あなたのことと私のこと
暗い夜空が明け方に近くなると黒と青が混ざった群青色になっていくのが、綺麗だと思った。
シャルロッテはジオスティルに抱えられるようにして、エルフェンスに乗って夜空を見上げている。
眼下には暗く深い森が広がっている。
森のどこかにユグドラーシュがあるのだろう。けれど、高い木々が密生している森を上空から見下ろしても、それがどこにあるのかは分からなかった。
「寒くないか、シャルロッテ」
「大丈夫です。ローブ、お返しします。ジオスティル様が冷えてしまいます」
「俺のことは気にしなくていい。君の体のほうが大切だ」
「かえって、ご迷惑でしたね。せめてもう少し、着てくればよかったです」
寝衣は薄く頼りない。
せめてショールでも着てくればよかったと思うが、今更部屋に戻るわけにもいかない。
「いや……雷の音を聞いて、慌てて出てきてくれたのだろう。こんなふうに、俺を追いかけてきてくれる人は、いなかった。だから、正直――嬉しかった」
「ジオティル様……」
「それに、こうしていれば、あたたかい」
ジオスティルはシャルロッテの体を遠慮がちに抱きしめて、肩口に額をこつんとあてる。
長い金の髪がさらりと流れる。月のように美しく、天の川のように輝いている。
「具合が悪いのですか?」
「今は、違う。だが、少し疲れたな」
「私でよければ、枕にしてください。眠っていいですよ。森は、私が見ています」
「……できれば、君と話したい」
「お話し、ですか……? いいですよ、なにを話しましょうか」
抱きしめられている。
その事実が少なからずシャルロッテを混乱させていた。
ジオスティルはあまり健康とは言えないし、その生活もシャルロッテが言えたことではないが、不摂生だ。
けれどその体はシャルロッテよりはずっと大きく、細長い印象はあるものの、骨張っている男性の体。
ジオスティルは疲れていて、ぬくもりを求めるように、甘えるようにシャルロッテを抱きしめている。
それはつまり、寝具と同じ。
理解しているつもりだが、意識してしまうのが嫌だった。
よけいな感情を抱いて、ジオスティルに迷惑をかけたくない。
早まる心音が――伝わっていないといいと、願った。
「君は、どうしてここに? ……ずっと、気になっていた。だが、聞いていいのか、悩んだ」
「かまいませんよ。ゲルドさんにも、ロサーナさんにも話しました」
「――俺だけが知らないのか」
「先に、話しておかなくてごめんなさい。あまり楽しい話ではないので、聞かれなければ自分から言うことでもないかと思って……」
「いや……俺が聞かなかったのが悪い。すまない。人と話すのは、慣れていなくて。どこまで聞いていいのか、わからなかった」
「なんでも聞いてください。隠すことなんて、なにもないですから」
ジオスティルは――いつから一人でいたのだろう。
幼い頃は、家族がいたはずだ。
そうじゃなければジオスティルはうまれない。ジオスティルがうまれるまでは、ウルフロッド家はきっと辺境伯家として、繁栄していたはず。
そんなことを考えながら、シャルロッテは自分のことを話した。
ハーミルトン伯爵家でうまれたこと。
物心ついたときには、家族から疎まれていたこと。
それでも追い出されたりはせずに、家に置いてもらっていた。働けば、食事を貰えたのだと話すと、ジオスティルはとても傷ついたような顔をした。
「――君のいた環境は、とてもひどいように思える」
「私なんてたいしたことないです。ジオスティル様のほうが、ずっと大変ですよ」
「君はだから、ここに?」
「いえ……つい最近までは、家を出ることなんて考えていませんでした。でも、家にお金がなくなってきて……私を売るという話が出て。……売られるのは、怖かったんです」
「……売られる」
「はい。どこかの娼館に。……それは怖くて。とても嫌だと思いました。だから、家から出て、ここに」
ジオスティルはしばらく黙ったまま、シャルロッテの体を抱きしめ続けていた。
まるで――シャルロッテを誰にも奪われないようにと、必死に守ろうとしている手負いの獣のように。
「――ジオスティル様。……あの、少し、痛いです」
「すまない……」
「い、いえ、大丈夫です」
思いのほか力が強く、小さな声で訴えると、ジオスティルは慌てたように手を離した。
シャルロッテは首を振って、ジオスティルの手に自分の手を重ねる。
指がながく、骨が浮き出てごつごつしている。
シャルロッテは、自分の手がかさついていることをはじめて気にした。
長年使ってきた手は、かさついていて、皮が固くなっている。女性の手にしては、あまり綺麗ではない。
「小さな手だな。小さくて、柔らかい」
「……そんなことは、ないですよ。女性の手は、もっと綺麗です。私は……」
「俺を救ってくれた手だ。……君は俺を運んで、看病をしてくれた。戸惑ったし、情けないと落ち込んだ。……だが、嬉しかった」
ジオスティルの低い声が、静かな夜に響いている。
森の木々がさわさわと揺れている。魔獣がうまれる夜も森も今は恐ろしいものではなく、二人きりでいると特別な、美しい景色のように感じられた。
「ジオスティル様は、いつから一人きりでここに?」
「……それは」
ジオスティルは僅かに逡巡するように、声を途切れさせた。
聞いてはいけなかったのだろうかと、シャルロッテが質問を打ち消してしまうまえに、もう一度口を開く。
「俺がうまれて、しばらくは――両親は生きていたし、ウルフロッドの兵士たちが、異常発生した魔獣たちと戦っていた。赤子の俺は度々魔力を暴走させて、皆に化け物だと恐れられていたようだ。もちろん、記憶はない。……だが、夢を見る」
「夢ですか」
「あぁ。赤子の俺が泣き出すと、花瓶や窓が割れたり、椅子が浮き上がったり、部屋に風が吹きすさんだり、雷が落ちる。それを、皆が恐れている夢だ」
「……どうして、そんな夢を」
「わからない。頭の中に残っている記憶を、辿っているのかもしれない。それは、俺への罰だと考えていた」
「罰……」
罰などと、感じる理由がシャルロッテにはわからない。
ジオスティルは十分、人のために尽くしている。
「あれは――俺が五歳の時だろうか。五歳の俺は、ある程度魔力使うことができていた。兵士と共に魔獣の元へ行き、命じられるままに魔法を放ち魔獣を倒せるぐらいにはなっていた」
「五歳の子に、魔獣と戦えと?」
「俺は普通ではなかったからな。魔法が使えるのは、俺だけだった」
「……そうかもしれません、けれど」
「気にしてはいないよ。役に立ち、褒められたいと考えていた気がする。だが、どんなに魔獣を倒しても、恐ろしいと思われるだけだった。その頃は既に、魔獣の異常発生は人とは違う力を持ってうまれた俺のせいだと思われていたことを、俺はわかっていなかった」
「それはジオスティル様のせいではありません」
「――だが、ウルフロッドの者たちはそう考えた。そして、十歳の時。あのことが起った」
宝石をこぼしたような星々が薄らと消えていき、朝日が昇りはじめる。
あのこと――とは、なんだろうか。
今までの話以上に、苦しいことがジオスティルの身に起ったのだろうか。
シャルロッテはジオスティルの大きな手を、ぎゅっと握りしめた。
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