出立前夜
覆い被さる大きな体と、風呂あがりの石鹸の匂いと少し湿った髪。
味覚で、嗅覚で、触覚で――全身の感覚でジオスティルの存在を感じると、体に熱が駆け巡る。
自分のものではない甘い魔力が体を満たし、酩酊したようにくらくらした。
ジオスティルの寝衣を掴んでいた手から、力が抜ける。
寝衣といっても、彼の場合はいつでも魔獣を討伐しに行けるように、上着を羽織るだけで出かけられる白いシャツを着ている。
そのシャツの上を指が滑り、ベッドにぱたんと落ちる。
閉じた瞼の裏側に、魔力の光が飛んでいるようだった。
「ん……ん……っ」
自分の声ではないような吐息が唇の端から漏れる。
それがたまらなく恥ずかしく、シャルロッテは僅かに身じろいだ。
息が苦しい。腰が重く、背骨がぞわぞわと震える。
体に力が入らないのに、全身に緊張が走り、強ばっているような気さえする。
口の中いっぱいに、ジオスティルの薄い舌が差し込まれている事実を自覚してしまうと、羞恥に瞳が潤んで生理的な涙が滲んだ。
人に触られてはいけない場所が、触れあっている。
知識としては少しはある。けれど、知っているのと実際に体験するのとではまるで違う。
禁忌のようにも思えたし、同時に、なんともいえない感情が胸に広がる。
それは、喜びに似ている。
境界が曖昧になるぐらいにあまりにも近く、自分の何もかもをジオスティルに明け渡せることが嬉しかった。
言葉では伝えられないような想いを、伝え合えるような幸福がそこにはある。
「っ、ぁ……」
永遠とも思えるぐらいに長い間、離れては唇が触れあい、角度を変えて深く、貪るようにされていた。
いつもとはまるでちがう強引さに、嵐に見舞われて立ちすくんでいるように翻弄されながら、シャルロッテは与えられる感覚だけを追い続けていた。
それ以外に、何もすることができなかった。
離れる舌に銀糸が繋がり、ぷつりと切れて唇を濡らすのを、ジオスティルの指が拭う。
白い頬を上気させたジオスティルが、深く溜息のような吐息を漏らした。
シャルロッテは羞恥から、すぐに視線を逸らす。
乱れた呼吸が、涙に濡れた瞳が、高鳴る鼓動が、体の熱も全部――知られてしまっている。
息苦しさから解放されて、促迫した呼吸を繰り返す度に胸が上下に動く。
ジオスティルはシャルロッテの隣に体を横たえると、腕の中にシャルロッテを抱き寄せた。
「……すまない、嫌ではなかったか」
「……っ、ジオ、様……」
胸に耳をあてると、鼓動が早い。
こんな時でも謝罪をして、気をつかってくれるジオスティルが愛しくて、その背中に力の入らない手を回した。
「少しだけ……と、思っていた。だが、夢中になってしまった」
「大丈夫、です……謝らないでください。私……何をされても、大丈夫ですから」
「だが……苦しそうに、見えた」
「そ、それは……あの、大丈夫です。ともかく、大丈夫なんです」
「俺は、君の大丈夫を信用していない」
「……今日は、信用してください。恥ずかしくて、これ以上うまく、説明できない、です……」
胸が一杯で、嬉しくて愛しくて、体がぞわぞわして、今まで感じたことのない感覚がそこにはあって。
なんてことを、とても口にはできない。
察して欲しいと涙目で見上げると、ジオスティルの眉が切なげに寄った。
「……その顔は、よくない」
「え……」
「もう一度、したくなってしまう。もっと、先も。……感情を伝えられたばかりなのに、強欲だな」
「ジオ様、大丈夫です。私は……」
「俺が大丈夫ではないんだ。シャル、俺が君を傷つけそうになったら、叱ってほしい。傷つけて、嫌われたらと思うと……強欲なくせに、臆病で、情けないことだが……」
ジオスティルは本当にそう思っているのだろう。
心の内を、感情を確認するように言葉にしてくれる繊細さが、愛しい。
それだけ大切にしようとしてくれるのを感じる。
傷つけないように慎重に、硝子細工を触るように。
「嫌ったりしません。あなたが……ジオ様が好き、だから。なんでもしていただいて、大丈夫です。私、あなたに全て、さしあげたい。私の、全部を」
「シャル……ありがとう。本当に、これ以上はいけない。明日は出かけなくてはいけないのだから。……熱を引きずったままの顔で、殿下と話せる自信がない」
「……っ、は、はい」
背中を撫でる手が、髪を撫でる手が、優しい。
シャルロッテは目を伏せる。
「おやすみなさい、ジオ様。……とてもあたたかいです。幸せ、です」
「俺も、同じだ。シャル、おやすみ」
目を伏せながら、果たして眠れるだろうかと思う。
こんなに緊張しているのに。体の熱は、ひいていかないのに。
けれど、背中を撫でる手が心地よくて、気づけば眠りの底に落ちていった。




