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最果て通信

作者: 灯崎いすか


 ハローハロー。聞こえますか。

 美しい星に棲むたったひとりのあなたへ。


 さっそくですが、あたしの独り言を聞いてください。

 ここは扉の向こう側にある最果ての星。銀河に悠々と漂う、青く美しい星でした。

 とある日のことです。七つの喇叭の音が空高く澄み渡り、羊たちが星々を砕いて大地を灰色に塗り替えました。

 お盆をひっくり返したみたいに世界が一変したことから、あたしたちはこの日のことを『怒りの日』と呼んでいます。この日を境に世界も人も跡形もなく壊れてしまいました。天からのあまりの仕打ちに人々は悲しみに暮れました。


 壊れてしまった後も人々の営みは緩やかに続き、あたしは日課であるがらくた山の宝探しを生業としながら細々と暮らしていました。

 状態の良い機械類は解体屋に売りさばき、珍しい品物は好事家の集う市場に流したりして日銭を稼ぎました。また、気に入ったものがあればホームに持ち帰って寝室に飾ったり、眺めたり、撫でてみたりして思い思いに過ごしました。

 なかでもあたしの一等のお気に入りは音の鳴る小さな箱でした。どのような曲で誰のために歌われたものなのか、メロディーだけではさっぱり見当が付きませんでしたが、そんなことは気にならないくらい素晴らしい音色を奏でるのでした。



 そんなふうに代わり映えのない日々を送っていたあたしですが、ある日ちょっとした変化が起きました。

 いつもどおり宝探しをしていたときでした。たくさんのがらくたの中から奇妙な塊を見つけたのです。

 

 それは、黒くて、硬くて、鉄で出来ていました。全体を掘り起こしてみると、あたしよりも一回りも二回りも大きなヒトガタであることがわかりました。

 無残に打ち捨てられたその姿は、どこか昔の自分を彷彿とさせました。

 喉の奥が詰まるような、えも言われぬ息苦しさを覚えたあたしは、壊れて動かないそれをホームに持ち帰り、修復を試みることにしました。

 まず最初に、オーバーホールをして故障の原因となった箇所を探しました。それから破損した部品を一つ一つ取り換えていき、傷だらけの身体を丹念に磨きあげます。

 そして、最後の部品を取り替えたとき。それはついに動き出しました。

 彼はとてもゆっくりとした動作であたりを見回すと古びた弦楽器のような声であたしに問いかけてきました。

「戦争は終わったのか」と。

 あたしは「そうだよ」と答えました。

 そうだよ。すべて終わったの、何もかも。

 ヒトガタはそうか、と短く呟いてホームの外へと歩き出します。

 外は相変わらずどんよりとしていて大地は荒れ放題でした。ヒトガタは壊れてしまった世界を静かに眺めていました。


「名前は?」とあたしが尋ねると、

「名はない」と彼は答えました。

 あたしは「おそろいね」と言って微笑みかけました。


 名無し。それが人々が口にする、あたしへの呼び名でした。

 彼とあたしは悲しいくらいお似合いで、どうしようもないくらいに独りぼっちなのでした。

 こうして、あたしとヒトガタのささやかな生活が始まったのです。


 ヒトガタは思いのほかよく働きました。

 彼はいとも簡単に重いものを持ち上げることが出来ましたし、あたしががらくた山で生き埋めになってもすぐに見つけ出してくれました。

 定期的にオイルを注入すれば何ら問題なく活動が出来るため、食糧難であるこのご時世には大変ありがたい存在と言えます。

 しかし、そんなヒトガタのことを快く思わない人もなかにはいました。


 市場にヒトガタを連れて行ったときでした。

 一人の老人がヒトガタを一目見るなり、唇をわなわなと震わせ叫びました。

「不吉だ。人の形をした戦の道具だ」

 びっくりしたあたしは、ヒトガタの後ろに身を隠しました。すると、ヒトガタは否定するどころか、堂々とした態度で「そうだ」と肯定したのです。

「たしかに、わたしは戦うために生まれてきた存在であるが、何か問題でも? 戦どころかすべてが終わっているこの世界で、わたしのことをとやかく言うのは非生産的だ。すべきことは他にあろう」

 ぐうの音も出ない正論に、老人は言葉を失いました。

 しかしながら、彼の存在は人々の忌まわしき記憶を呼び起こすことに変わりはありませんでした。恐れるなというにはあまりに酷でした。



 それからというものの、なるべく彼を人目に触れさせないよう、外出する際は襤褸を纏わせることにしました。

 ほんとうはもっと良いものを着せて上げたかったのですが、上等なものはなかなか手に入りません。

 あるとき、赤い毛糸を手に入れたあたしは、彼のためにマフラーを編んであげることにしました。

 彼は首を傾げて「お前のか?」と尋ねてきました。

 あたしはくすくすと笑って「ううん、あなたのだよ」と答えました。

 完成したマフラーを巻いてあげると、黒一色だった冷たい鉄の肌に鮮やかな赤が彩られました。すらりとしたボディーにそれはよく映えました。

「ヒーローみたい」

 とあたしは興奮気味にいうと、彼は釣られるように「ヒーローとはなんだ?」と尋ねました。

「ヒーローはね、困っている人のところにびゅんって飛んでくる正義の味方なの」

 ヒトガタは少し考え込んだあと「少し要領を得ないが」と前置きをして、

「つまり、お前のもとにいけばよいのだな」

 と言いました。

 あたしはにっこりと笑って「そうだよ」と大きく頷きました。


 あたしたちの暮らしぶりはとても慎ましやかなもので日を追うことだけに専念したものだったけれど、それでもあたしにとって安らかでいとおしい日々に変わりはありませんでした。誰にも邪魔をされることのない静かな終末はひとりぼっちだったあたしを大いに慰め、時には感傷的にもさせました。

 ヒトガタについて言うならば、彼は朴訥で人の心の機微に疎いところがあり、良くも悪くも裏表のないまっすぐな性質をしていました。

 嘘偽りのない事実のみを紡ぐその舌は私を喜ばせもしたし傷つけもしましたが、それが本来のあり方だと知ったのは、あたしがこれまで正しく傷ついたことがなかったからに他ならないからでした。

 兄弟たちの心無い言葉や、大人たちの見えない暴力にさらされたとき、あたしはそれ相応に傷つくことを許されていませんでした。彼らにとってあたしのような落ちこぼれの出来損ないはもはや人ではなかったのです。

 そんなあたしを人として扱い、まっすぐな言葉をかけてくれたのは生まれてこのかたヒトガタだけでした。

 その事実に気づいたとき、あたしはうれしいのか悲しいのかわからなくなりました。

 ヒトガタは俯いて動かなくなったあたしを静かに見据え「どうすればよい?」と尋ねました。抑揚のない無機質な声でした。


「たすけて」


 ついにあたしは許されなかった言葉を口にしました。

 口にしたら最後、張りつめていた糸がぷつりと切れ、目からはほろほろと涙が流れました。

 あたしはただ、救われたかったのです。

 いらないものとしてぞんざいに扱われ、忘れられていく自分を、誰かに知って欲しくて、わかってほしくて、今日まで生きてきました。

 救われたい、報われたいと願う気持ちは果たして罪なのでしょうか。

 その問いに誰も答えてはくれなかったけれど、かわりにヒトガタが一つ約束をしてくれました。

「ならば誓おう。この身体が動く限り、ありとあらゆる災難からお前を守ってみせると。わたしはおまえの『ヒーロー』なのだ」



 誓いを立ててからのヒトガタは、あたしを宝物のごとく大事に大事に扱ってくれました。まるで宝石にでもなったみたいな、照れくさいような歯がゆいような、くすぐったい気持ちになりましたが不思議と悪い気はしませんでした。

 そして、名前というものを持ち合わせていなかったあたしたちは、互いに名前を付けあうことにしました。

 その結果、あたしは『しろ』となり、ヒトガタは『くろ』となりました。

 なんてことはありません。見た目が白いから『しろ』で黒いから『くろ』。

 安易ではありましたが名無しと呼ばれていたころと比べたらずっとましでした。

 蔑むような響きはなかったし、彼とおそろいになれたのもあってむしろ気に入ってすらいました。

 正式には『しろがね』と『くろがね』という名前なのですが、くろは頑なに「お前なんかしろでじゅうぶんだ」といってききません。

 単に長くて呼びにくいからなのかもしれませんが……彼に『しろがね』と呼ばせるのがあたしの密かな夢であり野望でした。



 とある日、あたしは音の鳴る小さな箱をくろに見せてあげました。

「きれいでしょ? あたしの大事な宝物なの」

 そう言って得意げにぜんまいを巻くと、いつものように美しい旋律が流れました。くろは静かに耳を傾けていましたが、音が鳴り止むなり少し考えこむようなそぶりをみせ、「もう一度聞かせてくれないか」とあたしにぜんまいを巻くよう催促をしました。

 彼の珍しい要求にあたしは一瞬たじろぎましたが、すぐに気を取り直してぜんまいを巻きなおします。

「以前聞いたことがある。これは歌だ。いのちの誕生を祝う歌。『ハッピーバースデー』。昔、誰かが歌っていた」

 饒舌に語りだすくろにあたしは思わず呆気にとられました。

 両親の顔も知らなければ生まれた日も知らないあたしにとってそれはどこか遠い国の物語のように聞こえました。

「なんてまばゆい歌なのだろう」

 と思ったのと同時に、

「なんてさみしいのだろう」

 と思いました。

 フラスコの中で生まれた小さないのちに、祝福のキスをくれるひとは誰一人としていませんでした。

 それがあたしにとってのあたりまえだったはずなのに、くろと出会ってからはずいぶんとないものねだりになってしまったようです。

  

 くろ。心を持たないヒトガタのあなた。

 あたしが寂しいとき、あなたはいつも寄り添ってくれました。

 風に靡く赤いマフラーはヒーローの証。

 ゆるやかな死がたたずむこの世界に色をもたらした唯一の存在。

 赤。それが、あたしの愛でした。




 それからまた月日は流れていきました。

 くろは相変わらずそばにいてくれましたし、あたしもまたあのころと変わらずちびで貧相な子供のままでした。


「おまえはいつになったら成体になるのだろうか」

 と、くろが疑問を口にしました。あたしは「そうねえ」と一言置いてから、

「あたしね、もうこれ以上大きくならないの。大人になれないのよ」

 とあっけらかんに語りました。

 

 世界が壊れた日。

 あの日を境に、あたしの身体は大人になることをやめ、ゆるやかに終わりへと向かっています。

 たとえ、大きくなれたとしてもあたしは本当の意味で大人になれなかったでしょう。

 でも、悲しくはありません。だって、大好きなくろがそばにいてくれるのですから。

 唯一、心残りがあるとするならば、くろ、あなたを独りにしてしまうことです。そう遠くない未来、あたしはあなたのもとを去るでしょう。その日を迎えるまで、あなたからもらったものを返そうと思います。何も持たないあたしだけれど、精一杯、あなたを


 ■■■■


「くろ、どこにいるの」

「入口の近くにいる」


 足元がおぼつかないあたしを、くろは優しく抱きしめてくれました。彼の身体は硬くて、冷たくて、決して心地良いものではないのかもしれないけれど、あたしにとっては何にも代えがたい安息の地でした。


「今日の通信は終わったよ。少し、横になりたい」


 彼の背中に腕を回すと、ふわりとマフラーが肌を掠めました。あたしは思わず微笑みました。

「いいことでもあったのか」

「うん。とっても」

 

 あたしの目はもう何も映すことは叶わないけれど、くろが変わらずマフラーを大事にしてくれているとわかってひどく安心しました。


「明日はお外へゆきたいな。連れてってくれる?」

「もちろん。どこへでも」


 ■■■■


 今日はとてもいい天気です。

 くろ曰く、灰が降り注ぎ、あたり一面真っ白なんだとか。

 目が見えなくなってしまったのであくまで想像なのですが、いつもと変わらない鈍色の空がどこまでも広がっているのでしょう。

 これがあたしたちの日常であり、眠りにつくのにうってつけの日なのでした。

「くろ。くろ」

「なんだ」

「うたって。あたしが眠れるまで」


 そうやって今日もあたしは、くろを独り占めにします。

 あれがしたい、これをしてほしい……とかいってみたりして、子供のようにねだるのです。そんなあたしの無茶ぶりを彼は一生懸命こたえてくれます。

 

 くろが歌ってくれたのは、例のあのメロディーでした。いのちの誕生を祝う歌。あたしたちが唯一共有できる、いのちの歌でした。

 古びた弦楽器のような彼の歌声はどこか懐かしさすら覚えました。

 生まれたとき、誰にも抱きしめてもらえなかったあたしが、脆弱で何も持たないあたしが、大好きなひとの腕に抱かれてゆけるだなんて夢にも思いませんでした。

 こうしてあたしは、あたしだけの優しい腕を手に入れることが出来たのです。


「ありがとう」


 だから、どうか。

 美しい星に棲む、あなたへ。

 どうかひとりぼっちになった彼を、くろを見つけ出してください。

 そして、願わくば彼に本当の空を見せてあげてください。

 きっと彼は、ちっぽけなあたしを思い出し、懐かしんでくれるでしょう。


 静かな真昼。生ぬるい風。大好きなひとの腕の中。

 それがあたしの誕生日であり安らかな落日でした。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ、最後くろ一人ぼっちになってしまったのか 何となく物哀しいお話ですね
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