井戸の少女
シャルロッテはジオスティルの体を背負って、なんとか教えて貰った部屋に辿り着いた。
乱れた呼吸を部屋の前で一度整えて、開け放たれていた扉から中に入る。
石造りの床には絨毯もなくむき出しで、暖炉はあるけれど薪はない。
本棚や棚はあるけれど何も入っていないし、天上や部屋の隅には蜘蛛の巣が張っている。
古びたベッドは大きくて立派だけれど、どことなく薄汚れている印象である。
窓にはカーテンがひかれていて、まだ昼間なのに薄暗い。
(吸血鬼の部屋みたい……)
シャルロッテは、街の子供たちが好む怖い話の一つを思いだした。
夜な夜な人の血を吸う吸血鬼、満月の夜に獣に姿を変えるライカンスロープ、墓地から蘇る死者のアンデット。
子供たちは怖い話が好きで、必要な物の買い出しの為に街に向かったときなどは、街の広場のベンチで休憩をするシャルロッテの元に集まってきてはよく話してくれたものである。
「辺境伯様、横になりますよ」
意識のない人というのは、意識のある人よりもずっと重い。
ぐったりと弛緩した体は水を沢山つめた大きな水袋に似ている。
ジオスティルは背は高いものの、シャルロッテが心配になるぐらいには細かった。
シャルロッテも肉付がいいほうではないが、ジオスティルの体は心許ないぐらいに薄っぺらい。
それでも重たいことには変わりはなく、ベッドまで辿り着くと、シャルロッテはジオスティルを共にベッドに倒れ込むようにしてなんとか寝かせた。
「辺境伯様、大丈夫ですか?」
シャルロッテは起き上がって、ジオスティルのベッドの上に投げ出された体を綺麗に整える。
顔にかかっている白に近い金の髪を払い、苦しそうなローブの前を開いて空気を通した。
深く目を閉じているジオスティルは、静かに呼吸を繰り返している。
寄せられた眉と、きつく閉じられた瞼が、見ていて苦しかった。
「こういうときは……とりあえず、お顔を拭く布と、何か飲むものを用意してさしあげたほうがいいわね」
シャルロッテは立ち上がろうとして――きゅっと、ジオスティルの髪を払っていた手の、服の袖を掴まれていることに気づいた。
「……辺境伯様?」
呼んでみるが、返事はない。
意識が戻ったわけではなさそうだった。
シャルロッテはどうしようか考えたあと、そっとその手を袖から外した。
掴まれていてはなにもできないし、ただじっと傍にいてもいいが、できることなら飲み物ぐらいは準備したかった。
シャルロッテは「すぐ戻りますからね」と、勇気づけるようにジオスティルに囁くと、部屋から出た。
それから、ウルフロッドの屋敷を見て回る。
どこもかしこも、入り口からすぐの広間や、ジオスティルの自室と同じように、薄汚れている。
(まるで廃墟みたい。それに、高貴な身分の方は、一階で寝起きはしないものだけれど……)
廊下を歩き、並んでいる扉を開いて中を確認する。
どの部屋も使用していないのだろう、置いてある家具は立派な物なのだろうが、長年使用していないせいか、どれもこれも古ぼけて見える。
いくつかの部屋を確認して、シャルロッテはようやく目当ての場所へと辿り着くことができた。
そこは、調理場である。
いくら一人で住んでいるといえども、食事はとるだろうから、調理場には何かあるのではないかと考えたのだ。
けれどシャルロッテの予想に反して、調理場には使われている形跡は何もなかった。
かまどには薪も入っていないし、食材も何もないし、水瓶も空だった。
「……一体どうやって生活をしているのかしら」
シャルロッテは調理場をぐるりと見渡して、首を傾げる。
ジオスティルは本当に吸血鬼で、人の血を飲んで暮らしているのかと考えそうになり、それはあまりにも失礼だろうと、その考えを打ち消した。
「お水はどこにあるのかしら。井戸か、川……? 何もないということは、ないでしょうし」
かまどに、調理器具と、道具は揃っているものの、肝心の食材や水がない。
広い調理場を探索したシャルロッテは、裏口に続く扉をみつけた。
扉を開くと、草が好き放題はえている裏庭に出る。
柔らかい光が差し込んでいる荒れた裏庭は、やはり廃墟を連想させるものだった。
「お水……お水はどこかしら」
水汲み場は大抵の場合、大きなお屋敷の場合は調理場の傍にあるものだ。
小さな街では共同の水汲み場があるが、貴族の屋敷では共同の水汲み場を使用するようなことはまずない。
敷地内に井戸があるか、水源が豊富な場所であれば、川を引き入れることもある。
『お水はここ。お水は、ここにある』
不意に、そんな声が頭に響いた気がした。
シャルロッテは何度か瞬きを繰り返した。気のせいだろうか。
草むらの奥に、キラキラ輝いている場所がある。
まるで、星が空から落ちてきたように輝く場所へと草を踏みしめながら進むと、そこには井戸があった。
立派な井戸である。円状に組みあげられた石壁を中心として、木枠が組み立てられていて、木枠の屋根には滑車がついて、桶が吊り下がっている。
シャルロッテが井戸に辿り着くと、光は消えてしまった。
「一体何だったのかしら……」
『お水が欲しいんでしょう』
不審に思っていると、井戸の向こう側から声がする。
愛らしい少女の声だ。この屋敷には、他に人がいたのかと思って、シャルロッテは井戸の向こう側を覗き込もうとした。
「わ……っ」
シャルロッテが覗き込む前に、井戸からポワッと顔をだす何かがある。
それは薄水色の体をした、愛らしい少女の姿をしていた。
ただし、かなり小さい。きらきらとした光の粒子を纏っていて、背中には蝶々のような羽がある。
『井戸のお水をくんでいってね、シャルロッテ』
「あなたは、誰? どうして私の名前を……」
ゲルドは、辺境には『魔獣』が住むといっていた。
シャルロッテの手のひらぐらいの大きさの少女が、ゲルドの言う『魔獣』なのだろうか。
それにしては、恐ろしさはあまり感じない。
少女はシャルロッテの疑問に答える前に姿を消してしまった。
シャルロッテはしばらく唖然としていたが、ジオスティルが待っていることを思いだして、一度調理場に帰ると木桶を持って小走りに井戸に戻り、水を汲むことにした。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。