銀の髪の少年
ヨファナの話が終わると、なんとも言えない沈黙が神殿に飽和した。
その沈黙を弾けさせたのは、シャルロッテの震える声だった。
「……お祖母様は、記憶がなかったと。家の者が、言っていました」
「そのころ、私はまだ子供でした。ことのあらましを母から聞いて、あまりの罪深さに震えたほどです。ですので私も、話を聞いただけにしかすぎないのですが、あの高さの崖から落ちて無事だとしたら、それは奇跡」
『誰かが助けたのだわ』
『きっと、誰かが助けたのよ』
『だって、ロッテが落ちたら助けるもの』
『そうよ。助けるわ』
ウェルシュとアマルダが口々に言った。
マルーテが生きていたころには、森には精霊たちが多くいた。
だとしたら、その中の誰かがマルーテに手を貸したとしても不思議ではない。
「君の祖母は、記憶を失っていた。崖から落ちた衝撃か、それとも――罪の意識から逃れるためか。ともかく、ハーミルトン伯爵家にロドリグ殿が連れて帰り、それから家の外に出ることはほとんどなくなったのだろうな」
腕を組んで、シャリオが言う。それから軽く、眉を寄せた。
何かを考え込むように目を伏せて、自分の心に浮かんだ疑惑を打ち消すようにして首を振った。
「それはきっと、君の祖母を守るためだったのだろう。……愛する女性が記憶を失い、ひどい状態で目の前に現れることを考えれば――胸がつぶれるように苦しく、誰にももう傷つけさせないように、守りたいと思うものだろう」
ジオスティルの声が、淡々と、けれどどこか切なげに響いた。
イリオスは何か納得いかないように、肩をすくめる。
「そりゃ、辛いだろうが。でも、閉じ込めるってのはどうなんだ?」
「ロドリグ殿は、森の民からもそれから、王家からもマルーテ殿を守らなくてはいけないと考えたのだ。森の民とは、王国の民の敵。王家の敵。ハーミルトン家が森の民を匿っていることを知れば、きっと王家はマルーテ殿を無理矢理捕縛し、城に連れて行き、投獄していただろう」
シャリオがそう口にして、それからヨファナを真っ直ぐに見据える。
「それが、森の民の罪か?」
「――白の聖女様にお子は二人。マルーテ様と、アールエルド様。マルーテ様はいなくなり、アールエルド様は……マルーテ様が部屋から逃げたときには、息がありました。けれど……自ら命を絶ったそうです」
「何故ですか?」
シャルロッテは息を飲んで、掠れた声で尋ねた。
これ以上聞きたくない気持ちと、聞かなくてはいけないという気持ちがない交ぜになっている。
「想像でしかありませんが、アールエルド様はうまれたときより、マルーテ様を妻にするようにと教えられて育てられました。アールエルド様はマルーテ様を愛していたのかもしれません。拒否をされて心が壊れてしまったのか、それとも――罪の意識に苛まれたのか」
「ひどい話だな。それを強要してたのは、周りの連中だろ? まぁ……俺が言えたことでもねぇか」
イリオスはちらりとジオスティルを見た。
うまれた時からどう生きるかを決められている。
両親や、周囲の大人たちのせいで。ジオスティルがそうだったように。シャルロッテが、そうだったように。
マルーテも、アールエルドも。その被害者でしかない。
シャルロッテは胸に手を当てた。ジオスティルと巡り会えたことが、あらためて奇跡のように感じられる。その幸福を、そっと噛みしめる。
「では、もう白の聖女の血筋の者はいないということか」
シャリオが尋ねる。
「ええ。王国軍が攻めてきたときに、森の民のほとんどが命を落としました。皆、マルーテ様のことを悔いていた。血を濃くするため、聖女様たちに許されない婚姻を強要してきた私たちは、罪人でしかありません。ですから、白の聖女ユマ様の予言の通りに王国軍の進軍を受け入れました」
「だが、あなたたちは生きている」
ジオスティルに言われて、ヨファナは目を伏せた。
「はい。……新たな罪を、そそぐため。破滅から、人々を守るために私たちは、生き延びる必要があったのです」
その罪、とは。
まだ、話には続きがあるのかと、シャルロッテは何かに縋るようにして、自分の服を握りしめた。
「マルーテ様がいなくなってから数年後に、ロドリグ様が森を訪れたのです。その手には、銀の髪の赤子が抱かれていました」
シャリオが白い顔を更に白くして、一歩前に進んだ。
ヨファナの細い両肩を掴む。
尋常ではないシャリオの様子に、イリオスがその腕を掴み止めに入り、ジオスティルもシャリオを落ち着かせるようにしてその背に手を置いた。
「どうしました、殿下」
「殿下、落ち着いてください」
「……っ、すまない。だが、ヨファナ。その赤子の名は、ノワールというのではないか……!?」
シャリオはヨファナから離れたが、けれどその瞳はどこか暗い輝きに満ちていた。
「ええ。ノワール。……マルーテ様の産んだ、双子の片割れです」
「双子……?」
家の者たちは、父に兄弟がいるとはいっていなかった。
シャルロッテは困惑しながら、小さな声で呟いた。