ジオスティルとの同居宣言
シャルロッテは手のひらの中ですやすや眠っている小さなウェルシュを、ポケットの中からハンカチを取り出してテーブルの上に敷くと、そっと乗せた。
「小さなベッドがあればとても可愛いですね、きっと。でも……精霊って、なんなのでしょう」
ほんの小さな少女の姿のウェルシュは、精巧に作られた人形のようだった。
興味本位でその頬にそっと中指で触れてみる。フニフニと柔らかく、ウェルシュは僅かにみじろいだ。
辺境伯であるジオスティルに調理場で食事をさせてしまったことが気になったが、ジオスティルはシャルロッテの知る貴族──ハーミルトンの家の者たちとは、どうにも雰囲気が違う。
シャルロッテは、ハーミルトン家の家族が、誰かに謝っている姿を見たことがなかった。
ジオスティルは床に膝をつけ、シャルロッテにためらいなく謝り、ウェルシュが元通りにしてくれたとはいえ、床に落ちた食事を口にして、調理場に置かれているテーブルセットに座っているのだ。
ハーミルトン家の者たちは絶対にそんなことはしないだろう。
ジオスティルはどこか浮世離れしていて、あまり貴族らしくない。
シャルロッテは鍋の底にまだ少し残っていたパン粥を集めて器にうつした。
一人分にも満たない量だが、もしかしたらもう少し、ジオスティルは食べるかもしれない。
ウルフロッド家に食料がないのなら、明日の分に取っておいてもいい。
いつもの癖で、鍋や使用した調理道具を洗う。
井戸から水を木桶一杯分しかくんできていないので、せめて水瓶が一杯になるぐらいには汲んでこないといけない。
薪も足りないので、森に行って拾ってこないといけない。
何かが足りなければ──ひどく叱られるのだから。
洗剤がないから、シャボン草をとりに行って、それから食材も森にいけばみつかるかもしれない。
そんなことを考えながら洗った調理器具を布巾で拭いていると、シャルロッテの隣に、ジオスティルが並んだ。
使用済みの食器を届けにきてくれたようだ。
「シャルロッテ、ありがとう。とても、おいしかった。……本当に」
「ジオスティル様、どうされました? お腹が痛いのですか?」
ジオスティルの声が震えているので、シャルロッテは驚いて手元から視線をあげる。
食べなれないものを食べたから体調が悪くなったのだろうか。
(薬草茶を飲んでいるから、大丈夫だとは思うけれど……)
「体調は、信じられないぐらいに、とてもいい。こんなに身体が軽いのは、久しぶりだ」
ジオスティルの美しい空色の瞳が、空を映し出した湖面のように潤んでいる。
僅かに伏せられた瞼から伸びる長い金のまつ毛が、整った顔立ちに憂いの影を落としていた。
白を通り越して青白かった頬は、ほんの少しだが血色を取り戻している。
「それならよかったです。でも、どうしましたか?」
少しつつくと壊れて消えてしまうシャボン玉のように、ジオスティルは何かの拍子に泣き出してしまいそうに見える。
「君は、初対面で何者かもよくわからない俺に、とても優しくしてくれた。俺は、君を傷つけてばかりいるのに。……食事まで食べさせてもらった。本当に、おいしかった、シャルロッテ」
シンクに置いた水桶に、シャルロッテはジオスティルから受け取った器をチャプンとつける。
「おいしかったなら、とても嬉しいです。ジオスティル様がお食事をしてくれて、少しでも元気になってくださったら、それで十分です。私は傷ついていないですから。食べてくれて、美味しいといってくださって、嬉しいです」
それはシャルロッテの本心だ。
何度も、大丈夫だとジオスティルに伝えた。これ以上どう伝えていいのか、シャルロッテにはわからない。
明るい声で、それに、笑顔だってつくっている。
それなのにジオスティルはシャルロッテのことをとても心配してくれるのだ。
きっと繊細な人なのだろう。とても。
「シャルロッテ、ありがとう。貴重な食料を、俺にわけてくれて」
「硬いパンと、干し肉ですから。お礼を言われるものでもありません。もっとありますよ、食べますか?」
「それは、君が食べてくれ。……もうすぐ、日が暮れてしまう。本当は君は、ここにいてはいけない。……俺は君を、街まで送り届ける必要がある」
ジオスティルにそう言われて、シャルロッテは、はっとした。
色んなことがごちゃ混ぜになっていた。
ここはハーミルトン伯爵家ではない。シャルロッテは、ミトレスの街に行こうとしていたのだった。
だから、薪の残量を心配する必要も、水がめに水を貯める必要もないのだ。
けれど──。
(ここから私がいなくなったら、一体誰が、ジオスティル様のためにそれをするのかしら……)
辺境伯家には他に誰もいない。
シャルロッテがここから去れば、ジオスティルは一人。
度々倒れてしまうぐらいに体の状態がよくないのなら(ウェルシュが言うにはそれは、魔力が多すぎるかららしい)薪を集めたり、水をくんだりはできないだろう。
そもそもそれは貴族の仕事ではないので、当然といえば当然なのだが。
「ジオスティル様、私は、ここにいたら迷惑でしょうか」
「……君は、何を……」
シャルロッテの質問に、ジオスティルは困惑したように軽く首を振る。
「私、いくあてがないのです。事情があって、家から逃げてここまできました。だから──」
「シャルロッテ……しかし、ここは危険な場所なんだ」
シャルロッテの言おうとしていることがわかったのだろう、ジオスティルは言葉を遮ってそう言った。
「ジオスティル様は、まほう、というものが使えるのですよね。ウェルシュさんが言っていました。だからきっと、私のことを守ってくださると思います。私はその代わり、ジオスティル様の身の回りのことを手伝います」
「……俺は、だが、君を何度も傷つけてしまって」
「傷つけられたなんて思っていません。ジオスティル様は、私に優しくしてくださる、いい人です。だから、……ここに私をおいてくださいませんか? 私、きちんと働きますから!」
ミトレスに行こうと思っていたが、やはりジオスティルのことは放っておけない。
それに、ウェルシュのこともある。ウェルシュは井戸に住んでいるのかもしれない。
だとしたら、ジオスティルとの間に通訳が必要だろう。
どういうわけか、シャルロッテは精霊の声が聞こえるのだから。
それに辺境の地を行くあてもなく彷徨うはずだったシャルロッテが、優しいジオスティルのそばにいさせてもらえるとしたら、それはとてもありがたいことだ。
「……しかし」
「ジオスティル様の健康を私は守りますので、ジオスティル様は私を魔獣から、守ってください。……駄目ですか?」
「……シャルロッテ。……俺は、本当はよくないことなのに、……嬉しいと、思ってしまっている。君の料理をまた、食べたいと」
「よかった! それは、いいよ、っていう意味ですよね?」
ジオスティルがこくりと頷いたので、シャルロッテはごく自然に、にっこり嬉しそうな笑みを浮かべた。
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