あさねぼう 1
もう──夜通し起きている必要はない。
魔獣からウルフロッド家に住む人々は守られるようになった。
テーブルや食器を片付けて、シャルロッテは館の中に戻っていく皆に「おやすみなさい」と挨拶をする。
酔い潰れたアスラムを、イリオスとシルヴェスタンが抱えて連れて行く。
ロベルトが「シャルロッテちゃんに似合うデザインはなんだろう……花かな、星かな、ハート型は少し、子供っぽいか……」と、ぶつぶつ呟きながら部屋に戻っていく。
ウィリアムやハンナ、ロサーナたちが、ジオスティルに深々と頭をさげた。
皆が部屋に入って、サラマンドとアマルダも姿を消した。
ぷにちゃんの上でウェルシュは丸まって、すやすや眠っている。
「ジオスティル様、お部屋に戻りましょう? 今日は、朝まで眠れます」
「あぁ……だが」
「見張りをするのですか?」
「……万が一何かあったらと思うと、落ち着かない」
『大丈夫です。私が見ていますから。おやすみなさい、二人とも。安らかな眠りを』
どこからともなく、サラマンドの声がした。
(精霊の声が聞こえたというおばあさまは、こんな感じだったのかしら……)
姿は見えないけれど、声がする。
この声で、シャルロッテの祖母は、未来のことを知り予言として皆に伝えていたのだろうか。
「サラマンド様がいらっしゃるから大丈夫です。そう、おっしゃっています。……ジオスティル様、お疲れでしょう? だから、休みましょう。沢山休んで、明日からまた頑張りましょう?」
「しかし、俺は」
ジオスティルは空を見上げる。
聖火が照らす星空は、いつもよりも明るい。
「頭では、理解している。ただ、眠っている間に、何かあったらと思うと。……それに」
「それに?」
「罪悪感が、ある。――俺が眠っている間に、多くの人が、命を落とした。……両親も」
「ジオスティル様」
それはあなたのせいではない――と言っても、きっとジオスティルの心はその言葉を拒絶するのだろう。
切なくなるぐらいに優しい人だ。
どんな言葉も行動も、その罪悪感を取り払うことなどできない。
では――自分には、何ができるだろう。
傍にいると伝えること。
私がいるから大丈夫だと、励ますこと。
どんな言葉も、きっと、軽薄に聞こえてしまう。
シャルロッテはきゅっと唇を噛んで、次々と浮かんでは消えていく言葉たちを、喉の奥へとしまいこんだ。
ジオスティルにとって、体調が悪くて仕方なく眠るというのはまだ許せるのだろう。
どうしても、どうしようもないときに、気絶するように眠ってしまえば――それは仕方のないことだと納得することができる。
けれど夜は、魔獣が出る。魔獣が出る夜に眠ってしまって、ジオスティルの両親や辺境伯家の者たちが亡くなった。
その傷は、シャルロッテが想像もできないぐらいに深い。
きっと、ひどいことも言われただろう。冷たい視線を、向けられただろう。
そんなことよりもたぶんきっと、ジオスティル自身が、自分自身を責める気持ちの方がずっと強い。
シャルロッテはジオスティルの手を握った。
大丈夫だという気持ちを、精一杯込めて。
それからその手をぐいぐいとひいていく。
「シャルロッテ……」
「あなたが眠るまで、私は一緒にいます」
「君は、休め。俺のことは気にせずに」
「気にします。……気にしますよ、それは」
「俺は、君に迷惑を」
「そうじゃないです。……私は、私がそうしたいから、ジオスティル様を気にするし、お節介だと思うのですが、無理矢理世話を焼こうとするのです。眠って、食べて、笑って。元気でいて欲しいから」
「……それは、どうして」
どうしてだろう。
ジオスティルに助けられたから。
けれどシャルロッテを助けてくれたのは、ジオスティルだけではない。
グリーンヒルドの街の人々も、ゲルドも。ロサーナたちだって、シャルロッテを助けてくれている。
「うまく、言えないですけれど。……ジオスティル様が元気でいてくれると、私は嬉しいと思うのです。あなたが、強いから。皆にない力を持っているから。そんな理由では、なくて」
階段をあがり、部屋に入る。
ジオスティルは大人しくしたがっていた。
ぷにちゃんがぽよぽよ跳ねながら、ウェルシュを乗せてシャルロッテの部屋に戻っていく。
シャルロッテの使っているベッドが、自分のベッドだと認識しているようだ。
ジオスティルの使用している部屋は、今までとは違い当主の部屋らしく美しく整えられていて、古めかしいけれど立派なベッドが置かれている。
元々は天蓋もあったのだろうが、それは外されて骨組みだけが残っている。
そのベッドまでジオスティルを連れていくと、シャルロッテは立ち止まった。
まだためらっている様子のジオスティルの胸をえいっと押して、強引に、押し倒すようにベッドに寝かせる。
ジオスティルがバランスを崩してベッドに倒れ込んだ――と、思ったら、その両手が腰に回って、シャルロッテも一緒にベッドに倒れ込んだ。
「あわ……っ」
「……シャルロッテ」
「は、はい」
ジオスティルの胸の上に倒れているシャルロッテは、そのまま抱きしめられて身をすくめた。
どうしてこうなったのか、よく分からない。
ジオスティルの声音は真剣で、からかっている様子もない。
もちろんジオスティルはそういう人ではないと、シャルロッテは知っている。
「もし……我が儘を、一つ聞いてくれるのなら。一緒にいて欲しい」
「え……」
「このところはずっと、君と一緒に夜の見張りをしていた。エルフェンスの上で、君が落ちないように、君を抱えて眠っていた。君がいると安心して、見張りの間も少し、眠ることができた」
「……あ、あの」
「すまない。女性にこんなことを頼むのは、間違っているな」
「だ、大丈夫です。……でしたら、朝までそばにいます。私でよければ」
「君が、いい」
その言葉には――どんな意味があるのだろう。
ジオスティルの表情や言葉からは言葉以上の意味を読み取ることは難しい。
シャルロッテは高鳴る胸や、顔に集まる熱から視線をそらした。
ジオスティルが安心してくれるのなら、それでいい。それ以上の感情はいらない。
「おやすみなさい、ジオスティル様」
「おやすみ、シャルロッテ」
広いふかふかのベッドの上で抱きしめられながら目を伏せる。
ジオスティルの規則正しい鼓動の音や呼吸の音に耳を澄ませていると、まるで二人で海の上を小舟に乗って漂っているようだった。
ゆらゆら揺れる。どこに向かっているかはわからない。けれど、不安はない。
あたたかい、ふわふわとしたゆりかごの中で守られているみたいに。
すぐに眠気に襲われて、シャルロッテは優しい眠りのそこへと落ちていった。




