積荷の中身
ジオスティルが使用している隣の部屋には、ベッドがあり、戸棚があり、ソファがある。
大きなお屋敷の一階にあるのは大抵使用人の部屋だが、シャルロッテからしてみれば、どのベッドも立派だ。
ウェルシュを枕の横に寝かせて、ゆっくり眠って、朝早くから目覚めたシャルロッテは、「よし!」と言って身支度を整えた。
シーツを剥がして両手に持って、裏庭へと運んでいく。
裏庭に繋がる洗濯場と思しき場所には、大きなたらいや紐や、洗濯ばさみが置かれている。
井戸から水を汲んできて、まずは調理場の水がめをいっぱいにする。
それから、桶に水を汲んできて、林から摘んできたシャボン草を使用して、たらいに水を張ってシーツを押し洗いしながらシャボン草を擦り付けて泡立てた。
石鹸の原材料になるシャボン草は、どこにでも生えている。
水につけると泡が出るので、洗濯や体洗いや、歯磨きや洗髪、あらゆる用途に使用することができる。
今は葉を葉として使うよりは、加工された商品を買う者のほうがずっと多いのだが。
シーツと、ジオスティルの服と、自分の服を洗って、裏庭の木に紐をくくりつけて、よく絞った洗濯物を干していく。
シャボン草の泡が、裏庭にシャボン玉になって浮かんでは弾けて消える。
明るい日差しと、爽やかな風。
洗濯は毎日の仕事なので慣れたものだけれど、ジオスティルのために働くのだと思うと、ハーミルトン伯爵家にいた時のような、苦しい気持ちはなくなった。
「ジオスティル様は起きたかしら……」
洗濯を終えて、薪を集めて調理場のかまどで火を起こす。
林の中で見つけたハニーミントの葉を、小鍋に入れてお湯と共に煮出すと、ハニーミントティーができあがる。
手付かずの裏庭や、林の中には、たくさんの恵みがある。
探せば食べられるものもたくさんあるだろう。辺境伯家の林の中だけではなく、その奥に広がる広大な森の中に入ればもっと、たくさん食べられるものがあるはずだ。
『朝から何をしているの、シャルロッテ』
「ウェルシュさん、おはようございます。今はお茶をいれているのですよ。よく眠れましたか?」
『うん』
お茶を運ぶためにトレイに乗せていると、ウェルシュがふわふわと現れた。
眠そうに目をこすりながらシャルロッテの顔の横で飛んでいるウェルシュに、シャルロッテは笑顔で挨拶をする。
『お腹がいっぱいになって、ふかふかの上で眠ったの。とても幸せだったわ。ユグドラーシュから弾かれてから、初めてのことよ』
「ユグドラーシュってなんでしょうか」
『世界樹のことよ。ニンゲンって何にも知らないのね!』
ウェルシュを連れて、ジオスティルの部屋へと向かう。お湯を張った水桶と、ティーカップを一つ。
それから布と、櫛と、汚れ物入れ。
カートを運んでジオスティルの部屋の前で声をかけると、中から「入っていい」という声が聞こえた。
昨日の声よりも覇気がない。
とても眠そうで、だるそうな声だった。
「ジオスティル様!」
シャルロッテはパタパタとジオスティルの眠るベッドまで走っていく。
「大丈夫ですか? お熱が出たのですか?」
ベッドに横になっているジオスティルの額に手を当てる。ウェルシュがジオスティルのそばをひらひらと飛んだ。
額は熱くない。けれど、青白い。
「あまり、眠れなかった。それだけだ。おはよう、シャルロッテ。ずいぶん、早いな」
「ジオスティル様、ごめんなさい。早すぎましたか?」
「いや、そんなことはない」
「あの、カーテンを開いていいですか?」
「あぁ」
薄暗い部屋の分厚いカーテンを開くと、朝の光が部屋に一気に溢れた。
ジオスティルの白に近い金の髪を、明るい日差しが輝かせる。
気怠げに、眩しそうに日差しに目を細めるジオスティルは、ベッドからゆっくりと起き上がった。
「……目覚めても、君がいる。不思議だと、思う」
「いますよ、ここに」
「あぁ。……いい匂いがする」
「ハニーミントティーをいれてきました。少し飲みますか?」
「魔獣も、まだいるのか」
『精霊よ、失礼ね! シャルロッテ、この子に教えてあげてちょうだい。体調が悪いのは、魔力が多すぎるからだって。使っても使っても、人間の体には有り余るほどの魔力が溢れてくるのよ。それは、具合も悪くなっちゃうわよ』
やれやれというように、ウェルシュが肩をすくめる。
シャルロッテはお湯に浸した布を絞って、ジオスティルの顔や首を拭いて、ハニーミントティーの入ったカップを手渡すと、それから、やや乱れた美しい髪をとかした。
「ジオスティル様、ウェルシュさんが、ジオスティル様の体の調子が悪いのは、魔力が多すぎるからって言っています」
「そうだな。そうだろうとは、思っていた」
『あら、知っていたの?』
「今では、暴走することはなくなったが、昔は力が抑えられずに、屋敷を壊すこともあったぐらいだ。魔法を使用した後は、多少体が楽になる」
『もともとニンゲンには魔力がないのだもの。この子はあの嵐の日に生まれたの。だから、魔素の影響を、すっごくたくさん、受けてしまったのよ』
「ええと……ジオスティル様は嵐の日に生まれたのですか? それで、まそ、というものの影響を、たくさん受けているみたいです」
「……わからないな」
ジオスティルは首を振った。ジオスティルがわからないことは、シャルロッテにもわからない。
「ウェルシュさん、ジオスティル様の体を治すには、どうしたらいいのですか?」
『ユグドラーシュを治して! そうしたら、ジオスティルの体も安定するわ。ユグドラーシュは、すべての魔素の源だもの』
「……ジオスティル様。ウェルシュさんは、ユグドラーシュを治してほしいと言っています」
「その話はあとで。シャルロッテ、これはとても美味しいな。体が、楽になるようだ」
ジオスティルの髪を編み終えたシャルロッテは、空になったカップを受け取った。
「召し上がってくださって、よかったです。ジオスティル様は、いつもは朝ごはんは何を食べるのですか?」
「あまり食べない」
「そういえば……ご飯は滅多に食べないって、言っていましたね。それはあまりにも不健康です。今日からは私が、ちゃんと朝ごはんを準備しますからね」
「そのことなんだが……」
ジオスティルは立ち上がると、「ゲルドの積荷に、食料が入っている」と言った。
「ミトレスの街に送るためのものだ。俺の分ではないのだが、君に不自由をさせたくはない。だから、必要な分はここに残していい。それ以外は、ミトレスに送る」
「ジオスティル様は、街の人々のために食料を?」
「ウルフロッドでは、食料はいつでも不足している。俺が生まれた年に、魔獣の異常発生が起こった。それから、この土地は呪われている。作物は育たず、動物は魔獣に食われた。川も汚染され、魚も消えた」
「でも、ジオスティル様。ここにくるまでに見た景色は、とても自然が豊かに見えました」
「見た目だけ、は。辺境伯家の敷地内の林では、果物が少しとれる。それ以外の土地は駄目だ」
シャルロッテは眉を寄せる。そんなことがあるのだろうか。
でも、本当にそんな状態だったら、みんなこの土地から逃げていってしまうだろう。
「街には一人握りのものたちしか残っていない。だが人は住んでいる。……放っておくわけにはいかない。俺にできるのは、ゲルドに頼み、食料を運んでもらうことぐらいだが」
『あたし、あの井戸に住んでいたの。だから、ここの水は綺麗。他の場所は、駄目ね。魔素汚染が起こっているの』
ウェルシュは何か事情を知っているようだったが、とりあえずシャルロッテは気怠げなジオスティルをもう一度ベッドに寝かせると、「休んでいてくださいね」と言って、その額を撫でた。
ジオスティルは「一緒にいく」と言ったのだが、あまり眠れなかったジオスティルに、無理をさせたくない。
早々に部屋から出ると、言われた通りにゲルドの積荷の確認に向かった。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。