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#4 この世界の神

「ふわぁ〜……はぅあぅ……」


 翌朝、台所に気怠げな声が響いた。

「なぁにぃ?嫌ねぇ。そんなに大きなあくびしてぇ」

「んー……」

 ダサいパジャマからダサい服に着替え、湊はお湯を沸かしていた。


 その隣ではトントントントン…とリズミカルに母が万能ネギを切っている。さらに隣ではサラダを千切っている叔母が笑っていた。


「リリーちゃん、アレルギーとかないわよね?」

「り……?あ、ペネオラさんか。よく覚えたね。無いんじゃない?アレルギー。昨日の夜も平気だったし」

「昨日はアレルギー出そうなものなかったでしょ?でも朝だからヨーグルト出そうかと思って。起きたら後で一応食べられない物がないか聞いてくれる?」

「ふぇーい」


 ヤカンが音を上げる前に火を止め、祖父の気に入っていた白い急須を出す。安い急須だが、中には茶漉しがちゃんと付いているしこれが一番使いやすいと言っていた。

 湊は匙も使わずに適当に茶筒を振って茶葉を入れた。


「もー、雪子さんもいるのに行儀悪い真似しないで」

「ごめんごめん」口先だけ謝った。「――母さん達も飲む?」

「そうね。淹れておいておいてくれる?」

 二杯淹れ、まだ茶が残っている所にお湯を足す。母は何か言いたげだったが、湯呑みを四つお盆の上に乗せ、急須も乗せるとさっさと台所を後にした。長居しても小言をもらうだけだ。


 誰も見ていないことを確認し、仏間の襖を足で開けた。

 子供の頃祖父がやって祖母に行儀が悪いと怒られていた。

 異世界人では仕方ない。そして異世界人の孫では仕方ない。そう、仕方ないのだ。


 湊が寝ていた布団は適当に畳んで端に寄せてある。

 仏壇の前の床にお茶を置くと、リリーの寝てる一番端っこの襖をほんの少し開けた。


「――ぁ」

「――ぁ」


 目を覚ましていた様子のリリーと目があった。


「おはようございます」

「おはようございます」


 二人で頭を下げ合う。桜はまだ寝てるようなので、湊は手招いた。

 リリーはもそもそと布団から出て、仏間に入って来た。

 襖は静かに鴨居と敷居の間をすべり、トン……と軽い音を鳴らして閉まった。


「――これは」

 お茶の用意の前に座ったリリーが呟く。

「我が家は必ずお茶から始めるんですよ。祖父ちゃんがそうしてたからね」

 リリーは何か感激した様だった。目が少し潤んでいる。

「……湊様……」

「ん?」

「ありがとうございます……」

 深々と頭を下げられてしまい、湊も慌てて頭を下げた。

「い、いや、そんな。こちらこそ……?」

 顔を上げたリリーが普通な様子なのを確認すると、湊は心の中で安堵の息を吐いた。


 祖父の白い湯呑みと、湊の湯呑みと、お客に出す用の湯呑みに注ぐ。

「……白いカップ。ヘイバン様らしいです」

「よくこれが祖父ちゃんのって分かりましたね」

「あちらでも、いっつも質素なカップとポットでしたから」

「あぁ、そう言うことか」

 湊は笑い、祖父の仏壇にお茶を置いた。

「それで、これね。持って帰るやつ」

 黒い小さな巾着を、リリーは大切そうに受け取った。

「…お任せください。必ずやヘイバン様のお骨は持ち帰ってみせます。私の命に変えても、必ず」

「ありがとう。祖父ちゃんも絶対に喜ぶと思います」

 二人は秘密を共有する同志として信頼を形にした目をした。


「みなとぉ〜お茶ぁ〜?」

 和室の襖が開く。桜が目をかいていた。

「桜の分もあるよ」

「さすがぁ!たまに気がきくねー!」

「そりゃどーも」


 桜は寝起き丸出しの様子で四つん這いで仏間に入ってくると、お茶をふぅふぅ吹いて冷ました。


「さて、今日は神社行かないとな」

「神社?」

「あ、いや。交番行くついでに、お詣り」

「え!私も行きたい!」


 厄介なことになった。

 本当に交番に行けばパスポートと言われるだろうし、行く気はゼロだ。

「えーと……すぐ帰ってくるから。桜は祖父ちゃんの手記探ししといて」

「もうあれで全部じゃないのー?」

「全部じゃなくてペネオラさん帰った後にまた出てきたら嫌だろ」

「それはそうだけどさぁ」

「何?それともお前まだ俺に遊んでほしいの?」

「バーカ。ペネオラちゃんと遊びたいの。お兄ちゃんぶんないでよね」

 ベっと舌を出し、桜は軽い足取りで部屋から出ていった。


「大丈夫ですか……?サクラ様、怒ってしまったんじゃ……」

「大丈夫。桜はいつもあんな感じなんです。昔っから遊んで欲しがりだし甘ったれだし我儘だし部屋も汚いしガサツだし――」

 朗々と語っていると、視界の端に何かが一瞬映り込んだ。それを認識するより早く、湊の顔には柔らかいものがバフっと直撃した。


「――っわぶ、な、なんだぁ!?」

「誰の部屋が汚いのよ!!」


 桜の怒りの声と、襖がパンっと閉まる音が響き、湊は自分の顔に当たっていたものを退けた。

 枕だった。


「……ね。こう言う人なんです」

「ふふ、今のは湊様が悪いです」

「ははは。面目ない。本当は可愛いと思ってるんですけどね」

 湊は首の後ろをかくと空の湯呑みをお盆の上に乗せた。


「さて、今日の予定を発表しまーす」

「はーい!」

「まずは着替え、飯、そんでもって神社。帰ってきて昼飯食べて、休憩したら午後は祖父ちゃんの手記音読大会。その後魔法陣の調査。こんな感じでどうですか?」

「大賛成です!さすがヘ――いえ、湊様です!」

 今何と呼ばれようとしたのか湊はすぐに分かった。

「……そんなに似てます?」

「はい!すごく」

「そうかなぁ……。じゃあ、とりあえず着替えですかね」

 二人が仏間を出ると、ぶつぶつと何か文句を言いながら布団を畳む桜がいた。


「あ、すみません!」

 リリーは自分の使った布団まで桜が畳んでいる事に気が付くと慌ててそれを手伝った。

 と言っても畳まれた敷布団の上に畳まれたタオルケットと枕を乗せただけだ。


 そして、庭には見事にリリーの服が干されていた。

「……着替え、無理かな。神社は服が乾いてからですね」

「私はこの服でも構いませんが、おかしいですか?寝巻きと言っても動きやすいです」

 くるりと回るリリーは湊が中学生だった頃のパジャマを着ていた。

 黒いティーシャツの胸元に「1500hertz」と書かれている。意味不明だった。


「うーん…おかしいかおかしくないかで言えば……」

 爪先から頭までじっくりと眺める。

 似合っていた。

「――おかしくないな?何でだ?美人なら何でも似合うのか…?俺だとあんなにダサいのに……」


「そ、そんな。私なんかより桜さんの方がよっぽど美人なのに……は、恥ずかしいです」

 顔を少し赤くしてぱたぱたと手を振る様子が愛らしかった。新しい従妹ができたようだ。

「はは。まぁ、ペネオラさんならダサくないけど、俺良い事思い付いたからちょっと待ってて。――母さーん」

 台所に行くと、沢山の味噌汁がお盆の上に乗せられているところだった。


「湊。アレルギーどうだって?」

「あ、聞くの忘れてたわ」

「もー…じゃあ和室の立ててあるちゃぶ出してくれた?」

「それもまだだわ」

「なんで?お茶どこで飲んだの?洋間?」

「仏間の床」

「もぉー!本当にあんたって子は!ほら、ちゃぶ台出してきて!ヨーグルトも食べられるか聞いて!」

「へーい」


 怒られた。台所から引き返そうとし――湊はもう一度足を止めた。


「あ、それでさ。後でペネオラさんに着物着せてあげれないかな。午前中に神社行きたいんだけど、服干してるから」

「良いわよ。着付けてる間に洗い物してくれる?」


 疑問系だが、それぐらいやるよな?と言う無言の圧を感じた。

 湊は塩らしい態度で頷いた。

「……はい」

「じゃ、お祖母ちゃまとお父さんも起こしてきてね」


 どんどん用事が増える。実家は楽だと言う人もいるが、この実家はゆっくりできない。

 和室に戻ると、起きてきてバッチリ決めている父がちゃぶ台を出してくれていた。布団も仏間に移動させている。


「お、湊。祖母ちゃん起こしてきてくれ」

「へい!」仕事が減ったので喜びからが割と良い返事が出た。「――あ、ペネオラさん、アレルギーあります?」

「あれ…何ですか?すみません、どう言う意味でしょう?」

 アレルギーという言葉はあちらにないらしい。

「食べられないものあります?ヨーグルトとか平気?」

「ありません!何でも平気です!」

「さすが。えらいね!」


 湊は台所に向かって「ヨーグルト平気だってー」と声をかけ、軽い足取りで離れへ渡った。

 祖母と祖父の寝室からテレビの音が漏れてくる。それから、離れにはミニキッチンが付けられているのでお茶の香りもしていた。

 母達が結婚した当初はこっちで父母が暮らして、叔母と祖父母が母屋に暮らしていたらしいが、今は昔だ。

「祖母ちゃーん、飯だってー」

「はぁーい」と返事が聞こえると、湊はそのまま母屋へ引き返した。


 和室に戻ると、祖母は床に座ることはもう難しいので、座椅子も出されていた。ちなみにお茶の稽古の時は高めの正座椅子を使っている。

 桜とリリーはまだパジャマだったが、全員揃うと朝食を取った。

 目玉焼き、ほうれん草のおひたし、サラダ、味噌汁、納豆、ご飯。

 伝統的な朝食だった。

 そして、ヨーグルトよりも余程聞かなければいけないものの存在に気が付いた。


「ペネオラさん、納豆食べられます…?」


 皆心配そうにしていた。

「私、こう見えてベイクドビーンズは大好きですよぉ」

「いや、ちっともベイクされてないんです。生だし腐ってます」

「……本当ですか?」

「腐敗じゃなくて発酵って事になってますけど……どうかな」


 リリーはくんくん匂いを嗅ぎ、わ…と口を開いた。

「無理そうなら振り掛けか海苔にします?祖父ちゃんは毎日食べてたけど……」

「い、いえ!食べます!ヘイバン様も召し上がった物ですもんね!」

「まぁそれはそうだけど……」

 周りの食べ方を確認し、納豆をご飯に乗せる。

 そして、一口食べ――


「んなぁー……」


 謎の鳴き声をあげた。

「……き、気にしないで。俺のと変えてあげますから」

 若いお嬢さんにはダメだったらしい。あんなにうまい物なのに可哀想な事だ。

 湊はまだ納豆の乗っていないご飯とリリーの納豆ご飯を交換した。

 家族の苦笑とリリーの平謝りの中朝食は幕を閉じた。


 ◇


 食器を洗い終わり、湊は自分のなりを見下ろした。


「……ダサい」


 一番良さそうなものを着ているというのに。着られるようなものはぜんぶ一人暮らしの家に持って行っているのだから仕方ない。

 今日のティーシャツの胸元には群生するしめじのシルエットが描かれていた。当時の自分は何を考えていたのだろう。

 昨日寝る前は何か文字が書かれているよりもマシだと思ったが、選択しなおそうと思った。

 倉庫と化している自室に行き、もう少しマシなものがないか探す。美女に着物を着せて自分が謎キノコファッションとはいかがな物だ。

 しかし、何もない。


 あるとすれば――湊は仕方なく喪服のズボンに飾り気のない白いワイシャツを着た。長袖なので袖を折り返す。

 財布とスマートフォンをポケットに入れると、涼を求めて父がクーラーを入れていると思われる洋間に行った。

 父はソファでゴルフ番組を見ていて、予想通り部屋はキンキンに冷やされていた。天国よりも涼しいかもしれない。なんならここで一日を過ごしたい。


「お?湊は正装か。ははは、美人連れて歩くのにあの格好じゃあなぁ!」

「うるさいわい」文句を垂れながら椅子に座った。「なんか父さんの服借りればよかったな」

「いやぁ、無理だろ。胴回りがなぁ」

 ぽんぽん腹を叩いているが、大して太っていない。いや、着痩せするタイプなのかもしれない。

「で?どの神社まで行くんだ?」

「ちょっと歩くけどでかいとこ」

「車使うか?あ、父さんが送ってあげようか!」

「……結構です」

「えぇ〜。冷たいなぁ。いいなぁ。湊は両手に花で」

「え?両手?」

「両手だろ?」

「片手じゃなくて?」


 ニコニコ顔の父に首を傾げていると、洋間の扉がバンっと開いた。


「誰が花じゃないですって!」

「え?桜も来――」


 振り返ると、湊は数度瞬いた。

 入ってきた桜とリリーはどちらも尊い宝のようだった。

 我が身内ながら桜は美人だった。

 トンボの描かれた白い紗の着物に、黄色とグレーの幾何学模様の描かれたモダンな帯。中に着ている長襦袢に描かれた花の柄がぼんやり透けて見えていた。

 一方、リリーには薄水色の紗の着物だ。桜と同様に長襦袢に描かれた波の模様が透けている。帯には異国から渡来してきたような南蛮船の刺繍。

 華奢で長い首にはアップにされた髪の後毛が少しだけかかっていた。


 清廉な姿が眩しかった。いちいち取り上げて全てを褒めていけば、賛辞で辞書ほど厚い本を編めるかもしれない。

「どう、褒め称えてくれても良くてよ」

 桜が口を開いた。台無しだった。

「…まぁ、桜はほどほどに綺麗だよ」

「もっと素直に褒めて良くてよ」

「いやー連れて歩きたいなー。美女だなー」

「ちょっと棒読みだけど仕方ないから一緒に行ってあげる!」

 桜は楽しそうだった。太陽の様な裏表のないさっぱりした良い子だ。


「はは、どうもありがとうございやす。それにしても……驚きました。ペネオラさん、本当に何着ても似合いますね」

「ありがとうございます。こんな服初めて着ました!ヘイバン様や両親に見せたいくらいです!」

 ――両親。

 何故だろう。湊はそんな当たり前のことを忘れていた。

 祖父にも向こうにはきっと両親がいたのだ。突然いなくなったことを心配しているだろうと胸を痛めた事だろう。

 二十五歳や十八歳で行方不明なんて――辛すぎる。

「……ペネオラさん、頑張りましょう。俺も頑張ります」

「ん?はひ!」


 湊はこの子を必ず元の世界に帰してあげなければいけないと決意を新たにした。


 湊は鼻高々な様子の母にきちんと頭を下げた。大切にしなければいけない物が何なのか身にしみた様な気がしたから。

「母さん、ありがとう。着せてあげてくれて」

「いいえ。お祖母ちゃまと二人で着せてあげたのよぉ。可愛いわよねぇ。うーん、お母さんリリーちゃんとサクちゃんと一緒に写真撮って貰おうかしら!」


 きゃいきゃい喜ぶ母がリリーと桜の隣に並ぶと、ぞろぞろと祖母や叔母、父も並んだ。リリーは何かと首を傾げた。

「ペネオラさん、ちょっと下がって。写真撮ります」

「そう言えばヘイバン様のお写真もたくさんありましたもんね。魔法がないのに写真機があるなんて不思議です」

 魔法のカメラの方がよほど不思議だ。

「キメ顔でお願いしまーす」

「キメ顔!」

 リリーがキリッとした顔をし、よくこんな言葉が通じるなと思う。


「はーい、撮るよー。父さんちょっとはみ出てるからもう少し寄って。ペネオラさん、ここですからね。ここ見ててくださいね」と、スマートフォンのレンズを示した。「じゃ、笑ってくださーい。はーいチーズ」

 スマートフォンからシャッター音が鳴り、リリー以外が湊の周りにぞろぞろと集まる。

「まぁー本当リリーちゃんもサクちゃんも可愛いわねぇ。印刷してご近所さんに自慢しなくっちゃ」

「おい、湊。お前も撮ってやろう。並んで並んで」

「じゃ、俺も便乗しようかな」

 リリーの隣に並ぶと、リリーは懐いた様な目で湊を見上げた。近くで見る夜明けの色をした瞳は輝きが氾濫するようだった。


「はーい湊ー。見惚れてないでこっち見てー」

 父からの言葉にハッと我に帰った。

「見惚れてないわい!」

 はっきり見惚れていた。

 シャッター音が鳴ると、湊は画像を確認した。

「……うーん、こりゃ家宝だな」

「湊、鼻の下伸ばしてる〜」

 桜にクスクス笑われているが、否定しきれない。

「三人でも撮ろ!」

 桜が手慣れた様子でインカメラに切り替えて撮ると、リリーは何度も瞬いた。


 スマートフォンを手にし、一生懸命写真を拡大したり小さくしてみたりと忙しい。そして、次々に湊のカメラロールを見ていく。初めてのスマートフォンなのだからそれがあまりマナー的に良くないなど知るはずもないので仕方ない。

 やましいものは保存していないが、メモ代わりにあれこれ撮っているのである程度で返してもらった。

 今日の写真は印刷して仏壇にも供えようと思った。リリーが写っているので祖父も喜ぶだろう。

 それから、リリーの分も印刷しなければなるまい。

 コンビニに寄ることを決め、湊は両手に花で出かけた。



 二人は親達に日傘を持たされた様で実に涼しげだった。

 会話はあまり成り立っていないが楽しそうだ。

「この音、何の鳴き声なんですか?」と耳にリリーが手を当てれば、桜が「本当蝉うるさいねー」と答え、桜が「見てみて、入道雲!」と言うと、「あ、鳥ですねぇ」と答える。

 混乱しそうなので湊は少し離れて歩いた。

 こうしていると、魔法どうこうと言われたのも、リリーが帰れば二度と会えないかもしれないと言うのも、何もかもが嘘の様だった。

 湊はこっそり二人の背中を写真に収めておいた。二人の帯結びは()()()ではなく()()()なのでカッチリと言うよりはリラックスした雰囲気だ。

 この写真も家宝にしようと湊は思った。


 そして、ぐいと額の汗を拭う。

 日本ならどこにでもよくある住宅街は、アスファルトの照り返しが強烈だ。

「湊ーあつーい!着物じゃなくて浴衣にすれば良かったぁー!」

 その二つの違いは湊にはよく分からないが、桜が暑いならリリーも暑いはずだ。

 桜は草履だが、リリーは鼻緒で指の間が痛くなるかもしれないと言うことで自身の編み上げのブーツを履いていて尚更暑そうだ。帯の脇には来た時につけていたウエストバッグも着けているし、南蛮船の帯と言い、妙にモダンだった。


「コンビニでアイス買おうぜ。俺コンビニ寄りたいし」

「やったぁー!ペネオラちゃん、コンビニ行こー!」


 行き当たったコンビニで二人がアイスを選んでいるうちに湊はコンビニの写真プリントでさっき撮った家族写真、リリーと二人の写真、桜と三人で撮った写真、リリーと桜の後ろ姿の写真を印刷した。

 全て五枚づつだ。一セットは自分用に、一セットは桜に、一セットは両親に、二セットをリリーに。リリーはあちらに帰れば、祖父の家族――湊から見て曽祖父母達に渡してくれるはずだ。リリー自身の分と、湊のあちらの家族の分だ。

 写真を刷り終わると、写真用の封筒に大切にしまった。そして尻のポケットに慎重にしまう。折れない様に気を使った。


「アイス決まった?」

「決まった!湊自分のは?」

「俺は――」リリーと桜は同じアイスを持っていた。リリーは何が何味とはよく分からなかったのだろう。

「――俺もそれで良いや。貸して。買ってくる」

「ありがとーございまーす!」


 子供の様に喜ぶ桜に笑い、アイスの会計を済ませる。ついでに飲み物も一本買った。レジ袋を断り、飲み物は小脇に抱えて外ですぐにアイスの包装を剥いた。


「はい、ペネオラさん」

「あ、ありがとうございます!」

 リリーにわざわざ剥いたのを渡してやると、自分の分も剥いて咥えた。

 桜の分のアイスも切れ込みだけ入れてやる。

「ほい」

「ありがと!湊ってたまに大人だよね」

「見直した?」

「見直した!」

 桜は顔いっぱいに丸い笑顔を作り、アイスを包装から出して食べた。


「本当に氷です!魔法がないのに氷です!」

 リリーが感激した様に言うと、桜が頷いた。

「おいしいでしょー!これね、私夏には絶対食べるんだぁ」

「どうやって冷やしてるんでしょうね!」

「また来たら一緒に食べよーね!」

 相変わらずすれ違っているが、双方それで納得している様なので水はささない。

 溶けてしまう前にコンビニの前でアイスを食べ、三人は再び神社に向かって歩いた。

 そして、さっき印刷した写真を桜とリリーにそれぞれ渡した。

「……すごいです。写真なんて高価なものなのに……」

「はは、高価じゃないですよ。それも持って帰ってください。それで、一セットはペネオラさんの何だけど、もう一つは――分かるかな」

「分かります。ヘイバン様のご家族の皆様に必ずやお渡しいたします。きっと、これをご覧になれば全てを信じて貰えます」


「ありがとう。大変な事頼んでごめんね」

「いえ!こちらこそありがとうございます。私の分のお写真は私の宝物にさせてもらいます。」

「良かった。俺も宝物にしようと思ってたんです」

「……嬉しいです」

「俺も」


 リリーは胸を押さえると少し辛そうに息を吐いた。


「何二人の世界作ってんの!!ほら、シャキシャキ歩くー!!」

 桜がリリーの手を握って引っ張る。よろけながら楽しそうにリリーは笑った。



 到着した神社はまるで緑のペンキをぶちまけたかのように青々と育った木々に囲まれていた。住宅街で生が守られるその場所には、たくさんの蝉や鳥の声が響いている。

 まるで世界と境内を切り離すように打ち込まれている朱色の鳥居を潜ると、空気が全く違うようにすら感じた。

 しめ縄の掛けられた御神木は時代に逆らうかのように大きく青々と育っていた。


「……すごい神殿です」

「神社、神様の家です。真ん中は神様が通るらしいんで、端っこに寄って歩くとかなんとか」


 リリーは遠慮するように道の端を歩いた。

 三人は手水舎で手と口を濯ぎ、湊は自撮りを楽しむ桜とリリーを置いて社務所に向かった。


「すみませーん」

「はーい」

 バイトの巫女さんのような若い人が迎えてくれた。


「えーと、護符って書いてもらえます?」

 何と呼ぶのが正解なのかよく分からなかった。

「護符でしたらこちらに」巫女は袴に合わせて着ている白い着物の(たもと)を押さえて、湊の前に並ぶ、本来なら神棚に飾るであろうお札を指し示した。「こちらが家内安全、こちらが心願成就、こちらは方除札、最後にお守り各種です」


「あーなるほど。心願成就と……旅に効くお守りってどれですか?」

「厄除けのお守りと交通安全のお守りが良いかもしれませんね」

「じゃ、その二つも下さい。後……御朱印って、御朱印帳がなくても貰えます?」

「はい。紙に書いてお渡しします」

「じゃあそれもお願いします」

「では五分ほどで書き上がりますので、こちらの番号札をお持ちになってお待ちください。」

「ありがとうございます。あの……ここで一番強そうな人にお願いできませんか……?」

「強そうな人……ですか……?」

 意味が分からんと顔に書いてある。


 湊は気まずそうに不器用な笑顔を作った。

「偉い人と言いますか……神主さんとか、なんかご利益のありそうな人にお願いしたいんですけど」

「かしこまりました。そのように手配します。お待ちください」

 初穂料と交換に品と番号札を受け取り、こんなもんが効くのかなぁと不安になった。

 番号札は七番。なんとなくラッキーな気がする。


(神様いるんだよね……?効くんだよね……?)


 湊は不安に思いながら本殿を見上げた。

 桜が本殿の前の階段の上で手を振っているので、そちらへ駆ける。


 桜は「ん!」と手を出した。

 とりあえず握って握手をするとぶんっと手を払われた。

「誰が握手求めとんねん!お参りするから五円ちょうだい!」

 似非関西弁で言われると「あー」と湊は納得の声を出した。


「ん、五円な。ペネオラさんも、はい。五十円」

「お金ですか?」

「お布施です。お賽銭箱に投げてお祈りします」

「なるほど。分かりました」


 桜と湊がリリーを挟むようにして立ち、小銭を投げると三人で鈴を鳴らして二礼二拍手一礼でお参りをした。

 もしかしたら、本当に神様がいると思って祈るのは子供の頃以来かもしれない。

 子供の頃はどんな願いも叶っていたような気がする。


(……この子が無事に家に帰れますように。それでもって、祖父ちゃんの帰郷も叶いますように)


 さわさわと木々が揺れる音が妙に大きく感じた。

 社に落ちる木漏れ日が踊る。

 葉が擦れ合う音、鳥の鳴く声、眩しく世界に満ちる光。

 湊が顔を上げたとき、リリーはまだ祈っていた。

 湊は桜と先に賽銭箱に続く階段を降りた。


「何お願いした?」と桜に問われる。

「二度と腹痛が来ませんように」

「……あんたバカなの?」


 桜は何か臭い物でも嗅いだように眉間に皺を寄せた。そんな事は願っていないが、本当の願い事は何となく人に教える物ではない気がしたのだ。


「私はお祖父ちゃまがあっちでも元気にできますようにってお願いしたわ。仏教で弔ってもセーフでしょ。神仏習合」

「そりゃ良いね。偉いな、桜」

「湊の願いに比べたら誰の願いだって偉くなるわよ。それにしても、ペネオラちゃん長いね」


 二人で数段上にいるリリーを見上げた。

 色の薄い後れ毛が風に揺れ、リリーはようやく手を下げて振り返った。

「お願いできました?」

「はい!ちゃんとお聞き届け頂けたか分かりませんが、ご挨拶をしてから精一杯お願いさせて頂きました」


「良かった。じゃ、御朱印貰って――その後二人はどうしたい?」

「甘いの食べたーい!」

「アイス食べたのにまた甘いもん食べんの?」

「今日は奢りの日でしょ!稼いでんだからケチケチしなーい!」

「稼いでない。でもせっかく着物着たしどっか寄らないともったいないよな」

「美女二人も連れてんだからプライスレス!ね!ペネオラちゃんも良いでしょ!」


 名前を呼ばれたと分かったリリーが笑って誤魔化そうとしたところで、湊が言い直した。

「何か食べに行くんで良いですか?」

「もちろんです!すみません。ご馳走になりっぱなしで」

「いえいえ。祖父ちゃんの代わりですよ」



 そして、三人で食事に行ったことを湊は後悔した。



「……お前あんなもん頼むなよ……」

 桜が三千円もするキングサイズのパフェを頼んだせいで胃もたれした。最後は女子二名はお腹いっぱいの白旗を上げ、湊がさらって食べた。しばらく生クリームとコーンフレークは見たくもない。


「何で!美味しかったじゃん!」

「美味しかったです!感激しましたぁ!」

「ねー!ほら、リリーちゃんも美味しかったって言ってる!」


 珍しく通じ合っている。そして、リリーと呼ぶようになっていた。


「ペネオラさんが美味しかったなら良かったです…。じゃあ、帰りましょうか」

「えー?もう帰るの?」

「お前何のために家泊まってんだよ」

「湊と遊ぶため!」

「……知ってた」

 最初から桜がくれば片付けは捗らないと分かっていた。

 しかし、あまりこう人通りの多いところに長居もしたくなかった。

 と言うのも、この二人は大変目立つ。

 リリーは言わずともがな、桜も顔だけは良い。


(……殺意の波動を感じる)


 辺りの男性たちからの視線が痛かった。

 別にどっちとも羨ましがられるような関係ではないが、周りの人達にそれを測る事はできない。

「……公園でも寄って帰るか」

「そう来なくっちゃね!」

 家の近くまで帰ると、すぐそばの公園に寄った。

 二人は子供のように楽しそうにブランコを漕いでいて、絶賛胃もたれ中の湊は行きがけに買ったぬるいスポーツドリンクを飲み下した。


(……昼飯いらないって連絡しないと)


 親に今更のようにぽちぽちとメッセージを送る。

 すぐにサムズアップの絵文字が返信されてきた。予想通りだったのだろう。

「よし」


「――みっちー?」


 その声に振り返ると――公園の外に三ヶ月ぶりに見る顔がいた。

「あれ?たっつぁん」

「お!やっぱりみっちーじゃん!地元で会うなんて珍しいな!今日飯行ける?」

 宮村達郎――通称たっつぁんは近所に暮らす幼馴染だ。高校までは同じところに通っていた。


「それが祖父ちゃんが死んでさ。今遺品整理中なんだよね」

「え、平文先生?ごめん、知らなくて」

「良いよ。連絡しなかったのは俺だし。ま、今年は年賀状辞退するよ」

「はは、小学校以来年賀状なんか送った事ねぇわ」

「知ってた」


 達郎の足下ではハッハッ!と息をする老犬がいた。空のように透き通った水色の瞳で、顔には隈取りのような模様が鎮座する。暑くてたまらんと開けられた口。シベリアンハスキーだ。


「ウマ!元気にしてたか!」

「みっちー、ウマに会うのめっちゃ久しぶりじゃない?ウマも年取ったよ。こないだ手術したんだぜ」

「まじかぁ…。たっつぁんがウマにウマって名前つけるって言ってたのが……何年前?」

「小六ん時。今年十三歳になるからもう大お爺さん」


 顔をわしわしと撫でてやると、ウマはまるで湊を覚えていたように顔をべろべろ舐めた。


「はは、ウマ相変わらずくせぇなぁ」

「それがいんだろ?ウマ、おすわり。おーすーわーり」


 ウマは行儀良く座ると鼻の頭を得意げに舐め、口をぱかりと開けるとまたハッ!ハッ!と呼吸を繰り返した。

 そうしていると、桜とリリーがブランコを降りてこっちに向かってきた。


「こんにちはー!湊のお友達ですか?」

 桜が手を振ると達郎がそれを指さす。

「え?え?何?何々!もしかして彼女!?」

「いや、違う。従妹だよ」

「従妹なら結婚できんじゃん!!」

「えぇ…バカ言うなよ。絶対無理。カタツムリ」

「じゃあ紹介して!みっちーはちゃんとすれば顔だけは良いと思ってたんだよ!!」

「性格も良いっての!!」


 桜とリリーが並ぶ。達郎はそっとリリーを両手で示した。

「……こちらも従姉妹?」


「いや、そっちは祖父ちゃんの知り合い。リリー・ペネオラさん」

 リリーは湊の紹介と同時に手を伸ばし、あまり握手の文化のない達郎は慌てて手をズボンで拭いて握った。

「よろしくお願いします。香る白き花の意でリリー・ペネオラです」

 自己紹介をちゃんとしてくれたが、達郎はすぐに湊に振り返り「本気の外人さんやんけ!」とでかい声を上げた。


「よろしくってさ。ペネオラさん、こっちは宮村達郎です。た、つ、ろ、う」

「タ、ト、ロ、ウ」

 リリーが繰り返す。音を伝えるのは難しかった。


「みっちー!俺今日からタトロウとして生きてくよ」


 達郎は見たことがないほどに爽やかな顔をしていた。

「そ、そっか。えーと、それで従妹の桜」

 外面のいい桜は普段湊には見せないような優しい顔をして頭を下げた。

「こんにちは、従妹の長田桜です」

「どもー!たっつぁんでーす!」

「それからウマ」

 ウマがワン!と元気よく吠えると桜とリリーは目を見合わせた。


「馬?」

「馬」


「何でですか?犬じゃないんですか?この世界の馬はもしかして……これ?」

 リリーはしゃがみ、ウマをじっと見つめていた。

「いや、子供の時犬橇(いぬぞり)をテレビで見て買って貰ったんだって。だからウマって名前にしたらしいですよ。馬鹿らしい名前だからたっつぁんの親はウマじゃなくてホース君って呼んでる」


「馬じゃなくて馬君ですか?」

 馬もホースも同じ意味なせいでうまく伝わらなかった。湊はあっちの神様の翻訳レベルは大したことがないと思った。

「みっちーよく覚えてんなぁ!で、それで通じんの?」

 達郎がハラハラしたような顔をし、湊は肩をすくめた。

「いや、通じたり通じなかったり。でも俺ペネオラさんの言葉は喋れないから日本語貫いてんの」

「へー…。なんか難しそうな言葉だもんな。みっちーよく聞き取れるよ。ドイツ語っすか?ジャーマン?フレンチ?」

「少数民族の言葉何ですって。でしょ?湊」

 桜の言葉に無言で頷く。これ以上はややこしくなりそうで湊の中にはむくむくと帰りたい欲が湧いてきた。

「そんな感じ。じゃ、そろそろ帰らないと」


「え!みっちーもう帰んの!良かったら二人とも、俺と連絡先交換しませんか!」

「ペネオラさんは無理。桜は交換したかったら好きにしていいよ。――行きましょう」

「っあ、は、はい」

 リリーの手を取って家の方へ湊が歩いていくと、達郎がその背に声を掛けた。

「彼女なら彼女だって最初から紹介しろよなー!」

「違うってーの!」

 湊は噛み付くように吠えた。


「良いんですか?あの方お友達ですよね?」

「いつでも会える友達だから大丈夫です。それに、魔法とかこっちじゃ理解されないから説明難しいし……」

「す、すみません。でも、湊さんは魔法のことよく分かってらっしゃいます」


 湊はそこで足を止めた。ザリッと革靴が音を立てる。

「……だから、だから俺ペネオラさんの言葉がわかるのかな。祖父ちゃんに向こうのこと教えてもらってたから……」

「或いはそうかもしれません!」

「じゃあ祖父ちゃんの話よく聞いててよかったな」

「私も本当に助かりました!ヘイバン様にも湊様にも感謝してもしきれません」


 リリーからの信頼の瞳に笑い返し――その瞳は湊ではなく祖父の影を映しているように見えて、すぐに目を逸らした。

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