ゲルドの危惧
ヴィルクラウス商会の中に踏み込んできたゲルドは、抜き身の剣でためらいなどなくエゼルを切りつける。
エゼルはその剣を受けた。腕が震えるような重い一撃に口角を吊り上げる。
「なんだ、ゲルドじゃねぇか。お嬢さんの恋人ってのは、あんたのことか、まさか」
「そんなわけねぇだろ。シャルロッテは俺の依頼主だ。返してもらうぞ」
「ゲルドさん……!」
ここは危険な場所だ。助けに来てくれるとは思わなかった。
シャルロッテは思わずゲルドの名前を呼んだ。心配と喜びと安堵と不安。相反する感情がぐちゃぐちゃに入り混じったような声音だった。
ゲルドはエゼルの剣を力任せにはじき、その胸を足で思い切り蹴り飛ばした。
「シャルロッテ、無事か!」
「は、はい! 大丈夫です!」
「逃げるぞ」
「はい!」
「逃がすな! お嬢ちゃんは俺の商品だ! 捕まえろ……!」
エゼルの命令で、シャルロッテに男たちの手が伸ばされる。
掴まれそうになったシャルロッテは、咄嗟に男に向けてナイフを突き出した。
必死だが、頭のどこかは冷静だった。
膝を曲げ腰を落とし掴もうとする手を避け、シャルロッテのナイフは男の頬を浅く切った。
「この、女――っ!」
「ロッテ、相手をするな! 来い!」
「……っ、ごめんなさい!」
浅く切れた頬から、血の雫が落ちる。
切られれば、痛いだろう。思わずぺこりと頭をさげて謝るシャルロッテの腕をゲルドが掴む。
「こんな連中に謝る必要はねぇよ。行くぞ!」
「待て! 追え! 捕まえろ!」
「エゼル、シャルロッテに手出しをするな! お前は何もわかってない。お嬢さんに何かしたら、お前はおそろしいものを見ることになるぞ」
おそろしいもの――とは、何だろうか。
シャルロッテは遠慮がちに「ゲルドさん、私には特別な力とかはないですよ」と言った。
森の民の血が流れているというだけだ。シャルロッテはジオスティルのように魔法が使えるわけではない。
「お嬢さんも何もわかってねぇ。ともかく、逃げるぞ。こんな連中の相手をして、死人を出して捕まるのはごめんだ」
建物の中にはもっと多くの者たちがいるのだろう。
シャルロッテを庇いながらゲルドが幾人かを剣の柄で殴り蹴り飛ばして床に沈めたものの、次々と奥の部屋から剣や鉄の棒を持った男たちが出てくる。
エゼルも起き上がり、燃えるような瞳でゲルドを睨みつけた。
「何をわけのわからねぇことを言ってるんだ。ゲルド、荷運びなんてはじめやがって、もう戦えねぇと思ってたが、腕はなまってねぇじゃねぇか」
「うるせぇな。てめぇもろくでもねぇ商売してんじゃねぇよ。情けねぇ」
「荷運びがそんなにいいか?」
「少なくとも、人の命を売り買いしてるてめぇらよりは崇高だ」
襲い掛かってくる男たちの剣をはじいて、ゲルドはシャルロッテと共に建物の外に出る。
扉から出ると、明るい光が網膜を焼いた。
眩しい白い光の中に、荷馬車がとまっている。
「父さん、ロッテちゃん! 乗って!」
荷馬車に乗るモネが、大きな声でシャルロッテたちを呼んだ。
ゲルドとシャルロッテが荷馬車の荷台に飛び乗ると、モネはすぐさま馬の手綱を引いて馬車を走らせる。
荷台の荷物の上にしがみつくように座ったシャルロッテと、シャルロッテの頭にしがみついていたウェルシュは、同時に「はぁ」と安堵の溜息をついた。
「安心するのはまだ早いぞ、嬢ちゃん。エゼルはしつこい。追ってくる」
ゲルドの言葉通り、エゼルはわらわらと館から外に飛び出してくる男たちに何かの指示をしている。
その姿はどんどん小さくなる。モネが馬に鞭をいれて走らせていた。
「走るのよ、蒼月! 赤月! いけ!」
「おい、モネ。ほどほどにな! 人をはねるなよ!?」
「任せてちょうだい、父さん!」
生き生きしながら、モネが馬車馬を操る。
ゲルドは額に手を当てて「モネは馬が好きでな」と呟いた。
王都の扉を抜けたところで、馬に乗った男たちが荷馬車を追いかけてくる。
荷車を引く二頭の馬に対して、ただ人を乗せているだけの馬は有利だ。
徐々に追手との距離は縮んでいく。
騎乗した男たちの先頭には、エゼルの姿がある。
「待て! お前たち、荷馬車を囲め!」
「しつこい男だ」
『ほんと、しつこい! 嫌い!』
ゲルドが眉を寄せて嘆息する。
ウェルシュがシャルロッテにしがみつきながら言った。
すっかり王都が見えなくなったところで、荷馬車と騎馬たちの距離はほんの目と鼻の先まで迫ってきている。
モネは二頭の馬を励まし続けていたが、重い荷物とシャルロッテたちを乗せているのだ。
馬には疲れが見え始めていた。
「追いつかれる……!」
「くそ! やるしかねぇか」
ゲルドが剣の柄を握って、荷馬車から飛び降りるために荷馬車の上に積まれた箱に足をかけた。
だが、ゲルドが鞘から剣を抜く前に、何本もの落雷が獣の咆哮のような轟音と共に地面を焼いた。




