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アスラム・ドワイス



 ◇


 まだ、ミトレスが今よりも街として機能していたころである。

 よく晴れた、秋の日だった。

 薄い水の膜が張ったような青色の空には、鱗のような雲が浮かんでいる。

 幼いアスラムは、母と手を繋いで散歩をしながら雲を指さして「母上、魚がいるよ」と母親に教えてあげていた。


 数年前に起こった魔獣の異常発生で森に近いいくつかの街は廃墟になった。

 だが、ミトレスは王国の内陸に一番近い場所にある。

 森とミトレスの間にはウルフロッド辺境伯家があり、ウルフロッドの兵士たちが街を守ってくれている。


 街の者たちの半数ほどが内陸へと逃げたが、ウルフロッドに点在する小さな街や村から流入者も増えた。

 虹色水晶でつくられる加工品や、精霊の湖にだけ生息している二枚貝、白銀貝からとれる精霊真珠、ウルフロッドの土地を取り囲むようにして存在している切り立った山脈から採掘される、新しい燃料としての需要が高まっている雷鉱石。

 

 それらを売買しているウルフロッド領は豊かで、ミトレスには内陸から商人もよく来ていた。


「本当だ、アスラム。お魚ね」

「はい、母上」

「それじゃあ、今日はお魚を買って帰りましょうか。お魚の香草焼きにしようかしらね」

「母上、僕ははっぱは、嫌いです。苦いから」


 母はアスラムと繋いだ手を大きく振って、くすくす笑った。


「じゃあ、アスラムのお魚はバター焼きにしましょうか。塩サーモンを買って帰りましょう。塩サーモンは骨も少ないし、食べやすいものね」

「はい! 母上、僕は母上が一番好きです」

「私もよ、アスラム。アスラムはいい子だから、父様の後をついで、きっと立派な街長になるわね」


 街ごとに定められている街の代表は、ウルフロッド家との調整役であり、街を治める仕事をしている。

 ドワイス家は代々街長の家系であった。

 アスラムの父は真面目な男で、街への移住者や駐屯兵への住居や食事の提供などの手配でこのところずっと忙しくしていた。


 徐々に食料が手に入りにくくなってきたことにもいち早く気づいていたが、それは街の人々には伝えていなかった。

 伝えても不安にさせるだけである。

 家族と共にいるときは先行きの不安を口にしていたし、ウルフロッド家の新しい当主であるまだ若い――若いというよりもまだ子供の、ジオスティルについても文句を言っていた。

 ──あれは、化け物だ。

 魔獣と戦う力を持っている癖に、辺境伯家を魔獣に襲わせて、両親や使用人たちを魔獣に食わせたのだと。


 アスラムとそう年齢が変わらないらしいジオスティルに、アスラムは会ったことがない。

 父の話から、勝手に頭に角のはえている、化け物みたいな容姿の男を想像していた。


 アスラムは母と共に、商店街に向かう前に少し遠回りしようと、街の外周にある水路の入り口までやってきた。

 水路にはかつて沢山の魚がいて、それを釣っていた者も多かった。

 けれど――今は、魚はあまり見ない。

 徐々に、生き物が減っていっているようだった。


「きゃあああ!」


 冷たい水に両手を浸していると、母が突然悲鳴をあげた。

 驚いて腰を抜かしたアスラムと、悲鳴をあげる母の前に――街を取り囲む外壁のうえからこちらを見下ろす、燃える翼を持った炎の巨鳥の姿があった。


 黒いばかりの巨鳥のなかで、らんらんと輝く金の瞳がじろりと母とアスラムを睨みつけていた。


 獲物を見つけた捕獲者の瞳である。

 感情のない――ただ相手を殺す。それだけを宿した瞳だ。


「アスラム、逃げて!」


 母は震えながら、けれど勇ましくそう言った。

 両手を広げて、アスラムを庇う。

 アスラムは腰を抜かしたまま動けなかった。

 

 魔獣。これが、魔獣。なんて大きい。なんて、恐ろしい。

 こんなものが――いる場所で、今まで自分は暮らしてきたのかと。


「アスラム、逃げなさい!」

「ははうえ……っ」

「早く!」


 その脅威の前に、人間の力など、感情など、愛情など、あまりにも無意味だった。

 母に手を伸ばしたアスラムの前で、母の体は巨鳥のくちばしに呆気なく啄まれた。


「ははうえ……ははうえ……」


 地面にぺたんと座り込んで、アスラムはうわごとのようにそう繰り返した。

 塩サーモンを買って、バター焼きにして食べようとさっきまで話をしていた。

 空の魚を指さして、一緒に笑っていた。


 その母が――目の前で。


「魔獣だ! 魔獣が出たぞ!」

「また、鳥か……! クソ鳥め、ジオスティルはいないのか!?」

「あの化け物はどこでなにをやっているんだ!」


 異変に気付いた人々が口々に叫ぶ。

 誰も母を助けようとしてくれない。

 恐怖に怯えながら、ジオスティルを口々に罵っている。


「イリオス様もいないのか!?」

「いない! 魔獣討伐に森に向かわれたばかりだ!」

「どうしたら……!」


 魔獣に啄まれた母が、地面に転がる。

 次に魔獣が狙いを定めたのはアスラムだった。

 アスラムに向かい魔獣がその爪を振り下ろそうとしたとき、魔獣の体に太い雷が落ち、その体をあっさりと霧散させた。

 

 黒い羽根があたりに舞い落ち、やがて消えていく。

 空には、アスラムと同年代の少年が浮かんでいた。


「……すまない」


 少年は小さな声で謝った。

 アスラムは、その少年がジオスティルだと、すぐに理解した。


「化け物、ふざけるな、化け物め! お前のせいだ! お前のせいで……母上を返せ!」


 アスラムは、怒りの全てをジオスティルにぶつけた。

 そうするしかなかったのだ。

 そうしないと――心が、壊れてしまいそうだった。


「……また、あの夢か」


 夜半過ぎ、アスラムはねばつく悪夢の中から無理やり体を引きはがすようにして、寝台から起き上がった。

 寝汗で湿った髪をかきあげる。


 母を殺した巨鳥が、また街に現れた。

 姿かたちが同じ魔獣は何体もいる。あの巨鳥と同じものではないだろう。

 けれどいやがおうでも、あの姿は、昔の記憶を想起させた。


 娘を――ニケを守ろうとしていたロサーナの姿に、死んだ母の姿が重なって見えた。

 そして、彼女たちを守ろうとする、見知らぬ少女の姿。


 シャルロッテという名の少女――女性、か。

 女性というには、どこかあどけない。けれど同時に妙に老成しているようにも見える。


 ウルフロッドの土地の者ではないだろう。

 この土地にはおそらくもう、ミトレスにしか人は残っていない。

 ミトレスの者たちをアスラムは全て把握している。


「……今更、あの化け物を許すことなど……」


 ロサーナたちはウルフロッド家に向かった。

 街の者たちの中には、自分たちも行くべきだと主張する者たちが、ちらほら出始めている。


 ジオスティルの元に行く者たちは、全て裏切り者だ。

 長年、父が面倒をみてきてやったというのに。


「……くそ」


 頭を抱えてうずくまる。

 アスラムは父を尊敬している。

 ミトレスの街長だからと、最後まで逃げずにこの場所にとどまったのだ。

 そして、病死をした。


 ――だが。


 アスラムは父が、気に入った者たちにだけ食料を多く与えていたことを知っている。

 食料を手に入れるために、父に阿る者たちのことも。

 父が手を出していた、女性たちのことも。


 母を失った父は、その寂しさをうめるようにして、女を侍らせるようになった。

 年増など嫌いだと言って、若い女ばかりを。


 そして――ついに、あの幼いニケにまで、食指をのばそうとしていた。

 そうなる前に病死してくれて、心の底ではほっとしてしまった自分が、アスラムは許せなかった。


 父が死んで、安堵するなど。

 尊敬する父が変わってしまったのも、全ては生まれた日に魔獣を呼んだというジオスティルのせいだ。


 そう思い込むと、アスラムは安心して眠ることができるのだ。





お読みくださりありがとうございました!

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