心をとかして
夕方近くなって、アスラムは目覚めた。
目覚めを待っていたジオスティルとシャルロッテは、ソファに座りぷにちゃんやウェルシュと共にうつらうつらしていた。
「ここは……」
「あっ、アスラムさん。起きましたか」
「……眠っていたな」
「はい。居眠りをしてしまいました。すみません」
「……お前たち、何故この状況で居眠りができるんだ」
アスラムは起き上がると、額を押さえた。
ソファに沈み込むようにして眠っていたシャルロッテは乱れた髪と服を軽く整える。
ジオスティルはあくびをかみ殺して、立ち上がった。
「夜の魔獣退治が毎日ありますので、時間があると眠くなってしまうのですよ」
「夜の魔獣退治……」
「はい。ジオスティル様は毎日、魔獣を退治に出かけます。私も見張りとしてご一緒していまして」
「だから何だ。恩を売っているのか?」
「ごめんなさい、そういうわけではないのですけれど……」
苛々と眉を寄せるアスラムに、シャルロッテは頭を下げる。
ぷにちゃんの上であくびをしながら目を擦っているウェルシュが『なんなの、このニンゲン! ほうっておきなさいよ、シャルロッテ』と、頬を膨らませた。
「アスラム。お前に暴行をした街の者たちは、お前の父を恨んでいたのか」
「知っている癖に、わざわざ聞くのか? あぁ、そうだよ。俺を殴ったり蹴ったりしながら、あいつらは父を恨んでいたといった。人の嫁に手を出し、娘に手を出し。それを苦にして死を選ぶ者もいたのだと」
「それは、お前の罪ではないだろう」
「俺はそれを近くで見ていたんだ。見ていて……何もしなかった。俺も同罪だ」
アスラムは手をベッドに叩きつけた。
ベッドのマットが沈む。殴りつけたいのは本当はベッドマットなどではないのだろう。
それはアスラム自身の心だ。正しいと信じていたものが崩れ落ちて、深い森をさまよう迷子のような心境なのだろう。
怒り以外、感情を、気持ちを、何をどう表現していいのか分からないのだ。
「アスラム。――俺は、お前の母を救えなかった。あの日から、俺たちは間違えてしまったのだと思う。色々と」
「今更……」
「俺は辺境の地を守る。ジオスティル・ウルフロッドとして。お前の力も、必要だ」
「俺に何ができる。役立たずな、俺に。皆が俺を憎み、恨み、馬鹿にするだろう」
「そんなことはないです。皆、分かっています。アスラムさんのせいじゃないって。……アスラムさん。私はあなたを叩きました」
シャルロッテはぎゅっと、自分の手を握る。
アスラムの前に膝をついて、爪が食い込むぐらいにきつく握られたアスラムの手に、おそるおそる自分の手を重ねた。
「私は、怒って。あなたを叩いた。痛かったですよね」
「……あれぐらい、別に」
「ごめんなさい」
「……ジオスティルを馬鹿にした、俺が憎いだろう」
「あの時は怒っていました。でも、叩くのは、駄目でした」
「何故だ。俺は……叩かれて、殴られて、蹴られて吊るされても仕方ないようなことを、してきた」
「お前は何もしていないだろう、アスラム」
「父の権力を傘に、偉そうにしていたんだ! 父がいなくなり、俺には何も残っていない。俺に阿る言葉は全部嘘だった! お前は地位があり権力があり、力もある。俺とは違う!」
駄々をこねる子供のように、アスラムはわめいた。
それから、頭を抱える。傷つける誰かから、自分自身を守るように。
アスラムの手を握っていたシャルロッテの手は振りほどかれてしまった。
それでも、唇をきゅっと噛みしめて、シャルロッテはその髪に触れる。
「アスラムさん。昔のこと、過去のこと。……そればかり見ていたら、動けなくなってしまいます。今は、前を見ないと。泣いても叫んでも、前にすすまないと。そうしないと――辺境の人々も、この国の人々も、やがては魔獣によって滅ぼされてしまいます」
「俺など、いらないだろう。いても、迷惑になるだけだ」
「そんな風に思う人は、いませんよ。いまは少しでも人手が欲しいんです。毎日忙しいから、きっと、泣き言もいっていられなくなりますよ」
「俺が泣き言を言っていると?」
「はい。そう思います。ぐずぐず、めそめそ。泣き言です。怪我はなおって、きちんと寝ました。私もジオスティル様も謝りました。それなのに、いつまでも駄々をこねていて、泣き言ばかりです」
シャルロッテは諭すように言う。
アスラムはまるで幼い子供だ。子供のまま大人になったようだ。
ジオスティルは泣き言など言わずに、前だけ向いていた。そのかわり、自分自身を顧みることをしなくなってしまったようだが。
アスラムは、何もせずにうずくまり、このまま消えたいと泣き言をはいている。
誰かが強引に、その手をひいて歩きださなくてはいけない。
ジオスティルにはアスラムの母を救えなかったという負い目がある。
シャルロッテは辺境出身ではない。彼らの気持ちが本当の意味で理解できるというわけではない。
だからこそ、暗闇の中でうずくまるアスラムの手を強引に、掴むことができる。
シャルロッテは顔を隠しているアスラムの両手を包み込むようにしながら、その頬に触れると視線を合わせた。
「しっかり、してください。皆のために、アスラムさん自身のために」
「シャルロッテ……」
思わずといった様子で、アスラムはシャルロッテの名前を呼んだ。
次の瞬間、一気に頬が染まった。
シャルロッテはそのことには触れずに微笑んだ。
「ご飯を食べて、明日から一緒に頑張りましょう。忙しいですよ、アスラムさん。泣いてなどいられないぐらい」
「お前は……どうして……」
「私はこの場所が好きです。だから、自分にできることなら、なんでもします」
アスラムはそれ以上なにも言わなかった。
ジオスティルとシャルロッテは部屋を出る。夜が近い。魔獣たちは、待っていてはくれないのだ。
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