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裏切りの代償


 ◇


 ウルフロッドの地を背に、ライネルは馬を歩かせていた。

 王都に戻ることはできない。ウルフロッドの地に滞在することもできない。

 森からは動物たちが消え、川からは魚が消えて、作物は枯れ始めているという報告が入っている。

 

 軍を動かすためには兵糧が必要になるが、備蓄だけではすぐに食いつぶしてしまう。

 それに、シャリオを討伐するために軍を出したのだ。

 補給路もまともに確保できておらず、王都との連携は途絶えている。


 途絶えているどころか――今は王を裏切った大罪人である。

 王都に戻ることはできない。とすると、どこかの街や村に身を寄せる必要があるが、すぐに動かせる百騎ほどを連れてきているために、現状で百騎が身を寄せられる場所などないだろう。


 まずは、足場を確保したい。

 その後、部隊を小さく分けて、各地での魔獣討伐と人々の救援にあたらせる。


 王都に残してきた兵や、隣国の国境に駐屯している兵士を合わせれば各地の守護も十分に行えるだろうが、ライネルが王を裏切れと言ってもそれに従う者は少ないだろう。


 ライネルがシャリオやジオスティルを信じることに決めたのは――ライネルの父の言葉があったからである。


 今は亡き父は、およそ二十年前の森の民の討伐に参戦していた。

 そこで――見てはいけないものを見たのだという。

 数年前に病気で他界した父は、病床にライネルを呼んで、枯れ枝のようになった手でライネルの手を握りしめた。


 病身の体のどこにそんな力があるのかというぐらいに強く握られた。爪が手の甲に食い込んで、じくじくと痛んだ。


「ライネル。私は、お前に言っておかなくてはいけない。我らは罪を犯したのだ」


「罪とは」


「かつて行ったまつろわぬ民の討伐。あれは、間違いだった。森の民とは戦う力を持たない――いや、戦わない者たちだった。刃を向ける我らに、抵抗もせずにその首をさしだしたのだ」


「……まつろわぬ民とは、王に従わず国に仇なす非道のものたちなのでは」


「私もかつてはそう信じていた。だが、王は道を違えたのだ。これは誰にも言ってはいけない。ライネル、お前の中にだけ留めておけ」


「何故、それを私に告げるのですか父上」


「お前は若い。お前が仕えるお方は、アステリオス陛下ではなく、シャリオ殿下だ」


 絞り出すような声で、父は続ける。


「刃に倒れるまつろわぬ民の中に、ノアールがいた。銀の髪の、美しい男だ。その顔は、シャリオ殿下によく似ていた」


「では、あの噂は真実なのですか。殿下は陛下の血を受けていないという、王妃の不義の子だという……」


「真実は、分からない。だが、アステリオス様は何かにとりつかれているかのように、ノアールを憎んでいた。ノアールも、まつろわぬ民も全て殺せと我らに命じた。さして抵抗もせずに命を落とすまつろわぬ民の中で、ノアールだけは憎しみの声をあげていた」


「……己の招いたことでしょう。王妃様と不貞を働いたのだから、討伐されてしかるべきだ」


「お前は、男を一人殺すためなら多くの平穏に暮らしていた人々を殺していいと言うのか?」


「いえ、そういうわけでは……」


 父の失望と悲しみに満ちた瞳に、心臓を突き刺されたようだった。

 それまでのライネルは、アステリオスやウェストリア王家を神と敬うようにと教育をされてきた。


 ウェストリア王家がこの地に国をつくったのである。この地に降り立ち、国を作り、人々を育んだ。

 王家があるから、ウェストリアの民は安寧に暮らすことができるのだ。

 そう、信じていた。


 けれど父はまるで、それは間違っているかのようにライネルに責めるような視線を向ける。


「ノアールは森の奥に逃げて、アステリオス陛下がそれを追った。ノアールは、我らを恨み続けていた。神域を血で染める罪人たちに必ず神罰がくだるだろう。王国は滅びる。必ず滅びると――」


「追い詰められて、乱心したのでしょうか」


「分からない。だが、ノアールを森の奥で、陛下は討った。我らは陛下とノアールの姿を途中で見失ってしまった。そうして、嵐が起こったのだ」


「嵐が……?」


「まるで森が怒っているようだった。空には唐突に暗雲が立ち込めて、幾本もの雷が森に落ちた。馬たちは興奮して逃げ惑い、雷が森を燃やし、まつろわぬ民の村を炎で包みこんだ。私は――その光景を見て、おそろしくなった」


「父上が、怯えるほどの光景だったのですか」


「あぁ。抵抗もしない人々を殺した。子供を助けてと懇願する女も、泣きじゃくる子供も。それが、陛下の命令だった。全て絶やせと、我らは命じられていた。……そこに正義などなかった。あれは、私怨だったのだ。我らは陛下の私怨により、正義のない殺しをした」


 だから神罰がくだったのだ。いつか、国は滅びるだろう。

 

「私たちは、陛下の傀儡だった。自分の目で見て、自分の頭で考えることを拒絶していた。もしそれができていれば、陛下を諫めていただろう。ノアール一人を捕縛すればそれですむ話だった。あれほど多くの血を流す必要など、なかったのだ」


 喉の奥から振り絞るように、しゃがれた声で父は続ける。


「ライネル。お前は、父のようにはなるな」


 それが、父の最後の言葉だった。

 ライネルは、その話をずっと心のうちに秘めていた。

 だが、秘密を抱えるということは難しく、つい心を許しているシグマだけには酒の席で漏らしてしまったのだ。

 シグマは軽薄な言動の目立つ男だが、根は真面目である。静かにそれを聞いていた。


「私は、父の言葉をどう受け止めていいのか、未だに分からないでいる」


「そのままでいいんじゃないですか? 陛下は王妃様の不貞に気づいていた。けれど、元々王妃様とノアールは恋人同士だったんでしょう? 陛下が強引に妻にしたとの噂があります。まぁ、ウェストリアの王にとってすべての女は自分のものですから、奪ったなどと思ってはいないのでしょうが」


「不敬だぞ、シグマ」


「団長と二人だから言うんですよ。こんなことを他所で言ったら、首をはねられます」


 実際、斬首にはならないのだろうが、公の場でウェストリア王家を批判したら、投獄されることはある。

 そうして立場を失った官職の者を幾人か、ライネルは知っている。

 シャリオはそうしたことはしないが、アステリオスが玉座にいた時代にはよくある話だった。


「王だなんだと考えるから難しいんです。男女のことだと考えれば、分かりやすいでしょう。嫉妬に狂い、無関係な者たちを殺した。それは王だから許されるが、そうじゃなきゃ、極悪人ですよ」


「……そうなのだろうな」


 シグマの言葉は尤もだった。

 だからライネルは、アステリオスを見限ることができたのだろう。

 だが、それはライネルと、そしてライネルから話を聞いていたシグマだからこそ、シャリオたちの説得に応じたのだ。


 他の者たちはそうではないかもしれない。

 もしかしたら――表面上は従うふりをしているだけかもしれない。


 そんなことを考えながら一先ず近隣の街に馬を向かわせていると、隊列のどこからか呻き声が聞こえた。



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