悲しい夢
ロサーナとニケに「おやすみなさい」と挨拶をして、シャルロッテはジオスティルの自室に共に向かった。
ベッドに座るジオスティルの額に手を当てて、熱がないことを確認する。
「ジオスティル様、顔色がいいみたいです。気分は悪くないですか?」
「大丈夫だ。ありがとう、シャルロッテ。君も疲れただろう、よく眠ってくれ」
「……はい。ジオスティル様も」
「あぁ」
「おやすみなさい」
「おやすみ、シャルロッテ」
「隣の部屋にいますから。なにかあったら呼んでくださいね」
「ありがとう」
ジオスティルは、眠れるのだろうか。
心配に思いながらも、シャルロッテは自室に戻った。
ぷにちゃんとぷにちゃんに乗ったウェルシュがシャルロッテのあとをついてくる。
シャルロッテはぷにちゃんを持ち上げると、ベッドの上に乗せてあげた。
それから自分も横になる。
「ぷにちゃん、ウェルシュ、おやすみなさい」
「ぷぐ」
『お休み、シャルロッテ』
「……なんだか、嬉しいですね。おやすみと言えるのは」
「ぴ」
『そうね。おやすみ。いい言葉だわ』
ぷにちゃんとウェルシュを撫でて、シャルロッテはベッドの中で目を閉じた。
夜のとばりが落ちるように、蝋燭の炎が消えるように、すとんと眠りに落ちていく。
「シャルロッテ! 窓の端に埃が溜まっているわ! 掃除一つできないの!?」
穏やかな眠りを遮るように、金切り声が響いた。
シャルロッテは――薔薇の棘をハサミで切っていた手を止める。
アルシアが庭の薔薇園を散歩していた時に、薔薇の棘が服に引っかかったと文句を言って「私が怪我をしたらどうするの? 薔薇の棘を切っておいて。役立たず」とシャルロッテに命じたのである。
庭園を管理しているのは、穏やかな人柄の庭師の高齢の男性だった。
彼は古くからハーミルトン家に仕えていた男で、シャルロッテの祖母を敬愛していた。
その為、シャルロッテの祖母が亡くなってからディーグリスに冷遇されていた。
ディーグリスにとっては、シャルロッテの祖母――マルーテに忠誠心があるような古い使用人たちは、全員邪魔でしかなかったからだ。
庭師の男は目立たないように過ごしていたが、シャルロッテのことを不憫に思っていた。
だから、シャルロッテにこっそり自分の分の食事を分けたり、庭で育った野いちごやブルーベリーの実をくれたりしていた。
けれど、それがディーグリスにばれてしまい、酷く罵倒された。
口汚く罵られたことで我慢の限界を迎えてしまったのだろう。
庭師は仕事をやめて、ハーミルトン家から去ってしまった。
庭師が辞めたのはシャルロッテのせいだと、ディーグリスは言った。
だから、庭の手入れをしろと言われた。
シャルロッテはいつものように「わかりました」と明るく答えた。
庭師がいなくなってしまって悲しかったが、悲しみを顔に出すとディーグリスは余計に苛立ってしまうことを、シャルロッテは知っている。
庭の手入れをし始めると、新しい玩具をみつけたというような顔でアルシアがやってきて、薔薇についての文句を言い出したというわけである。
アルシアはいつも退屈していた。ディーグリスはシャルロッテが暗い顔をしていると苛立つようだったが、アルシアはその逆で、シャルロッテが笑顔でいることが気に入らないようだった。
どこまで用事をいいつけて、我が儘を言って罵倒したら、シャルロッテが泣き出すのかを試しているのではないかと思えるほどに、毎日用事を言いつけて些細なことで言いがかりをつけて、我が儘を言い続けていた。
「この私に、埃まみれの家で生活しろというの!? この役立たず! 親不孝者!」
「ごめんなさい、お母様」
「家においてやっているんだから、少しは役に立ちなさい。産んでやったんだから、恩を返しなさい!」
「はい、お母様」
シャルロッテは頭をさげて謝った。
ハーミルトン家はとても広い。シャルロッテ一人ができることには限りがある。
だが、誰もシャルロッテを手伝ってくれる者はいない。
(今日は、薔薇の棘を全部切って、窓の枠を全部拭いて……それから、食事の支度と、お風呂も沸かして。洗濯をしたシーツを取り込んで、それから……)
やることが、山のように積み重なっていく。
最近は眠れないことも多い。睡眠時間を仕事にあてないと、溜まっていく仕事が終わらない。
家事は、毎日のことだ。そこには終わりはない。
それに加えてこうしてアルシアやディーグリスから何かを言いつけられたり、叱られたりすると――更に時間がなくなってしまう。
シャルロッテをひとしきり叱りつけたあと、ディーグリスは「あんたなんて産むんじゃなかった」と叫ぶように言い捨てると、シャルロッテの前から去っていった。
一人きりになったシャルロッテは、庭園の奥へと走って行く。
泣いている暇なんてないと分かっているのに、感情を抑え込められなかった。
庭園の奥には薔薇の中央にガゼボがある。
ふらふらしながらその場所まで辿り着くと、いつもは押さえ込んでいた涙がこぼれ落ちた。
「あれ……?」
ガゼボには、見知らぬ男が座っている。
美しい金色の髪に、青い瞳の黒衣の男だ。
「シャルロッテ」
男は――ジオスティルはシャルロッテの名前を呼んだ。
いつの間にかそこはハーミルトン伯爵家の庭ではなくなっている。
あたたかい食卓に、ジオスティルがいて、ニケがいて、ロサーナがいる。
ウェルシュとぷにちゃんがいる。
シャルロッテ大きな声をあげて、ぼろぼろ泣いた。
ここには――シャルロッテを責める者は、誰もいない。
シャルロッテはもう一人きりで、悲しみと怯えを心の中に押し込めて、必死に働く必要はないのだ。
「……ん」
遠くで、雷鳴が聞こえる気がする。
悲しい夢を見たのか、流れ落ちた涙でしっとりと髪が湿っていた。
あまりよく覚えていないが、泣いていた割には心はすっきりしている。
もしかしたら悲しい夢ではなくて、嬉しい夢だったのかもしれないと思いながら、シャルロッテはベッドから起き上がった。
部屋はまだ暗い。
日が昇る前のようだ。枕の横では、ぷにちゃんとウェルシュがくっつき合うようにして眠っている。
「……ジオスティル様」
雨が降っているわけでもないのに、雷の音がする。
魔法の雷の音だろう。ジオスティルが起きている。どこかで、戦っている。
シャルロッテはそろりとベッドから抜け出すと、部屋から出た。
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