ウルフロッドの夜明け
お庭にテーブルが用意されて、林のリンゴでつくったアップルパイや、ベリーパイが並ぶ。
すっかり成長した野菜はラタトゥイユや、揚げ浸し、スープやマッシュポテトに姿を変えている。
魚はアクアパッツァや香草焼きに。
パンやそれから辺境伯家に保管されていた葡萄酒なんかも並んでいる。
シャルロッテたちはそれぞれ果実水や葡萄酒の入ったグラスを手にすると、乾杯をした。
これは、ロサーナたちがシャルロッテたちが帰ってくることを信じて、用意したものだ。
花瓶にはお花が飾られていて、ニケやテレーズがつくってくれた花冠なんかも、パイの周りに置かれている。
ニケやテレーズは頭にも冠をつけていて、まるで物語の妖精のように可愛らしい。
もしかして物語に出てくる妖精というのは、ウェルシュたち精霊の姿を見た誰かがつくったものなのかもしれない。
小さくて、羽がはえている。
もうすっかり夕暮れが近づいていて、ジオスティルの作り出した光玉が浮かびあがり幻想的にあたりを照らしている。
それから、サラマンドの聖火が、ウルフロッド家を包み込み守るように、赤々と灯っている。
ジオスティルは「日暮れには魔獣が湧く。退治に行かなくてはいけない」と心配していた。
だがサラマンドが『聖火があれば、屋敷の中には魔獣は入り込めません。私を信じて』と言っていたので、日暮れになっても家に留まっている。
それが本当ならどんなにいいだろうと、シャルロッテは思った。
休みなく働いてきたジオスティルが、安心して眠れる夜がくるということだ。
もちろん、サラマンドは嘘はつかないだろう。
けれど長年の記憶が、ジオスティルの頭にはこびりついているようで、虹色水晶の採掘場解放と、イリオスの帰還を祝した祝賀会の間も、どことなく浮かない顔をしていた。
「坊ちゃんは飲まないのか?」
「イリオス、坊ちゃんというのはやめてほしい」
「おぉ、そうだな。俺が少しいない間に坊ちゃんは大きくなって、親父殿は老けた」
「イリオス、一言多いぞ」
ウィリアムは、イリオスの顔を見てからすっかり元気を取り戻していた。
杖をついて足を引きずって歩いていたのだが、「イリオスに情けない姿を見せられん」と言って杖をつかなくなり、背筋も伸びた。
ハンナは呆れたように「仮病だったのですか、旦那様」と言っている。
けれど彼女も嬉しそうだ。
シャルロッテは笑い合う三人や、ロサーナやニケ、ベルーナの体に纏わり付いているテレーズを眺めて、家族とはいいものだなと考える。
軽食を食べながら大工仕事を続けるシルヴェスタンの釘をうつ音が、カンカンと響くのがまるで子守歌のようだ。
ロベルトはテーブルに置いた紙に、虹色水晶の加工後のデザインを色々と描いていて、それをロサーナが懐かしそうに見ていた。
夫を思い出しているのだろう。
――ロサーナの夫も、イリオスのように助けられたらよかったのに。
けれどサラマンドは竜だった時の記憶は曖昧で、イリオスと同じようにあまり覚えていないのだという。
だから、ロサーナの夫がサラマンドの元で命を落としたのか、それとも採掘場に行く途中で何かあったのかは、分からずじまいだった。
アスラムは遠慮をしているのか、皆の輪には入らずに、外れたところで太い木を背にして立っている。
イリオスが強引に連れてくると、酒を飲ませて、酒に弱いアスラムを酔い潰して笑っている。
「シャルロッテ、疲れたか?」
「いえ。大丈夫です。ここにきたときはジオスティル様と二人きりでした。でも、すごく賑やかになりましたね」
「あぁ」
「ジオスティル様は、賑やかなのは嫌いではないですか?」
「嫌いとは思わない。皆が、笑っている姿を見ることができるのは、その中に自分も入ることができるのは、不思議だと感じる」
「不思議、ですか」
「……こんな未来が訪れると考えたことは、一度もなかった」
いつの間にか、シャルロッテの隣にはジオスティルが立っていた。
ここには人が増えた。
けれど、辺境に来てからはじめに出会ったのがジオスティルだったからなのか。
皆よりもほんの少し長い時間を過ごしているからなのか。
ジオスティルの傍にいて、その声を聞いていると、安心することができる。
「君が来て、俺の毎日は変化した。彩りを、明るい希望を、君がくれた」
「私は、何もしていません。ジオスティル様に助けていただいたから、ここにいることができる。ずっと、感謝をしています」
「俺も君に感謝を。……少し、寂しそうな顔をしていた。何かあったか」
「……どうして分かってしまうのでしょう。家族のことを、考えていました」
「君の家族?」
「はい。……私には、ああして笑い合える家族はいなかったので。いいな、と思って」
「俺も同じだ。だが、今の俺には君がいる」
シャルロッテの手に、ジオスティルの手が触れる。
優しく、けれど力強く手を握られて、シャルロッテは内心狼狽えながら、視線を彷徨わせた。
皆の集まるこの場所で、手を繋いでいるのが――ひどく恥ずかしい。
宵闇に隠れて、気づかれていないことを祈った。
恥ずかしいけれど、振りほどきたいとは思えない。
触れあう体温は羞恥心と共に安心感をもたらすもので、一人ではないと、孤独ではないと感じることができる。
「……もう魔獣の出る時間だ。見に行こう、シャルロッテ」
「は、はい」
『私たちも一緒に』
眠そうにしはじめているニケやテレーズを、ロサーナたちが館の中へと連れていく。
シルヴェスタンの建築を、まだまだ元気そうなイリオスと、鍛錬をするのだと言い続けているウィリアムが手伝いはじめる。
すっかり酔い潰れたアスラムが、テーブルに突っ伏して眠っている。
ジオスティルはシャルロッテの手を取って、その背に黒い翼をはやして空へと浮かびあがった。
その隣にはサラマンドとウェルシュとアマルダが現れる。
皆につつかれてぷにぷにしていたぷにちゃんが、慌てたように飛び上がって、サラマンドの腕に抱かれた。
ウルフロッド家の上空から見る森は、やはり黒々としていて不気味な姿である。
押し寄せる魔獣たちは、煌々と輝く聖火に照らされると、フライパンに落ちた水滴が蒸発するように、その姿をかき消した。
「すごい。魔獣が、消えていきます」
「……あぁ。本当に、守護があるのだな」
『当然なのよ。サラマンド様だもの!』
『私のウェンディーネ様もすごいのよ』
『二人とも。恥ずかしいから、おやめなさい』
胸を張るアマルダやウェルシュを、サラマンドが窘める。
サラマンドが軽く指で示すと、黒い塊のような魔獣たちが炎に焼かれて呆気なく消えていく。
『――この地をずっと、守っていてくれていたのでしょう。もう、大丈夫』
ジオスティルの努力が報われたのだ。
そう感じて、シャルロッテはジオスティルの首に腕を回して、その顔を見上げて微笑んだ。
ジオスティルも目を伏せると、シャルロッテの肩に額を軽く触れさせる。
足場のない不安定な空で、ジオスティルに抱かれているシャルロッテには、もしかしたら墜落してしまうかもしれないなどという不安は、一つもなかった。
ジオスティルの腕の中は、この国で一番安全な場所だろう。
金の髪が顔に触れるのが、とてもくすぐったかった。
一章はここで終わりです。
次回から二章に入ります。ずっと大変だったから、すこしまったりさせてあげたい。
引き続きよろしくお願いします!




