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03.託された花


 身を低くして疾走するイシェインの後を追うように、数人の討伐隊が森に足を踏み入れたが、数秒で百メートルを走り切るイシェインに追いつけるものはいない。


 幻想騎士として生まれたイシェインが授かった奇跡は肉体の強化。その足は馬より早く、その拳は鉱石より硬く、その鼻と耳は人間の数十倍の能力を発揮する。

 離れたところにいたヴァランカとベラーノの元に戻ってきたイシェインは、視線を討伐隊に向けたまま問いかける。


「どうするの、ヴァランカ」


「ベラーノを連れて終焉の地を目指してください」


 振り返らないまま、ヴァランカは静かに言った。

 いつにもまして弱気な言葉に、イシェインは怪訝そうに眉を寄せる。


 無から有を生み出し、想像から創造する絶対的な奇跡を持つヴァランカが、自分を置いて逃げろというのはこれが初めてだ。


「貴方を置いていけない」


 たった三人の同胞。自分の身が危ういからという理由で逃げ出せるはずもない。

 ふとベラーノを見れば、どこか遠くを見るように焦点が定まっていなかった。


 奇跡の代償だ。ベラーノは対象の時間を一時的に止められる。しかしその長さに応じて、範囲に応じて、ベラーノの記憶は一時的に失われる。

 正常な判断も下せなくなるほどに、ベラーノの記憶は欠如していた。今までの戦いが祟ったのだろう。


 城から逃げ出して間もない時はぼんやりする事もなく、ヴァランカの悪口に噛みつくように即応していたのに。

 ベラーノはもはや戦えない。だから連れて逃げろというのはわかる。けれどそれはヴァランカを置いていく理由にならない。


「一緒に逃げましょう。少しはダメージを与えられたから」


「私が、もたないんです」


 肩越しに振り返ったヴァランカの顔に、イシェインは息を飲んだ。

 首から伸びる黒い模様。壁を這う蔦のように伸びるそれが目に到達した時、ヴァランカは正気を失う。


 死肉を食らう、狂戦士になるのだ。敵と味方の区別もできず、ただ殺し続け、その死体を貪る化け物になる。

 今まで何人もの仲間が正気を失ったヴァランカに文字通り喰われた。


 ヴァランカは正気を取り戻すとその事を悔いたが、どう足掻いても代償には勝てない。それは同じ幻想騎士のイシェインがよく知っている。


「私がここで足止めしている間に、貴方達は逃げてください。流石に、最後の仲間を自分の手で殺したくありません」


ふーっと長い息を吐いたヴァランカの様子を見て、彼が限界に近い事を知る。恐らく既に辺りに転がる死肉に魅力を感じているだろう。

 狂気に呑まれたヴァランカにとって、それらは何よりのご馳走になる。白いテーブルの上に並べられた豪華なディナーと変わらない。


「皆の幻晶花げんしょうかはイシェイン、貴方に託します」


 ヴァランカは懐から皮袋を取り出すと、それをイシェインの手に乗せた。

 終焉の地を共に目指し、途中で力尽きた仲間の命の結晶。

 見つけられれば踏み砕かれてしまう、彼らの生きた唯一の証。


 全て拾い集める事は出来なかったけれど、ほとんどはこの革袋の中に大切にしまわれている。

 袋を少しだけ開くと、そこには色とりどりの美しい結晶の花が身を寄せ合って入っていた。


 共に戦場を駆け抜け、同じ主君を仰ぎ、命を賭して国を守った末に、世界から拒絶された戦友達。

 誰一人置いて行きたくない、とイシェインは皮袋を胸に抱き、ヴァランカを見上げた。


「貴方の花はどうするの?」


 答えは知っていたが、聞かずにはいられなかった。

 ここに残るという事は、ヴァランカの生きた証は残されないという事だ。

 きっと死ぬまで戦い続けて、死んだら無慈悲に砕かれる。


「貴方が私を覚えていてくれたらそれでいいでしょう」


 儚く笑うヴァランカに、イシェインは唇を噛んで込み上げてくる涙を堪えた。

 終焉の地を目指すという目的は、要約すれば既に死んだ仲間のところに逝くという事だ。

 例えイシェインが覚えていたとしても、終焉の地に行けばイシェインもベラーノも死ぬ。


 ヴァランカの生きた証は残らない。


「行ってください、イシェイン、ベラーノ。皆によろしくお伝えください」


 慈愛に満ちた母親のように微笑むヴァランカの目に、黒い蔦が伸びる。白目が黒く染まり、黒い瞳孔が赤く変色する。

 ニィと唇が弧を描き、白い歯が覗く。鋭い犬歯が垣間見えたが、それがイシェインとベラーノを食い千切る事はなかった。


 イシェインはベラーノの手を掴み走る。決して後ろを振り返る事はしなかった。

 爆音が響き、怒号と罵声が背に当たる。その中に混ざる高らかな笑い声は、いつも仲間にやわらかな笑みを向けていた白銀の幻想騎士のもので間違いないだろう。


「ごめんなさい、ヴァランカ」


 イシェインの声はベラーノの耳に届いていたが、彼女が泣いている事も、何故泣いているのかも理解出来ない今のベラーノが、声をかけることなど出来なかった。

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