理由を教えてください」
シャルロッテの訝しげな視線に気付いたのか、自分は人間だと主張するジオスティルに、シャルロッテは尋ねる。
「それは……あるには、ある。木の実、などが。……しかし、あまり食べるとなくなってしまうから、たまにしか食べない。それに、食欲もない。寝ている時間が長いせいで、あまり腹も空かない」
「ジオスティル様……街の市場などにお買い物には行かないのですか? お金があるのだから、届けて貰えばいいではないですか」
「辺境では常に食料は、不足している。俺が、街の者たちの分の食料を、奪うわけにはいかない。届けさせるなどという、危険なことも頼めない」
「……色々事情があるのですね、わかりました」
ジオスティルの言っていることが、シャルロッテにはあまりよくわからなかった。
グリーンヒルドでは、市場に行けば食べ物が手に入った。
といってもそれは、シャルロッテの食べる分ではなくて、ハーミルトン家の者たちや、シャルロッテ以外の使用人たちの食べる分だったのだが。
ハーミルトン伯爵家では、使用人が次々とやめていった。
ひどい扱いを受けているシャルロッテや、傲慢な伯爵家の者たち、それに感化されるようにシャルロッテを嘲笑い、仕事を押し付ける使用人たちに耐えかねて──心ある者たちから、姿を消していった。
あとに残ったのは、心ない者たちばかりだった。
使用人の分の食事を、シャルロッテの分を残さずに全て平らげて「お前は後片付けでもしておけ」「古くなったパンと、野菜クズがあったでしょう? 捨てるのは勿体無いのだから、食べておいてちょうだい」などと言って、せせら笑うのだ。
それでも、食事がない──ということはなかった。
ジオスティルが我慢しなくてはいけないほどに、街の人々は飢えているのだろうか。
(ここまでくる時に見た辺境の土地は、とても広いから……野菜だってたくさん、育てられそうなのに。水だって、たくさんあるし、森もあるから、食料は豊富な気がするのに)
詳しいことはわからない。
けれど今は食事が先だと、シャルロッテは意志の強い輝く瞳でジオスティルを見上げて、安心させるように微笑んだ。
「わかりました、ジオスティル様。私、家を出る時にパンと干し肉を持ってきているんです。ご飯がなかったら食べようって思っていて……でも、ゲルドさんが美味しいご飯をたくさん食べさせてくれたから、両方まだ食べずに、余っているんですよ」
「それは、君の分だ」
「私はたくさん食べて元気いっぱいですから、大丈夫です。ジオスティル様、干し肉は硬いですし、パンもカチカチになっていますから、少し煮て柔らかくしてきますね。ジオスティル様が食べられるように」
「……シャルロッテ。俺は大丈夫だ。君はここから、自分の家に帰らなくてはいけない。どんな事情があっても、ここにいるよりはずっと、まともだ」
「それは……そんなことはないです、多分」
ジオスティルは事情を知らないから、そんなことが言えるのだと、シャルロッテは一瞬思った。
けれどすぐにその気持ちを打ち消した。
シャルロッテはジオスティルに何も話していないのだから、そう思われるのは当たり前だろう。
どうやら魔獣というのは危険な存在で、辺境の地に住むことが難しいぐらいにはたくさんいるのだと、理解できた。
「シャルロッテ……俺は今、君を傷つけるようなことを、言っただろうか」
「いいえ! そんなことはありません。ジオスティル様、もう少し横になって待っていてくださいね。すぐにできますから」
シャルロッテはずっと、ジオスティルに腕を掴まれていることに気づいた。
その手を優しく取って外して、そっと背中を押して、ベッドに案内する。
(ジオスティル様は、優しくていい方。領民たちのために食事を我慢して、私の表情で、私の気持ちにすぐに気づいてくれた)
病人を放っておけないと、シャルロッテは思っていた。
けれどシャルロッテの気持ちは、病人という記号のついた誰かではなく──ジオスティルを放っておけない、というものに変わり始めていた。
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