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北への旅路



 足の太いゴルテオ馬がカラカラと音を立てながら荷馬車を引く。

 グリーンヒルドから、ウルフロッドまでは補給地点を挟んで五日程度の道のりであると、御者台で馬の手綱を握っているゲルドが言った。


 シャルロッテは、ほろのない荷馬車の荷台に座っている。

 荷台には何が入っているのかはわからないが、箱や樽が座る場所がないぐらいに乗せられている。

 馬が引くことができる重さにとどまるように留意しながら、けれど積載量ぎりぎりまで荷物を積むのは、荷馬車にとっては当然だ。


 補給と移動を繰り返し目的地に着くまでは時間と金がかかり、その間の費用を多く見積もってくれる依頼主もいれば、そうでない者も多い。

 それ故、運ぶ荷物の量が多ければ多いほど効率がよく、金にもなるからだ。


 シャルロッテは座る場所がないので、手頃な木箱の上に座っていた。

 馬車が進むたびに凸凹した道のせいで荷台が揺れて、シャルロッテの体を時折木箱の上でぴょんぴょんと跳ねさせる。


 お世辞にも座り心地がいいとは言えなかったが、硬い床で眠ることは慣れていたので、さほど苦にはならなかった。


 ゲルドは無精髭のはえた男性で、年齢はシャルロッテの父と同程度に見える。

 シャルロッテの父は痩せていて全体的に体が薄いという印象だが、ゲルドは腕が太く、全身に厚みがある。よく鍛えられた体躯と、しっかりした顎とまっすぐな眉が印象的な、強面の男だった。


「次の補給拠点の村によるまでは、特にやることもない。寝ておけ、お嬢さん」


 低く掠れた声に話しかけられて、シャルロッテは体が揺れるせいで舌を噛まないようにしながら返事をした。


「ありがとうございます、ゲルドさん! 辺境の町の名前はなんというのですか?」

「ミトレスだ。だが、俺たちの目的地はミトレスじゃない」

「違うのですか?」

「あぁ。俺の雇い主はウルフロッド辺境伯。ウルフロッド辺境伯邸に荷物を届けるのが役目だ。あそこのお坊ちゃんは少々変わっていてな」

「お坊ちゃん。お若い方が雇い主なのですね」


 シャルロッテの頭の中に、小さな男の子の姿が浮かんだ。

 辺境伯のご子息が、ゲルドを雇っているというのはなんとなく微笑ましい。


「いや。お坊ちゃんといっても、もう二十歳は過ぎている。ウルフロッド辺境伯、ジオスティル様だ。なんだか知らんが、辺境伯家に一人で住んでいてな」

「お一人で? 辺境伯様が?」

「ま、雇い主の事情までは踏み入らないがな。俺はただの荷物運びだ。依頼を受けて、荷物を運ぶだけが仕事だからな」

「ジオスティル様……」


 頭の中の少年がパッと消えて、次に浮かんだのは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた怖そうな青年だった。

 シャルロッテは社交の場に出たことがないので、貴族について詳しくない。

 貴族について詳しくなければ、この国のこともそこまでよくは知らない。

 当然、ジオスティル・ウルフロッドに会ったこともない。


 ということは、同じ貴族とはいえ(辺境伯と伯爵では差異があるが)ジオスティルはシャルロッテの顔を知らないだろう。

 貴族の元まで荷物を運ぶと言われた時はやや内心焦っていたが、ひとまず安堵して、シャルロッテは小さくなっていく街に視線を向ける。

 長年暮らしていた伯爵家はもう見えない。グリーンヒルドの町も、今はもう豆粒のようだ。


(荷下ろしの手伝いが終わったら、ミレトスの街に行こう。それから、仕事を探さなくちゃ)


 読み書きは、そんなに得意ではないけれど、メイドとしての仕事なら一通り行うことができる。

 大丈夫、なんとかなる。

 そう自分に言い聞かせていると、街から離れることができた安心感もあってか、いつの間にか眠りに落ちていた。


 ◇


 シャルロッテが物心ついた時、すでにハーミルトン家には居場所がなかった。

 両親は愛らしい服を着せてもらった妹のアルシアを可愛がり、シャルロッテは飾り気のない一枚布で作ったような、古びた服を着せられたきりだった。


 両親と話をしたくても、撫でてもらいたくても、抱きしめてもらいたくても、シャルロッテは「邪魔だ」「あっちにいけ」と、邪険にされていた。


 そしてある日、自室で眠っていたシャルロッテが目覚めると、侍女頭によって「奥様がシャルロッテ様の部屋はここだとおっしゃられています」と言って、屋根裏に連れていかれたのだった。


「どうしてです、私、お母様の子供ではないのですか?」


 混乱しながら侍女頭に尋ねると、いつも厳しい顔をしている彼女は眉を寄せて、頭を振った。


「シャルロッテ様は、亡くなられた大奥様によく似ているのです。その銀の髪も、紫の瞳も。奥様は、大奥様を嫌っていました」

「嫌っていたのですか……」

「大奥様はよく、精霊の声を聞きました。それが不気味だと思っていたようです」

「精霊の声?」

「はい。私には分かりませんが、大奥様は精霊の声を聞いて、時々未来を言い当てることがあったようです。優しく皆から慕われる大奥様はこの家ではとても尊重されていて、奥様は肩身が狭い思いをしたようです」

「優しくて慕われているお婆様がいらっしゃるのに、肩身が狭くなるものなのですか?」


 侍女頭は、シャルロッテの母、ディーグリスの前ではシャルロッテに厳しく当たっていたが、それは彼女の本意ではなかったようだ。

 二人きりの屋根裏ではシャルロッテに同情的で、むっつりと閉じられた口を軽々と開いてくれた。


「奥様は、もともと侯爵家のご令嬢でした。没落しかけていたのを、旦那様が救う形で結婚なさったのですが、気位が高く、大奥様が自分よりも尊重されていることが許せなかったのです。旦那様も、大奥様のご存命の時分には、大奥様の言いなり──のように見えたのでしょう」

「私の見た目が、おばあさまと似ているから、お母様は私を嫌っているのですね……」

「嘆かわしいことですが、私たち使用人にはどうすることもできません」


 侍女頭の言っていた通り、ディーグリスは侯爵家にいた時と同じように金遣いが荒かった。

 没落をしかけていたのも、裕福だった時代の癖が抜けなかったせいで、領地が飢饉に見舞われて税収が目に見えて減っていても、優雅な暮らしをそのまま続けていたからだった。


 ディーグリスの望む暮らしは、伯爵家の資産ではとても賄えず、給金を支払えなかったことに加えて、シャルロッテの扱いを見るにみかねたということもあったのだろう。


 一人、また一人と使用人が減っていった。

 シャルロッテに同情的で、時々食事を分けてくれた侍女頭も、気づけば姿を消していた。


 そうして、シャルロッテがそのつけを支払うことになったのである。


 屋根裏に押し込まれた時から、まともな食事を与えられずにシャルロッテは腹をすかせていた。

 父や母に「食べるものをください」と訴えると、「ならば働け」「役立たずに与える食事はないのよ」と言われた。


 日々数を減らしていく使用人の代わりに、メイドとして働けば、一日に一個のパンと干し肉を少し与えてもらうことができた。

 声が小さいと、態度が悪いと言って叱られるから、できる限り笑顔で、はきはき喋ることを心がけた。


 そうして、気づいたら伯爵家の家事をほぼ一人でこなすようになっていた。

 日々の忙しさに忙殺されて、気づけば十八歳。


 とっくにデビュタントを果たしていたアルシアは、あと数年でディーグリスが見つけてきた結婚相手である、侯爵家の次男を婿入りさせることになっていた。


 その時はすでに、伯爵家は度重なる浪費によって斜陽を迎えていたのだろう。

 侯爵家の次男を婿入りさせてから、実は貧乏だったなど知られるのは外聞が悪いと考えた両親は、シャルロッテを売り払うことにした。


「シャルロッテはもういらないわ。もっと年嵩になれば、売れるものも売れなくなってしまう」

「あぁ、そうだな」

「十八なら、まだ花の盛り。大きな街の娼館であれば、いい値がつくでしょう? アルシアに恥をかかせないためよ。いつまでも、家にいてもらっては困るもの」

「……あぁ、そうだなディーグリス。どこかの貴族に嫁入させるという手もあるが」


「それは嫌よ。シャルロッテは私の子ではないわ。あの子が貴族のままでいるなんて、耐えられない。娼婦がお似合いよ。それに、娼婦であれば、月の稼ぎを我が家に送らせることもできるもの。嫁がせるよりは、売ってしまったほうが、まだ役に立つというものよ」


 そんな両親の話を、たまたま両親のいる部屋の前を通りかかったシャルロッテは、盗み聞きしてしまった。


(私は、売られるんだ……)


 ただ忙しなく家事をこなす毎日がずっと続くとは思っていなかった。

 けれど──。

 いつかは家族として扱ってもらえるかもしれないという淡い期待が、足元の床にひびが入り崩れ落ちていくように、一気に崩れて消えていった。


 そうして、シャルロッテは逃亡を決意した。

 このままここにいたら、売られて、きっと死ぬまで搾取され続けるのだ。


 その日から、家族は妙にシャルロッテに優しくなった。

 シャルロッテが妙な気を起こさないようにしたかったのだろう。人買いがやってくる日までは。

 アルシアはにこにこ笑いながら「お姉様がいてよかった」と言った。


 それは多分、「お姉様がいるから、お金が手に入る」という意味だったのだろう。

 いつもは「早くして」「役立たずのメイド」「食事がまずい」と、アルシアはシャルロッテを叱責するのが日々の日課のようなものだった。

 シャルロッテは道化のように笑いながら「ごめんなさい」と謝り続けていた。


 いい思い出は、あの家にはない。

 だから、私は──。


 ◇


「お嬢さん、休憩だ」

「ん……あ、ゲルドさん。ごめんなさい、寝てしまって……!」

「俺が眠れと言った。馬屋に荷を預けて、飯を食って宿で寝る。明日も早い」

「荷物、預けてしまっていいのですか? 盗まれたら……」

「そうならないように、馬番に多めの金を渡すんだ。辺境伯は金ばらいはいいからな」


 いつの間にか眠っていた。

 ゲルドに起こされた時には、補給拠点の名も知らない小さな街へと到着していた。



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