ジオスティル・ウルフロッドは辺境伯である
◇
――あれは、いつのことだっただろうか。
ミトレスに魔獣が現れて、ジオスティルはそれを討伐した。
そのころはまだミトレスにも人が多く、魔獣たちはまるで大海を飛び回り魚の群れから魚を啄む海鳥のように、唐突に街を襲っては人の命を奪っていった。
それでもまだ兵士たちの数も多く、希望を持って生きる者たちもまだいたのだろう。
明るい声で皆を鼓舞するイリオスの存在も大きかった。
皆が「魔物などはあの化け物一人に任せておけばいい」と言う中で、イリオスだけは「ジオスティル様は、強いがまだ子供だ。情けないことを言うな」と、兵士たちを叱咤してくれていた。
イリオスが魔獣討伐に出たきり戻らなかった少し前のことである。
炎の巨鳥により女性が惨たらしく亡くなり、その前でジオスティルと同年代程度の子供が呆然と座り込んでいた。
その光景を、ジオスティルはよく覚えている。
「すまない」
他に何を言っていいかわからずに、助けられずにすまないと、助けが遅れてしまってすまないと、ただそれだけを伝えた。
「……お前のせいだ」
子供は、冷たい目をして言った。
冷たい瞳の奥には、憎悪の炎が燃えていた。
「僕……俺は、アスラム・ドワイス! 街長の息子だ! 母さんが死んだのは、こんなことになったのは、全部お前のせいだ! お前を絶対に許さない!」
叫び声だけで皮膚を裂くことができるのだとしたら、ジオスティルの体はその時ずたずたに切り裂かれていただろう。
それぐらい、強い憎しみの籠った叫び声だった。
ジオスティルは何も言うことができなかった。
――その通りだと、思ったからだ。
魔獣を呼んだのは自分がうまれたせい。
不吉な力を持った自分がうまれてしまったから魔獣の異常発生が起こった。
そして――魔獣を倒さなくてはいけない自分が居眠りをしてしまったから、両親は死んで、辺境伯家からは誰もいなくなってしまった。
全てはジオスティルに責任がある。
責められるのは当然で、自分の生は、他人を不幸にして両親を殺した自分への懲罰なのだと。
長年ジオスティルはそう考えて生きてきた。
重たい体を引きずってほとんど眠らずに魔獣を討伐して、街の者たちに憎悪や嫌悪の瞳を向けられるほどに。
――それが自分には相応しい罰なのだと思い、少し心が軽くなった。
罪を、償えている気がしたのだ。
だからアスラムが何を言おうが、どれほどジオスティルを嘲ろうが、傷つくようなことはなかった。
確かにジオスティルはアスラムの母を救えなかった。
憎まれるのは当然だ。自分が化け物だという自覚もある。
息が続く限りは罪を償うことぐらいしか、自分にはできないのだと。
――しかし。
「シャルロッテ。すまない。本当は俺が君を守らなくてはいけなかった。矢面に、立つのは俺でなくてはいけなかった」
あぁ、まただ。
とても、情けない。
シャルロッテが来てからというもの、ジオスティルは手をひかれて先の見えない暗闇の中を真っ直ぐ歩き続ける感覚を味わっている。
そこは長い洞窟かもしれないし、深い森なのかもしれない。
ただ、怖くない。
視界は悪く、行き先がどこなのかもわからないのに。
繋がれた手は力強くてあたたかく、迷いなく一歩一歩を踏み出していくことができる。
それまではずっと、暗闇の中にうずくまり続けていたというのに。
けれどそれではいけない。
シャルロッテはどんどん進んでいってしまう。先に崖があろうと進み続けて、先に崖に落ちたとしても「ジオスティル様が無事でよかった」と言って、笑うのだ、きっと。
そんなことになったらとても耐えられない。
だから――変わらなくてはと思った。髪を切り、今までの手を引かれるばかりだった自分とは決別をしなくてはいけないと。
けれどまた、救われてしまった。
シャルロッテはアスラムの頬を張った。
シャルロッテに対する侮辱に怒りを感じ、感情のままに動いてしまいそうだったジオスティルは、それで冷静さを取り戻すことができた。
助けられてばかりではいけないと、思ったばかりだというのに。
変わらなくては。
化け物だと、自分を卑下することをやめなくては。
ジオスティル・ウルフロッドは辺境伯である。
それは国王陛下より与えられた爵位だ。他人がどう言おうが、ジオスティルはその血筋にうまれた。
それは――辺境に住む人々を導き守る立場である。
自分が変わらなくては、辺境は、変わらない。
シャルロッテが運んでくれた新しい風で、辺境の地に立ち込める暗雲を吹き飛ばすのは、自分の役割だ。
「皆、聞け。信用も信頼も、今はまだ求めていない。今まで俺はそれを勝ち取ろうと行動をしてこなかった。しかし、今は違う。俺はこの地を守る。この地を守ることは、この国を守ることと同義だと知ったからだ」
ジオスティルはシャルロッテの体を自分の後ろに隠して、大きくはないがよく通る声で言った。
「そのためには、街の者たちを保護する必要がある。俺の元に来てくれたら、それができる。俺の力は皆を守るためにある。だからどうか、皆を守らせて欲しい。そして、皆にも俺を助けて欲しい」
自分の胸に手をあてて、頭をさげる。
その優雅な立ち振る舞いに、集まった人々は息を飲んだ。
ジオスティルが街の者たちの前でこれほど長く、言葉を話すのはこれがはじめてだった。
街の者たちが対話を拒否するのと同じぐらいに、ジオスティルも他人を拒絶していたのだから。
「――この苦難を、辺境に残ってくれたウルフロッドの地を愛するあなたたちと共に、乗り越えていきたい」
土地を離れられなかったのは、離れられなかった事情がある者ばかりである。
事情もあるだろうが――長年生まれ育った土地だ。
離れたくとも、離れられなかった者たちである。
ジオスティルの言葉に、胸を打たれた者たちの瞳が涙で潤む。
「俺と共に歩んでくれるのなら、辺境伯家に来てくれ。今すぐとは言わない。毎日、迎えの――魔法で作った乗り物を送る。それに乗って、来てくれたらいい。辺境伯家は、いつでも皆を歓迎する」
そこまで言うと、人々の中から「わかりました、辺境伯様」「荷物をまとめます」という声があがりはじめる。
アスラムだけは、叩かれた頬をおさえたまま、呆然と立ちすくんでいた。
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