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花のように虹のように



 シャルロッテは、離れようとするジオスティルの手を指を絡めて握りしめる。

 シャルロッテの手よりも関節一本分ほど指が長い。手のひらも硬くて大きい。


 森の奥にある神秘的な湖のような瞳が困惑に揺れている。


「すまない、シャルロッテ。嫌だっただろう、怒っていい」


 うまく言葉を紡げなくて、シャルロッテは首を振った。

 嫌なわけがない。シャルロッテはずっと、ジオスティルに会いたいと思っていた。


 ウルフロッドを離れた日から、思い浮かぶのはジオスティルのことばかりだった。


 ちゃんと食べているだろうか。眠れているだろうか。無理はしていないだろうか。

 気分が悪くなっていないか、吐き気は、眩暈は。


 倒れていないか。皆とは、仲良くしているだろうか。


 そんなことばかりを考えていたし、辺境に移住してきたモネと恋に落ちるかもしれないなどと想像して、悲しくなったりもした。

 この感情はいけない。自分にはふさわしくない。


 いつかジオスティルは、ふさわしい人と結婚をするのだから。

 それはどこかの貴族の娘だろう。家族から見捨てられた何もない、本当に何もない自分はジオスティルのそばにいてはいけないのだと。


 そう、自分に言い聞かせていた。

 

 一人で大丈夫。誰にも迷惑をかけたくない。誰かに頼ってはいけない。

 そう言い聞かせてきたのに──ジオスティルの顔を見たら安堵した。

 抱きしめられて口付けられると、胸が震える。痛みと、喜びに。


「……ジオスティル様、私は……私は」


 伝えてもいいのだろうか。いつかは離れなくてはいけないけれど。

 短い間でもいい。思い出として、きちんと心にしまってジオスティルの元から離れる覚悟を、ちゃんとするから。


「シャルロッテ。……俺は、君が好きだ。いないとわかっているのに、君を探してしまう。君の声ばかりが、頭に響く。ウルフロッドから君がいなくなってから、毎日君のことを考えていた。不安で、仕方なかった」


 シャルロッテが伝える前に、ジオスティルは静かな、けれど激しい熱のこもる声で言った。

 二人きりの部屋に響く言葉が、部屋の温度を急速にあげていく。

 あがっているのは部屋の温度ではなく、つながれた手の触れ合う皮膚と、自分の体温だとシャルロッテは気づく。


 うるさいぐらいに胸が高鳴っている。

 喜びが胸を満たしていく。小さな棘は、刺さり続けている。

 こんなことはいけないのだと、理性は叫び続けているのに、感情が理性を覆いつくしてしまう。


「私も、あなたが……好きです。……ごめんなさい」

「シャルロッテ……本当に?」

「はい。本当、に。……いけないのに、こんなのは、よくないのに。ごめんなさい、ジオスティル様」


 聞かなかったふりをして、何もされなかったふりをして、夢で終わらせることなどできない。

 拒絶することもできない。いつの間にか、シャルロッテの心はジオスティルで埋め尽くされていた。


 ここにきてからの色々な記憶が脳裏をよぎる。

 ここにいていいと言ってもらった。

 優しくしてもらった。

 一緒に夜明けを見て、一緒に眠った。

 みんなでお祝いをして──シャルロッテの隣にはいつもジオスティルがいた。


 優しい人が笑っていられる場所を守りたいと思った。それは他の誰でもない。ジオスティルだったからだ。

 胸に生まれた小さな蕾はいつしか大輪の花となり、雨降りの空には虹がかかっている。


「どうして、謝る?」

「……きっと忘れます。いつか、離れます。だから……今だけは。あなたを、好きでいたいです」

「シャルロッテ。君の気持ちを、教えてくれ。俺は、人と話すのが上手くない。感情にも、疎い。だから、どうして悲しいのか、知りたい。俺は……君に好きだと言ってもらえて、泣きたくなるほど嬉しいのに」

「ジオスティル様は、辺境伯様です。……私は、伯爵家から売られました。私には何もないのです。だから、あなたにはふさわしくありません」


 瞳が潤まないように、泣いてしまわないように、シャルロッテは慎重に伝える。

 事実を事実だと伝えるように。

 ジオスティルは眉を寄せた。一瞬怒った顔をした後、シャルロッテの手を引き寄せて抱きしめる。


「君がそう思うのなら、俺は立場なんていらない。俺は君がいればそれでいい。そう思ってしまうんだ。……君がいない場所に、価値を感じない。君のいない世界に、興味が持てない。好きだ。君が好きだという感情だけが、全てになってしまった。ふさわしくないなんて、誰が決める?」

「それは……」

「そんなことはどうでもいいんだ、シャルロッテ。君が俺を好きだと言ってくれる。その事実だけがあればいい」

「……ジオスティル様」

「どこにもいかないでくれ。君以外はいらない。俺から離れようなどと、思わないでくれ。……その、俺が、嫌いというなら話は別だが」


 もう一度シャルロッテは首を振る。

 嫌いになどなれるわけがない。

 こんな感情を向けられて、嫌いになんて、なれるわけがない。

 芽生えた淡い感情は、もう無視できないぐらいには大きくなっているのだから。


「……好きだ、シャルロッテ」

「私も……」

「もう一度……その、口付けても、いいだろうか。先ほどは勢いでしてしまったから、もっときちんと、したい」

「……は、はい。いつでも……お願いします」


 視線が交わり、恥ずかしくなってシャルロッテは目を伏せた。

 先ほどより優しくゆっくり丁寧に、唇が触れる。

 まるで時が止まってしまったみたいに、触れ合う感触だけがシャルロッテの全てになった。



お読みくださりありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読んでます! やっとふたりとも素直になれましたね~ 離れてみて本当の気持ちに気づけたのかな、いつも一緒だといつでも言える(会える)と安心感から言い出せずにいることもあるしね…
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