誰がための憎しみ
研ぎ澄まされた刃のような冷たい怒りをうちに秘めたジオスティルの瞳を見返して、アスラムはどこか勝ちを確信したような笑みを浮かべた。
「何故、駄目なんですか? やはりあなたはこの女が好きなのでしょう。だから、奪われたくないわけだ」
「……アスラム。信用の証明に、シャルロッテをお前に売るようなことは、しない」
「売る? 別に俺は金でこの女を買おうってわけじゃない。俺の妻になってもらうだけだ。あなたが信頼しているこの女が俺と結ばれたら、街のものたちも安心するでしょう」
もっともらしい理由をつけて、アスラムはさらに続ける。
さながら演説家のように両手を広げて、高らかと、オペラでも歌うように。
「それとも、辺境伯様は余所者の女に惚れ込んで、その言葉に惑わされているだけなのですか? 愛に惑う男の言葉を信じて街の者たちの命を危険に晒せと? 今までどれほど大変な思いをしてこの場所で踏みとどまってきたか、化け物じみた力を持ったあなたにはわからないでしょう!」
自信と確証に満ちた言葉は不思議と耳に残る。
アスラムの周りを取り囲んでいる取り巻きたちも「そうだ!」「どれだけの人が死んだと思っているんだ!」と声をあげる。
ジオスティルやシャルロッテを信じようとしていた者たちの声が、次第に小さくなっていく。
「──あなたと結婚をしたら、納得してもらえるのですか? ジオスティル様にもう、ひどい言葉を言わないのですか」
「あぁ。それはもちろん。お前のような余所者を愛せるとは思わないがな。契約として、それは必要なことだ」
シャルロッテは唇を噛んだ。
それが、ジオスティルのため。
アスラムのことは好きではない。彼の言っている理屈も理解できる。ジオスティルに対する暴言は、シャルロッテは確かに余所者である。彼らのこれまでのことを詳しく知っているわけではない。
だから、口を挟むことはできないし、判断することも難しい。
シャルロッテの個人的な感情だけで判断すれば──なんてひどい男だろう、ということになってしまう。
ここでシャルロッテが頷けば、全てうまくいくのかもしれない。
しかしシャルロッテは、娼館に売られるのが嫌で家から逃げたのだ。
娼館に売られることと、好きでもないアスラムと、まるで人質にでもされるように結婚すること。
そこに何の違いがあるのだろう。
けれど──。
「ジオスティル様は、私の恩人です。私は、ジオスティル様のためなら──」
「シャルロッテ、それ以上言わなくていい。そこまで、君がする必要はない」
「ですが、アスラムさんの言うことも一理あります。私は余所者です」
「君を余所者だと思ったことなど、一度もない。君は誰よりも、俺の傍にいてくれた」
「ふ、はは……! あはは……! 聞いたか! やはりそうだ! シャルロッテは他の土地からこの地に流れてきた。辺境に流れてくる女など所詮は内地にいられなくなった罪人だろう! そして我らが辺境伯様を籠絡したのだ。詐欺師だ!」
アスラムの高笑いと嘲りに、ジオスティルの眉間に深く皺がよった。
それはシャルロッテが見たことのない、ジオスティルの表情だった。
いつだって穏やかで、その感情は風のない湖のように凪いでいた。
泣き言も、一つも言わずに。一人でずっと、戦っていた。
誰かのせいにもしないで。誰を責めることもなく。ただ、自分だけを責め続けるような、美しい人だ。
そのジオスティルが、今は、怒っている。
シャルロッテがこの街で、石を投げられて怪我をした時と同じ。
ジオスティルは自分自身のためには怒らない。
シャルロッテが小馬鹿にされて、嘲られているから怒っている。
「怒るのか、ジオスティル。俺を憎むのか? 魔獣どもを殺す化け物の力を、俺に向けるのか!? 愛している女が、俺に奪われるのが憎いのだろう! 所詮は貴様も聖人などではない。感情的な化け物だ! 本性を表したな、ジオスティル! こんな男の傍で、いつ殺されるのかもわからずに安心して生きていけるわけがな──っ!」
パンッ!
──と、はっきりとした音が唐突に響いた。
シャルロッテは痛む手のひらを、きゅっと握りしめる。
考えるよりも先に体が動いていた。
気づけば、シャルロッテの手のひらはアスラムの頬を、思い切り叩いていた。
「何をするんだ……!」
叩かれた頬を抑えて、アスラムがシャルロッテを睨みつける。
シャルロッテも負けじと、アスラムを睨み返した。
ふつふつと、怒りが込み上げてくる。
「いい加減になさい! あなたが何に怒っているかは知りません、どうしてジオスティル様をそこまで目の敵にするのかも知りません! でも、そんなことはどうでもいいです」
こんなことを、口にしていいのか。
一瞬ためらった。誰かを傷つける言葉を、口にしてはいけないのではないか。
そんな立場には、シャルロッテはいないのではないか。
けれど、昂る感情が、喉の奥から言葉を吐き出させてしまう。
「他所から来た私を疑う気持ちもわかります。信じられないのならそれでいい。食べ物があって家があって、働く場所があります。来たい人たちだけ、一緒に来てくれたらいい」
シャルロッテは息を吸い込んで、声を張りあげる。
「アスラムさんを信じるのならこの地にとどまることを選択したらいい。私も、ジオスティル様も感情がある人間です。私は、ジオスティル様を化け物と言うような人に、優しくなんてできません!」
そこまで言い切って、やっと怒りが鎮まるのを感じた。
ジオスティルは毒気を抜かれたようにいつもの静かな──どちらかといえば無表情へと戻り、シャルロッテの手を握ると「……ありがとう」と、小さな声で言った。
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