異変
シャリオはヨファナの話を聞き、自分の父が森の民であり、マルーテの息子であるノワールだったと確信したようだった。
「父は――アステリオスは、母とノワールの不義を知っていたのだ。私が自分の子ではなくノワールの子だと気づいていた。だから、憎しみから森の民を皆殺しにした。女も子供も全て――殺した」
低く暗いシャリオの声が、石造りの神殿の壁や天井に染みいるように響いた。
シャルロッテはその光景を想像して、体を震わせる。
「それは、ひどいありさまでした。彼らは抵抗する気のない我らを、ウサギ狩りでもするように追い回したのです。進軍を受け入れていたといっても、子をもつ親は、平静ではいられませんでした。泣きながら、子供だけは助けてくれ、妻だけは助けてくれと許しを請いたのです」
ヨファナの声が、次第に熱を帯びていく。
例えば――辺境伯家が軍に攻められたとしたら。
ニケやテレーズに剣を向ける兵士たちと、彼女たちを守ろうとするロサーナやベルーナの姿を想像する。
無常に振り上げられた剣が、彼女たちを貫いて、悲鳴と泣き声が空を切り裂くようにあがる。
考えただけで恐ろしく、この場に崩れ落ちて泣きだしたくなってしまう。
ゲルドやルベルトたちが守ってくれているとはいえ――離れていると、こんなにも不安になる。
ジオスティルが辺境伯家を離れることができなかった理由を、その気持ちを、まざまざと思い知るようだった。
「――私たちはけれど、破滅から、王国を守らなくては。それが私たちの役目。あぁ、けれど。ですが。私たちは、怒ることは許されないのでしょうか。滅びを望むことは許されないのでしょうか。人など、人など、滅びるべきなのではないでしょうか」
「人は、滅んでも構わないのかもしれない。世界樹を守る森の民の元に、民は暮らすべきではないか。白の聖女と共に。……私とシャルロッテがいれば、森の民は、再び白の聖女の元で心安らかに暮らすことができる」
「殿下、何を言っているのですか。今の話は――罪を悔いている後悔の話だ。それに、血筋とは関係なく、シャルロッテは生まれた。シャルロッテは、ディーグリスの娘でしょう」
シャリオの様子は、どこか今までと違う。
ジオスティルはシャルロッテを背後に庇いながら、冷静な口調でシャリオに言い聞かせるように言った。
「マルーテ殿が、記憶を失う前に兄によって穢されていたという可能性もある。より濃い血が、ノワールには流れていた。そしてその片割れである、ハーミルトン伯爵にも。だから、シャルロッテは白の聖女となったとは思わないか?」
「そんなものは、憶測にしかすぎません」
「ジオスティル。君がシャルロッテに気持ちを傾けていることは、理解している。だが、私がシャルロッテと結ばれることで、新たな白の聖女がうまれる。その血脈は、受け継がれる」
「殿下。あなたは自分は神ではないと言った。人々を守りたいとも言った。血筋に拘り、白の聖女をうみだせば――それは、王家が神だと自称していたように、新たな神を産みだす行為に成り果てます。あらたな不幸がうまれるだけなのではないですか」
「生まれながらにして特別な力を持ち、白の聖女に愛されているお前には、私の気持ちなどは分からない!」
シャリオは、激高して剣を抜いた。
今までのシャリオとはまるで、別人のようだった。
イリオスも剣を抜いて前に出ながら「おいおい、殿下はどうしちまったんだ?」と呟く。
ヨファナの体が奇妙に震えている。
ヨファナを守るように侍っている男たちが「聖女様」「我らをお救いください」と、口々に口にした。
『なに?』
『なんなの?』
『怖い』
『怖いけれど……懐かしい気配がする』
ただ茫然と見ていることしかできないシャルロッテの髪を、ウェルシュとアマルダが引っ張った。
「懐かしい、気配?」
『うん』
『そう』
『懐かしい気配』
『サラ様の気配に似ているけれど、違うもの』
『ウェンディ様にも似ているけれど、違うもの』
シャルロッテは顔をあげると、ジオスティルの腕を思い切り引いた。
「ジオ様……! イリオスさんは魔竜となったサラ様に、操られていました。世界樹からこぼれる魔素を浴びて魔獣になっていたと――あの時イリオスさんは、確か……」
「あぁ。人は滅びるべきだ。それは世界樹の意思だと言い、シャルロッテを連れて行こうとしていた」
「やべぇな、俺。あらためて言われると、きついな。迷惑をかけて悪かったな、二人とも。……ん? ってことは、つまり」
シャリオやヨファナの異変は――イリオスの異変に酷似している。
そして、ウェルシュやアマルダが感じている気配、とは。
「シャルロッテ。私と共に、行こう。あらたな世界を、共につくろう。私たちにはそれができる」
「シャリオ様、あなたは心を、支配されています」
「支配など、されていない。私はジオスティルが羨ましかった。君のような人に愛されて。君が私の元に来てくれていたのなら、もっと――全てがうまくいっていたはずなんだ。私は君を守り、人々を守り、この国を守ることができた」
「どんな立場でも、人を守ることはできます。ただの、人として」
「だがもういい。王国は滅びるべきだ。罪もない人々の血を流し、世界を破滅に導いたというのなら――このまま、滅んでしまえばいい」
「私には守りたい人たちがいます。シャリオ様も同じはずです……!」
ぐらぐらと、足元が揺れ始める。
どこからともなく『死ねばいい』『消え去ればいい』『地を這う獣たちよ』という声が、シャルロッテの頭の中に響く。
そのあまりにも強い怨嗟の声に、頭がひどく殴られたときのように、ズキズキと痛んだ。