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夜の獣



 シャルロッテに用意してもらったお湯と布で体をふいて着替えをしたころ、シャルロッテが再び部屋の扉をノックした。


「ジオスティル様、入って大丈夫ですか?」

「あぁ」

「お加減はいかがですか?」


 シャルロッテは寝衣に着替えていた。

 結っていた髪をおろして、薄い飾り気のない古めかしい寝衣を着ている。

 ぱたぱたとジオスティルの元へと近づいてくるシャルロッテから、ジオスティルは視線を逸らした。

 

 それはずいぶんと無防備な姿だった。

 手も足も白い肌が剥き出しになっていて、頭から膝下までをすっぽり覆う寝衣は、シャルロッテが歩く度にひらひらと裾が揺れて白い脹脛が露わになる。


 見てはいけないようなものを見てしまった気がして、落ち着かない気持ちになった。

 女性と暮らすとはこういうことなのかと、今更ながら思い知った。

 ――女性とはこうも小さく細く、頼りないものなのか。

 ジオスティルとは何もかもが違う。


(彼女は俺を頼りないと思っているかもしれないが……)


「もうお休みの時間なのに、それでは寝にくいのではないでしょうか」


 ジオスティルの脱いだシャツなどを集めてカートに乗せながら、シャルロッテは言う。

 確かにジオスティルは、脱いだ服と同じようなシャツや、トラウザーズやベストやローブを着ている。

 これから寝る――というような格好ではないのは、ジオスティルにとって夜というのは、動かなくてはいけない時間だからだ。


「お洋服がない、とか……?」

「そんなことはないが……シャルロッテ、部屋はみつかっただろうか。手伝いにいけずに、すまない」

「そんな! 謝らないでください、ジオスティル様。住ませていただけるだけで、ありがたいことなのですから」

「だが」

「私は幸運です。ゲルドさんが馬車に乗せてくれて、ジオスティル様がお屋敷に置いてくださって。そうでなければ、野宿も覚悟していました。お金もありませんし」

「野宿など。ウルフロッド領では、絶対にいけない。覚えておいて欲しい。朝目覚めたら、君の命は奪われているだろう」

「そうなのですね……ちゃんと、覚えておきます」


 シャルロッテは神妙な顔で頷いた。


「なおさら、ジオスティル様には感謝をしないといけませんね。私、明日からもしっかり働きます。……お部屋は、ジオスティル様の隣のお部屋をお借りしました」

「隣? 隣には、ベッドがあっただろうか。君は、不自由はしないか?」

「はい。勿体ないぐらいに、立派なベッドがあります。本当は、高貴な身分のジオスティル様のお部屋の隣を使うなんて、よくないことですけれど、隣で眠っていれば、ジオスティル様は何かあったら私をすぐに呼べますでしょう?」


 すまなそうに、シャルロッテは言う。

 ジオスティルを『高貴な身分』と言うシャルロッテもまた、その所作は優雅で丁寧。

 言葉遣いも物腰も穏やかで、どこかの貴族の屋敷で働いていたメイドなのだろうかと、ジオスティルは考える。

 この部屋の隣で、シャルロッテが眠ることを考えると――何か用があると呼べる場所に、いてくれるのだという事実に、ジオスティルは戸惑った。

 

 家族や使用人がいた時間よりも、一人でいた時間の方が、ずっと長い。

 屋敷に自分以外の人の存在があるというのは、不思議だった。


 シャルロッテがいれば寂しくない。

 それはいなくなってしまったら、寂しいというのと同義で──けれどいつかくるだろう別れを考えると、シャルロッテの存在に依存してしまうのはよくないことだと、頭では理解している。


 きっと彼女もすぐにいなくなるだろう。

 ジオスティルを恐れて、この屋敷から皆、去ってしまったのと同じように。


「屋敷は、好きに使っていい。全て、君のものだ」

「ジオスティル様、私は、さっきも言いましたが、居候です。置いていただいているだけなので……」

「部屋も、道具も、物も金も、俺にはあまり必要ではない。君が使ってくれるといい」

「……ありがとうございます。私、その……ともかく、ありがとうございます」


 シャルロッテは何かを言い淀んだ。

 それから、作り物じみた明るい笑顔で礼を言った。


「ジオスティル様、おやすみなさい。ゆっくり寝てくださいね。もし具合が悪くなったり、困ったことがあったら、すぐに呼んでください」

「あぁ、君も。長旅できっと、疲れているだろう。今日は、ありがとう。おやすみ、シャルロッテ」


 カートを押して部屋から出て行くシャルロッテを見送る。

 ジオスティルは僅かな目眩を感じて、ベッドにぱたりと横になった。

 顔に、熱が集まっている。

 いつもの目眩とは違う、妙な感じだ。

 

「おやすみ……」


 そんな風に挨拶を交わしたのは、いつぶりだろう。

 昔のことを全て覚えているわけではない。古い記憶は、徐々に薄れて消えていく。

 苦痛を伴う記憶ばかりが、白昼夢の中で反芻されて、艶やかに蘇るのだ。

 けれど、『おやすみ』という言葉が、胸にあいた空洞を満たしていくように、空の水瓶を清廉な水で満たしていくように、乾いた体に、染み渡っていく。


 明日もまた、彼女に会える。

 彼女は、ここにいてくれる。

 それだけのことが、とても尊く、あたたかく、感じられる。


「事情を、聞いてもいいのだろうか……」


 きっと何かを抱えているシャルロッテの心に、踏み込んでいいのか、わからない。

 初対面で倒れているところを見せてしまい、その後も醜態ばかりを晒していることが、急に恥ずかしくなって、ジオスティルは両腕を顔の前で交差させた。


 いつの間にか――眠っていた。

 ジオスティルにとっては珍しいことに夢も見ない、深い眠りだった。


 窓の外は闇が支配している。

 獣たちが活発になる夜は、ジオスティルの『仕事』の時間だった。

 眠っているわけにはいかないと、ベッドから起き上がる。

 いつもベッドに張り付くようだった背中は、泥の中から這いずり、無理矢理体を起こしていたような強い倦怠感は、今日は僅かばかりよくなっている。


 指先に、パリパリと雷が纏わり付く。

 魔力も十分過ぎるほどに体を巡っている。


 もうシャルロッテは眠っているだろうか。

 起こさないように慎重に音を立てずに部屋を出る。

 屋敷の上階に向かい、屋上に出ると、夜空には白い月と輝く星が広がっていた。

 

 ウルフロッドの空は、美しい。

 よく晴れた日は、まるで宝石をちりばめたような星々が、遮る物など何もない空に広がり、輝いているのを見ることができる。


 遠く、赤く光っているのはミトレスの街。夜になると炎を燃やす。

 魔獣は炎を恐れるのだ。獣よりも恐ろしいが、その性質は獣とよく似ている。


 ウルフロッド辺境伯家は、ラドルアナ大森林を背にして建てられている。

 ラドルアナ大森林を抜けた先に何があるのか、誰も知らない。

 魔獣は、ラドルアナ大森林を中心として発生している。

 異常発生が起る以前から、森を踏破するような勇敢な愚か者はいなかった。


 いたとしても、森に踏み入ったきり帰ってくることはなかった。

 ラドルアナ大森林は、勇敢な愚か者たちの墓場である。


 森からもたらされる恵みはもちろんある。それ以上に森とは恐ろしい場所であり、ウルフロッド辺境伯領の者たちにとっては禁忌にして神聖で、邪悪で危険な場所だった。


「……来た」


 ジオスティルは短く言うと、自分自身に魔法をかける。

 背中からは黒い翼がはえて、ふわりと空へと浮かび上がった。

 森から、黒い塊――魔獣たちが、影から湧き出る獣のように、こちらに向かってくるのが見える。


 遠吠え、地鳴り、唸り声。

 それから、風に揺れるたくさんの木々のさざめき。


 もう、慣れた。

 恐怖を感じることもない。ジオスティルの方が、魔獣たちよりもずっと強い。


「消えろ、失せろ、砕け散れ」


 独り言のように小さく呟き、ジオスティルは眼下に見える魔獣たちに向かい、雷を落とした。

 落雷は、巨大な狼の姿や、巨大な虫の姿をした魔獣たちを貫き、地面に広がって、その体を痺れさせて足止めをする。

 ジオスティルが手をかざすと、輝く円の方陣が手の先に現れる。

 方陣が光ると、それに呼応するように空から何本もの雷が落ちた。


「……消えろ」


 ものの数分で、多量の魔獣たちは一掃されていた。

 もう、森から現れる気配はない。

 だが――それも、夜明けまではどうなるのかわからない。


 また襲来があるかもしれない。それはジオスティルにもわからない。

 魔獣は夜になると森から現れ、森から一番近くにあるウルフロッド辺境伯家を襲おうとする。

 昼間にも、魔獣が襲ってくることはあるが、夜の方がずっと多い。

 夜の大群さえ倒してしまえば、昼は比較的安全に過ごすことができる。


 自分の命を守りたいという気持ちはあまりない。

 シャルロッテがいないときは、ミトレスの街の人々を守らなくてはいけないと考えていた。

 それがジオスティルの仕事だからだ。

 けれど今は、シャルロッテの安眠を、守りたいと思う。


「……彼女は、怯えるだろうか」


 大群を退けたジオスティルは、星空の中で足を組むと、目を閉じる。

 魔力で作り上げた黒い翼から落ちた羽が、白い粒子と共に消えていった。





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