辺境の街ミトレス
翼のある犬に名前はない。
それはジオスティルが、空を飛ぶ魔獣を参考にして魔力で練り上げた獣だからで、ジオスティルにとってはとくに思いいれもなにもない、荷運び用の乗り物に過ぎないからだ。
そんな話を、翼のある犬の背にジオスティルと共に乗って、シャルロッテは聞いていた。
荷台へ荷物を積むのを手伝うと言ったのだが、ジオスティルが指先を向けただけで荷物はひとりでに浮かびあがり、荷台へと積まれてしまった。
翼のある犬には騎乗用の鐙がついていて、シャルロッテの体を軽々と持ち上げて、ジオスティルは獣の上にシャルロッテを乗せた。
それから自分もシャルロッテの背後に乗ると、獣は荷台ごとふわりと浮かびあがった。
「空を飛んでいますね、すごい!」
「そうか。喜んで貰えてよかった。しっかり捕まっていろ、シャルロッテ。落ちないように」
「はい! 荷台も浮くのはどうしてなんでしょう、不思議ですね」
「この獣に翼があるのは、ただの飾りだ。俺の魔法で浮かせている。荷台も、獣も」
「獣が飛んでいるわけではないのですか?」
「あぁ」
「翼のある犬に名前がないのは不便なので、名前をつけてもいいですか?」
「構わないが、本物の獣ではない。名前は必要だろうか?」
「名前がないと、あの乗り物――という呼び方になってしまうので、どの乗り物か分からないです」
眼下に草原が広がっている。
それから、広大な森林が点在している。木を切る者がいないのだ。
木々を伐採して街ができ、畑ができ、採掘所ができる。
だが人がいなくなれば、自然は本来の姿を取り戻す。深い森や、湖や川。
空から見下ろす限りでは、魔素汚染が起っているとは思えないぐらいの美しい景色だった。
「白くて綺麗な犬の姿をしているので、エルフェンスでどうでしょうか?」
「白い獣という意味だな」
「そのままですね」
シャルロッテは気恥ずかしく思い、苦笑した。
「とてもいいと思う。では、エルフェンスと」
翼のある犬の名前はエルフェンスとなり――ウルフロッド辺境伯家からさほど遠くない場所にある、崩れた壁に囲まれた街へと、エルフェンスはシャルロッテたちと荷物を運んだのだった。
かつては高い塀に覆われた大きな街だったのだろう。
けれど今はその塀は崩れて、石造りの家々も大半が廃墟になっている。
人が住んでいるようにはとても見えない、ミトレスとはそんな街だった。
家々の並ぶ街の広間にエルフェンスは降りる。
「誰もいませんね……」
シャルロッテの知る街とは、グリーンヒルドだけだが、いつでも外を人が歩いていた。
子供連れの夫婦や、忙しなく働く人々。のんびり散歩している老夫婦。
着飾っている者もいれば、古びた服を着ている者もいる。街路樹や、花壇の花々。川が流れ、川では子供たちが魚をとっている。
しかし、ミトレスはシャルロッテの知る街とは全く違う。
「俺がうまれた日に、魔獣の異常発生が起った。魔獣たちは辺境に点在していた小さな村を飲み込み、押しつぶした。ほとんどの人は辺境から逃げたが、それでも逃げられない者たちもいる。残った者たちがミトレスに集まり、暮らしている」
ジオスティルが荷物をふわりと浮かべて、広場に降ろした。
シャルロッテはあたりを見渡す。ふと、残された建物の中からシャルロッテたちを見つめる沢山の視線に気づいた。
皆、怯えたような、疑うような視線を此方に向けている。
ジオスティルは、街の人々に嫌われていると言っていた。
食べ物などの物資を運んでいるのに、嫌うことなどあるのだろうかと不思議に思っていたが、確かに歓迎されている雰囲気ではないようだ。
「これはこれは、辺境伯様。今回も施しを、ありがとうございます」
建物の中から男が現れて言う。
ジオスティルと同じ年ぐらいか、少し年上ぐらいに見える男である。
大仰な仕草で両手を広げて恭しく頭をさげる。
シャルロッテはやっと話をしにきてくれる人がいたと思い、ぺこりと頭をさげた。
「はじめまして。昨日からジオスティル様の元へお世話になっている、シャルロッテと言います。私は――その、使用人です。皆さんが困っていると聞きました、食料です。こちらに置いておきますね」
「使用人?」
「はい」
「つい最近、父が死にました。母は、もっと昔に死にました。だというのに、辺境伯様は女を侍らせている、と」
男の言葉に、シャルロッテは大きく目を見開いた。
まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったからだ。
「――そのような言い方を、認めることはできない。お前たちが俺を恨むのは勝手だが、シャルロッテは関係ない」
黙り込んでいたジオスティルが、はじめて口を開いた。
「辺境伯様におかれましては、俺たちがこのような状況にあるというのに、のんきに嫁を娶っていらっしゃるというわけだ。今まで父が、俺たちへの施しを受けとっていましたが、今日からは俺が行います。今日も、辺境伯様の優しさで、俺たちは生きていけます。ありがとうございます」
「アスラム。父親のことは、残念に思う。荷物は、置いておく」
「……!」
アスラムと呼ばれた男性は、憎々しげにジオスティルを睨みつけた。
シャルロッテは二人の間に挟まれる形で、戸惑いながら眉をひそめる。
この街は、魔素汚染の影響を受けているから、ジオスティルの運んでくる食材で暮らすしかないのだろうか。
ジオスティルはこの街を守るために、朝も夜も魔獣と戦い続けているのに――街の人々から向けられる感情は、敵意や悪意ばかりだ。
「あ、あの……! 私、辺境伯家の敷地で、食べ物をつくろうって思っていて……あの場所なら、ジオスティル様がいつもいます。だから、守って頂けますし、安全です。ここは離れていますから、皆さんで引っ越してきたら、どうかなと思うのですが」
睨み合う二人から漂う緊張を打ち消すように、シャルロッテは明るい声で言った。
ウェルシュの話を聞いてから、考えていたことだ。
街を見た限り、人はほぼ、住んでいない。運んできた食材で、数週間を過ごせる程度の人間しか残っていなということだろう。
だとしたら――辺境伯家にきてくれたらいいのにと思う。
シャルロッテ一人の力では限界がある。一緒に、手つかずの土地を耕し、林を開墾してくれたらいい。食べ物は自分たちでつくることができる。一カ所にいれば、ジオスティルも守りやすくなるだろう。
「馬鹿なことを。俺たちがこの化け物と一緒に? こいつがうまれたせいで、多くの人が死んだというのに?」
「それはジオスティル様のせいではありません」
「騙されてるんだよ、あんたは」
「そんなことはありません。ジオスティル様は優しい人です。……苦しいことや辛いことを誰かのせいにしたくなる気持ちも分かりますけれど……」
「あんたに何がわかるんだ!」
「シャルロッテ」
怒りに満ちた表情でアスラムが怒鳴る。
シャルロッテはジオスティルに促されて、もう一度お辞儀をすると、帰るためにアスラムに背中を向けてエルフェンスの元まで歩いた。
「化け物め!」
「化け物に惑わされた不吉な女め!」
「お母さんをかえせ!」
「何も知らないくせに、えらそうに!」
今まで家の中に隠れていた者たちが、背を向けた途端に家の中から現れて、口々にジオスティルを罵る。
ジオスティルは表情を変えないまま「すまない」と、小さな声でシャルロッテに謝った。
「いえ、私こそ、余計なことを……っ、いた……っ」
シャルロッテの背中や頭に、何か硬いものが当たる。
それは、石だった。
頭は少し切れたのだろう、赤い血が、一筋流れ落ちてきた。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。