世界樹ユグドラーシュ
ジオスティルはゆっくりとスプーンで芋のポタージュを口にして「美味しい」と言って微笑んだ。
「よかった。ジオスティル様、少しは眠れましたか?」
「あぁ。君のお陰で。――君が来てから、調子がいい。食事をしたり、きちんとベッドで眠ったりしたからだろうと思う」
「ジオスティル様……魔力がたくさんありすぎるせいであっても、睡眠と食事は大切なのだと思います。身の回りのこと、できるかぎりお手伝いしますからね」
「……ありがとう、シャルロッテ」
柔らかく微笑むジオスティルに、シャルロッテも笑顔を返した。
落ち着いていて、穏やかで、何の不安もない遅い朝だ。
――ここに置いて貰うことができてよかった。
ただただ家から逃げたい一心でここまできたが、自分の選択は間違っていなかったのだとシャルロッテは思う。
世話になった分、少しでも役に立ちたい。
『ユグドラーシュの話、していい?』
テーブルにぺたんと座っているウェルシュが言った。
小皿によそったポタージュスープをすっかり食べ終えて、お腹をさすりながら眠そうにしている。
『ずっと、お腹がすいていたの。お腹がいっぱいになると、眠くなるのね』
「ウェルシュさん、寝てしまう前に教えてください。ユグドラーシュに何かがあって、ユグドラーシュを治すことができれば、ジオスティル様の体も楽になるのですよね」
『そう。魔素汚染も止められるわ』
「何があったのですか? ジオスティル様、ウェルシュさんの声、聞こえないですよね」
二人で話してしまうと、ジオスティルが困るのではと思い尋ねると、ジオスティルは首を振った。
「問題ない。君の言葉で、大体を察することができる。何か疑問があれば、尋ねる」
「わかりました」
『今から、ずっとずっと前。ちょうど、ジオスティルがうまれた日。ユグドラーシュからこぼれた魔素が、四人の大精霊様たちを、四体の魔竜へと変えてしまったの』
「ユグドラーシュから、魔素があふれて、精霊が……竜になった?」
竜というものを、シャルロッテはよく知らなかった。
それは吸血鬼やアンデットなどと同じく、子供の話すおとぎ話の中に出てくる存在だ。
ジオスティルは「竜……」と、真剣な顔で呟いた。
『あたしたちは四人。水と、土と、風と、火。あたしたちの主も四人。それぞれに、大精霊様がいて、ユグドラーシュを守っているのよ』
「水と土と風と火の精霊と、大精霊がいるということですね。ウェルシュは、水の精霊」
『そう! 偉大なる水の大精霊ウェンディ様に仕える精霊よ。ユグドラーシュは、全ての世界の源。水と、土と、風と炎。それから、光と闇を司るもの。ユグドラーシュを守ることは世界を守ることと同じ。ユグドラーシュの化身である大精霊様たちが魔竜に姿を変えてしまい、ユグドラーシュは枯れてしまった』
「ちょっと待ってください、ジオスティル様、紙とペンはありますでしょうか」
「ある」
ジオスティルがパチンと指を弾くと、シャルロッテの前に紙とインク壺、ペンがあらわれる。
「わぁ、すごい」
「これぐらいは、できる。何かあれば、いつでも言ってくれ」
「ウェルシュさんの話、難しいので、紙に書きますね。でも私、文字があまり、得意でなくて。もし、スペルが間違っていたら、言ってくださいね」
シャルロッテはまともな教育を受けさせて貰えなかったことを、はじめて恥じた。
伯爵家にうまれたというのに、文字も書けないなんて。
ジオスティルにはシャルロッテの出自を話していない。
だがもし知られたら――失望されてしまうかもしれないとふと考える。
(違うわね、ジオスティル様はそんな人じゃない。身分なんて必要ないと言って、私と一緒に食事をしてくれるのだから)
恥ずかしく情けないという感情を、ジオスティルのせいにしてはいけない。
それはただ単純に、シャルロッテが自身を恥じているというだけだ。
「あぁ、ありがとう。書いてもらうと、ありがたい」
「はい」
シャルロッテは、紙の真ん中に一本の木を書いた。『ユグドラーシュ』と名前も書く。
それから、四人の大精霊の姿を、三角形で。ウェルシュたち小さな精霊を、その傍に星で示した。
大精霊の横に、『魔竜』と書く。
『枯れたユグドラーシュの中には、私たちの王様、光と闇の精霊王様がいるの。精霊王様が倒れて、世界樹の森から魔素が溢れたのよ。ジオスティルが産まれたときにそれが起ったものだから、ジオスティルはニンゲンなのに、魔素の影響を強く受けて魔法が使えるのようになったの。たぶん、ね』
精霊王。枯れたユグドラーシュ。
ジオスティルの姿は三角形に丸をつけた人型にして、『ジオ様』と『魔法』と書いた。
「これは、俺か」
「はい」
「俺の名前。ジオと書いてある」
「ジオは、じ、お。書けます。スティルは、わからなくて」
「……そのように呼ばれるのは、はじめてだ。シャルロッテ。嬉しいものだな、親しく呼んで貰うのは」
「ごめんなさい、書けなくて」
「いや、いい」
『あの。話、続けていい?』
嬉しそうなジオスティルの様子に、シャルロッテは気恥ずかしくなって目を伏せた。
ウェルシュは飛び上がると、シャルロッテの耳を引っ張る。
「は、はい、ごめんなさい、ウェルシュさん。つづけてください」
『魔竜たちに精霊王様は囚われている。魔竜の中には、大精霊様が囚われている。そのせいで、光と闇の均衡が崩れて、溢れた魔素からたくさんの魔獣がうまれる。夜になると、たくさんの魔獣が世界を壊すためにやってくるのよ』
「夜になると……?」
『そう。夜は魔素から魔獣を生み出すの。魔獣は魔素を運ぶ。ジオスティルが魔獣を倒して、魔素が広がるのを押さえてくれているから、この土地よりも向こう側は、まだ無事でいられる』
「私は、昨日、とても穏やかな夜を過ごしました。魔獣というこわいものの気配は、しませんでした。ジオスティル様の寝不足の理由は、……夜に魔獣を退治しているから?」
シャルロッテは、ユグドラーシュの周りに狼に似た獣の姿を描いた。
そこに『魔獣』と書く。
ジオスティルは何も言わずに、視線を逸らした。きっと、それは肯定の返事と同義だろう。
あまり知られたくないことだったのかもしれない。
『でも、それは時間の問題。やがて魔素は全てを覆い尽くして、ニンゲンの住める土地はなくなる。世界樹が枯れるというのは、そういうことなの』
「……魔素が、やがて国中に広がって、国が滅ぶということですか?」
『ええ。そのうちね』
「ウェルシュさん。私たちは、どうしたら」
『だからずっと、私はジオスティルのそばにいたの! ジオスティルは、ニンゲンなのに大精霊様と同じぐらいの魔力があるもの。魔竜を倒して、精霊王様を救えば、ユグドラーシュは生き返るの。そうすれば、全て元通りになるわ』
「ウェルシュさんは、ジオスティル様に魔竜を倒して欲しいのですね」
『そう! 世界の成り立ちを、ニンゲンは知らないでしょう? あなたたちは、ユグドラーシュの根の上で生きているの。いくら魔獣の進軍を食い止めても、全ての根が枯れれば魔素が溢れて、土地は汚染される。だから、あなたたちの為でもあるのよ』
ウェルシュさんは私の指を小さな手で掴んだ。
『シャルロッテ、あなたが来てよかった。ジオスティルにはあたしの言葉は届かなくて、魔獣だと言われて殺そうとするのだもの。シャルロッテ、あたしを助けて!』
小さな手からウェルシュの必死さが伝わってくるようだった。
シャルロッテは頷く。
けれど――魔竜を退治するというのは、危険なことではないのだろうか。
不安になってジオスティルを見つめる。
度々倒れるほどに体が弱っているジオスティルに、それを頼むのは、酷ではないのだろうか。
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