モネ・フラウベル
ベーコンのごろごろ入ったポトフとパン、刻んだリンゴが入ったアップルティー。
ゲルドの娘、モネ・フラウベルは、シャルロッテの歓迎のために豪華な食事を用意してくれた。
「お父さんが若い女性を連れてくるなんて初めてのことだから、驚いてしまって。ごめんなさいね。本当に、人攫いかと思ったのよ」
「実の父親を人攫い扱いするんじゃない、モネ」
「だって人を攫いそうな顔をしているもの。ねー、ロッテちゃん。そう思わない? 無愛想だし」
「ゲルドさんは優しい方だと思っています。ずいぶん、助けていただきました」
遠慮がちにスープを口に運びながら、シャルロッテはこたえる。
厩で馬車馬たちを休ませるのを手伝い、途中の街で依頼された王都に運ぶ荷物を盗まれないようにひとまず倉庫に入れて、今だ。
モネの趣味なのだろう、ランプや敷物、植物などでまとめられた食堂は、無骨なゲルドの家とは思えないぐらいに可愛らしい。
「まぁ……! ロッテちゃん、お父さんと結婚する? 私としては大歓迎よ」
「モネ、いい加減にしないか。シャルロッテは、辺境伯の……あー……なんだ、恋人、か」
「ゲルドさん、それは……」
「そう言っておいた方が色々都合がいいんだよ。モネのように、妙な勘ぐりをしてくる馬鹿も多いからな」
「実の娘に馬鹿って言わないで」
母を亡くしたというモネは、そんなことを感じさせないぐらいに明るい。
シャルロッテと同じ十八歳で、今は近所の畑を手伝ったりして過ごしているのだという。
シャルロッテが王都に来た目的を伝えると、眼鏡の奥の瞳を丸くして、ゲルドを覗き込むようにした。
「辺境で、兵士の募集? それなら、お父さんこそ移住するべきじゃないの?」
「何故、俺が」
「だって、お父さん好きで荷運びなんてしていないでしょう? 私のためじゃない。傭兵をしてた頃のお父さん、格好よかった。お母さんの自慢だったのよ?」
「……昔の話だろ」
「本当は戦いたいくせに。もう戦えないみたいな顔して、困っちゃうわ。ロッテちゃんからも言ってちょうだい、老け込むにはまだ早いって」
「でも、モネさん。ゲルドさんは、モネさんのために……」
「もう十八歳なのよ、私。それにお父さんが辺境に移住するのなら、私も行くわ」
「……ミーナの墓はどうするんだ」
「年に一回ぐらいは、お墓参りに来れるでしょう? お父さん、王都と辺境を何度も行ったり来たりしてるんだから。お母さんも笑ってる許してくれるわよ。それより、鬼神のゲルドが戻ってきたって喜ぶわよ」
ゲルドは「馬鹿なことを言うんじゃない」とその話を終わらせた。
その日の夜、シャルロッテがゲルドの家の客室で眠りにつこうとすると、遠慮がちに扉が叩かれた。
二人分のスパイスラテを持ったモネがシャルロッテの部屋を訪れて、カップをベッドの側のサイドテーブルに置くと、ベッドに並んで座った。
「小さい家で、ごめんなさいね。客室って言っても、ベッドぐらいしかなくて」
「とんでもないです。泊まらせていただけて、ありがたいです」
『ねぇ、ロッテ。そろそろ出ていい?』
ごそごそと、ウェルシュがシャルロッテの服から顔を出す。
モネは少し驚いて「その子が精霊なのね」と秘密を共有するような密やかな声で言った。
『それは何? 美味しいの?』
シャルロッテはウェルシュのためにティースプーンにスパイスティーをひと匙すくうと、ソーサーの上に置いてあげた。
ウェルシュはテーブルにペタンと座り込んで、ウェルシュにとっては大きなティースプーンを持ち上げると、スパイスティーをこくんと飲んだ。
『甘い! 甘くてピリピリする! 美味しいわ!』
「甘くてピリピリして美味しいそうです」
「そうなの、よかった! 精霊って、可愛いわね。物語に出てくる妖精みたい」
『あたしたちの姿を見たニンゲンは、あたしたちを妖精って呼ぶこともあったわ』
「妖精って呼ばれていたこともあったみたいです」
「ロッテちゃん、精霊の言葉がわかるのね。不思議だわ」
モネとシャルロッテは初対面だ。
けれどモネは気安く、話していると昔からの友人のように思えた。
シャルロッテには同年代の友人などいなかった。モネと話していると、心が弾むようだった。
「あの、さっきのことなんだけど」
「移住の話ですか?」
「うん。そう。……気を悪くしないでね。お父さん、多分本当は移住したいって思ってるのよ。でも、……お母さんが病で死んでしまってから、塞ぎ込んでしまってね。前よりも無口になったし、弱々しくなったわ」
「……そうなのですね」
ゲルドはモネに母親を看取らせてしまったことを気に病んでいた。
それを伝えるかどうするか、シャルロッテは悩んだ。
けれど結局言わなかった。言わなくてもきっとモネは、わかっているだろう。
「お母さんは、戦っているお父さんが大好きだったから。私も以前のお父さんに戻って欲しいって思っているの。……それにね、私も辺境に行きたいのよ。ここは悪いところじゃないけれど、……お母さんのことがあってから、みんな私たちを腫れ物に触れるように扱うのだもの。もう大丈夫なのに」
「……モネさんは、街に大切な人などは、いないのですか?」
「恋人のこと?」
「え、ええ……」
「いないわ。ゲルドの娘だってみんな知ってるから、とてもお付き合いなんてしてくれないのよ。みんな、お父さんが怖いのね。辺境には年頃の男性がいるかしら。結婚相手が見つかるといいけれど」
モネはイタズラっぽく笑った。
魅力的な人だ。年頃の男性というと、イリオスや、アスラム。
それから、ジオスティルも。
シャルロッテはジオスティルとモネが並んで微笑みあっているところを想像した。
少し、胸が痛んだ気がした。
それは気のせいだろう。結婚や恋人などと、皆がジオスティルとシャルロッテについてからかうから、勝手に心が勘違いしているだけだ。
ジオスティルに恋をしてはいけない。それは、自分には相応しくない。
「ロッテちゃん、辺境伯様を奪おうなんて思っていないわよ?」
「え……」
「不安だって、顔に出てる。恋する乙女の顔ね」
「そんなことはない、です」
「あなたにそんなふうに想われる辺境伯様は幸せよ。遠く離れていても、自分を思い出してくれるのだから。……もちろん、私も。私を思ってお父さんが荷運びをしてくれていることを、知っている。でもそろそろ、自由になって欲しいのよ」
モネはスパイスティーを飲み干すと、「カップはそのままにしておいていいからね」と言って、シャルロッテにお休みを言って出て行った。
シャルロッテは胸を手で押さえる。
ジオスティルと過ごしたのは、二週間だ。
シャルロッテの十八年の人生の中で、たった二週間。
けれどどの時間よりも、貴重で優しく、密度の濃い時間に思えた。
シャルロッテと、優しく穏やかな低い声で呼ばれたいと、思ってしまう。
気づけばいつでも隣にいた体温が、恋しいと、思ってしまう。
シャルロッテはパタンとベッドに倒れ込んだ。
会いたいという気持ちは──やはり、恋なのだろうか。




