#29 新しい後輩
#29
心地良いまどろみの感覚も得られずに、座ったまま気を失うように眠りについた翌日。
湊は相変わらず腰の痛い朝を迎えた。
昨夜あの後イッサは、マキナの指導に当たっていたヤージャや安全管理委員会のマクモンドと共にマキナを軍の本部に連れて行くと言って別れた。
朝日が差し込む平文の部屋は、昨夜リリーが起こしてくれた火が消えかけて冷え切っていた。
イッサが帰るまで待つつもりが結局ロッキングチェアで寝ていたようだ。ソファではリリーが横になっていて、イッサが帰った様子はない。
湊はロッキングチェアから立ち上がると、リリーの肩を揺らした。
「リリ、朝だよ。リリ」
リリーは慌てて起き上がると、サッと辺りを見渡した。
頬に赤くソファの生地の痕跡が残る、懐ききった顔で笑った。
「湊様!おはようございます。バウマン様はまだ……?」
「おはようございます。イッサ様、帰って来られなかったみたいなんですよね」
湊が腕時計を見せると、リリーはそれを覗き込んだ。ローマ数字は読めないだろうが針を読む事はできる。
「まだ少し早いですけど、魔術省に行ってみますか?」
「そうすね。念のために書き置きして行くか」
昨日の夜と同じ轍を踏まないためにリリーが手紙を書き、湊は簡単な朝食を作った。パンの上に目玉焼きを乗せただけの代物だ。
二人で朝食を取ると、リリーに差し出されるがままに服を着替えて出掛けた。
冷えた空気の中、吐く息が白く染まって流れる。
袖を取るリリーの手を繋いでポケットの中へしまい、見慣れない街の坂や階段を登って行く。
空には大きな帆船が行き交い、湊は眩しそうにそれを見上げた。
リリーは物珍しそうに一々立ち止まる湊をいくらでも待ってくれた。
魔術省に着くと、早朝なので正面玄関の受付もまだおらず、関係者かどうかを確認する衛士だけがいた。
それぞれボウタイと指輪を見せてから軽い挨拶を交わして平文の研究室に辿り着いた。
コートとマフラーを掛けると、リリーは一番に翡翠色のテーブルへ駆け、湊を手招いた。
すぐにイッサを探しに行くわけではないようだ。
湊が座ると、扉のついていない小さな部屋にリリーは消えた。
湊は一人になるとついあれこれ考えてしまうたちだ。
核を作ると決めたが、核爆弾の知識が少なすぎる。
本当にそんなものが作れるだろうかと尻込みするようだった。
(……いや、本当に爆弾を作るわけじゃないんだ……。理論上でウランを核分裂させるだけで良いんだから……)
湊は元素記号だけでなんとかならないかと考えていると、リリーが隣室から戻った。
「み――ヘイバン様。召し上がってくださいね。これを飲んだらバウマン様を探しに行きましょう」
これからの練習をする様に祖父の名前で呼ばれる。
湯気の燻る真っ白なカップを勧められ、湊はカップを手にした。
「これ、祖父ちゃんのか。分かりやすいですね」
「ふふ。私も向こうに行った時にそう思っちゃいました」
二人でくすぐったそうに笑ってお茶を飲んでいると扉が叩かれ、お茶に口を付けようとしていたリリーが扉へ向かった。
「きっとバウマン様です!」
そう言って扉を開けると、案の定イッサがクマのある疲れた顔を見せ、湊は慌てて立ち上がった。
「イッサ様!おはようございます!」
「おはよう。今日から君の研究室に新しい子が入ることになったよ」
「え……?何でまた……」
それは無理ではないかと思っていると、イッサの後ろからはすぐにもう一人が部屋に顔を見せた。
それは――「マキナ?お前、ヤージャ女史の研究室なんじゃ」
マキナは段ボール箱を二つ抱えていて、口の端に傷を塞ぐテープを貼っていた。昨日湊が殴りつけた時に付いた傷かと思ったが、昨日よりも傷が大きくなっている気がする。
軍で殴られたか――もしくはイッサに殴られたのだろう。
それに、転んだ時に額にできた傷には魔法陣の書かれたガーゼが貼られていて、ぼろぼろに見えた。
出勤の時間になったのか扉の外には人が行き交い始めていた。
「マキナは今日付けでエライヤの研究室からここに配置替えになった。エライヤの下に付いていたイシュワが素行不良で憲兵隊に拘束された事から、エライヤに二人も見習いを指導することは難しいと主席公認魔術師の話し合いで結論付けられた。結果、移動先は転移の魔法陣の作成時に指導していたイズアルド。君の下が妥当だろうと決まった」
表向きの理由だと思われる言葉が並んだ。
湊は忘れないよう言われた理由を胸の内にメモした。
「イッサ様、イシュワはまだ――」
「イズアルド。気になるのは分かるが、先に返事をするのが筋だろう?」
「――あ、はい。すみません、分かりました。マキナの事は確かにここで預かります。本当にありがとうございました」
「よし。マキナ、行け」
マキナの事を若干突き飛ばすように中に入れ、イッサは一度扉の外へニコリと笑ってから扉を閉めた。外を通る人達にわざとマキナの配置転換を聞こえるようにしたのかもしれない。
マキナはイッサに敵対心丸出しの目をしていて、二人の間の空気はひりつくようだった。
「マキナ、分かってるだろうね。イズアルドやリリにまたふざけた真似をすれば、私は君をすぐ様死刑台に送る。もちろん死刑台というのは比喩だよ。裁判に上げる前に殺すことも十分にあり得ると胸に刻んでおきなさい。私は君を殺してしまうことに何の躊躇いもないんだから」
「バウマン様。あなた、全部知っていながらよく僕をここに置こうと思いましたね。マクモンド様やヤージャ様はヘイバン様の言葉を信じたみたいですけど」
「君は戦争の役に立ちそうだから嫌々ながら君を受け入れることにしたんだよ。それから、私が可愛く思うそこの男が君を生かしたいと言って聞かないのと――君には恩がある」
「……また恩ですか?あなた方、一体何なんですか?お給料三重取りは嬉しいですけど、流石に不気味になってきましたよ」
「詮索しなくて結構。これでもう恩は返した。二度目はない」
イッサはマキナを一瞥すると、湊の立った席に座った。
まだお茶の残る平文のカップにお茶を注ぎ足し、それで少し口を湿らせてから口を開いた。
「イズアルド」
「は、はい」
湊は何となくイッサの前に座る事を躊躇い、その足下に膝をついた。
「私は君に会えて心から嬉しく思うし、君と話す時間に深い安らぎも感じる。もちろん、君を君の祖父に重ねていないと言えば嘘だ。君の向こうに君の祖父の影を見ている。だが、これは死んだ友人の息子を愛しく思う時に当たり前に持つ感情なんだと思う。許してくれるね」
突然の告白に湊は頷いた。昨日湊が言った「マキナがいなければ産まれることもできなかった」と言う言葉と、「最悪平文ではないと言って国を出て行く」と言う言葉への答えだと思った。
湊を平文の代用品としてではなく、湊個人を想ってくれていることをハッキリ感じた。
「ありがとうございます……。俺なんかに勿体無い言葉ばっかり……」
「勿体無いものか。だから、どうか私から君を奪うような真似は君自身もしないで欲しい。私の素直な気持ちはそんな所だ。ただ――同時に私にはあいつを許し切れない気持ちもある。恩を感じる部分もあるが、奪われた恨みもある。……何と言うか、今の私は複雑だ」
人はどうしても一つの結論だけでは生きていけないものだ。
湊はそれをよく分かっている。
一つの心を簡単に封じて踏み出せる人を、湊は信用しないだろうし、できない。
「本当にありがとうございます……。俺、イッサ様がいてくれて良かったです」
「そう言ってもらえると少し救われるよ。さて。それでイシュワだが今日放免される事が決まった。昼以降から魔術省にも出てくるだろうね。ただ、イズアルドの部屋を覗こうとしたり素行にはやはり問題がある。疑われるような事をするなと言うのは酷かもしれないが、エライヤの指導不足は否めない」
段ボールを適当な場所に置いていたマキナがくすりと笑いを漏らす。
「――何がおかしいのかな」
「ふふ。バラミスの魔術省は親みたいな真似もしなきゃいけないなんて大変ですね。流石にヤージャ様にご同情申し上げないと」
「……イズアルド、本当にあいつは禁固刑じゃなくて良いんだな?」
湊は手の焼けそうなマキナの様子に頬を掻いた。
「……マキナ、お前あんまり素で喋るなよ。イッサ様むかつかせても無意味だし、リリにも悪影響だろ」
キョロキョロと三人を見ていたリリーはハラハラしすぎて若干顔を青くしていた。
「ヘイバン様がそう言うならそうします。それで、僕の机はいつ届くんですか?」
イッサは顎をしゃくった。
「自分でエライヤの部屋から持ってくるに決まってるだろう」
「うわぁ……。ヤージャ様の指導能力が問題で移動になったのにあんまりですね。机くらい持ってきてくれれば良いのに」
マキナは表向きの理由を思い切り盾にしていた。
「マキナさん、私がお手伝いします」
リリーが手を挙げると、マキナは嬉しそうに頷いた。
「ペネオラ、ありがとう。君が死んでなくて助かったよ」
嫌味だろうか。湊はリリーを手招いた。
「リリ、良いよ。まだリリの分のお茶が入ったままなんだからイッサ様とゆっくりしてな」
「み――ヘイバン様、でも」
「良いから良いから。――マキナ、リリじゃなくて俺が行くよ」
「いやぁ、ヘイバン様にお手伝いいただくなんて恐れ多いなぁ!ありがとうございます!」
年上のくせに――マキナは同い年だと思っているだろうが――愛らしい弟のような愛嬌のある雰囲気を出す。
湊はマキナのその様子を見ると、何かギシギシとした物が胸の内を撫で上げるような気分になった。
「……かわい子ぶるな」
「素で話すなって言ったくせにめんどくさい人ですね」
文句を言うマキナと共に廊下に出る。マキナは途端に誰もが好青年だと太鼓判を推すような、無駄に爽やかな顔をした。
出勤時間の廊下にはたくさん人がいる。
すれ違う人達は誰もが心配そうにマキナの顔を覗き込んだ。――特に、女子が多い。
隣の部屋の扉にたどり着くまでに三人も話しかけられた。
そして、四人目と五人目が湊とマキナの前で立ち止まった。
「マキナ君、大丈夫?」
「顔どうしたの?ここ……」
額を指さされ、マキナは儚いような顔をした。
「うん……ちょっと暴漢に襲われてね。とんでもない目にあったんだ……」
どの口が、と思ったが湊は大人しく黙っておいた。
「そうなんだ……。困ったことがあったらいつでも言ってね」
「ヘイバン様も手、大丈夫ですか?」
当然湊の右手は未だに真紫色だ。
「大丈夫。これはちょっとした実験結果だから」
「わぁ……。もしかして戦地用の魔法ですか?」
「確かにその色なら夜間行動中に見つかりにくそうですもんね」
それを聞くとマキナは胸ポケットから新品の手帳を取り出してメモを取った。
当たり前のようにスパイをする気満々な雰囲気に頭が痛くなりそうだ。
「おい、お前そんなこと一々メモすんな」
またメモを取り上げると、マキナはじっとりとした目で湊を見た。
「……返していただけます?それも僕の仕事の一つなんですよ。それも――魔術省のね」
マキナはアルケリマンに裏切りを悟られないようにしないといけないので、確かにこちらを調べるスパイ行為も魔術省の仕事だ。二重スパイとしてやって行くならあちらさんには良い顔をしなくてはいけない。
渋々だ。湊は渋々メモをマキナの手に返した。
「やりすぎるなよ」
「ふふ、ヘイバン様はお優しいなぁ!僕はこんな体だから、あまり働かせたくないんですよね?」
「……うんうん、そうだね」
湊は溜息を吐き、「じゃ、俺たちはこれで」と二人に手を挙げた。
マキナが隣の研究室の扉を叩き、すぐに『どうぞ』と中から声が返る。
中に入る時、「ヘイバン様本当に少し変わったね?」「見た目とかじゃなくて雰囲気も違うよね?」と聞こえ、たらりと背に汗が流れた。
マキナは別の世界から湊が来たと知ったらどうするだろう。
この今の半ば脅迫されるような状況を脱するために喜んで湊やイッサ、リリーをどこかに吹き飛ばそうとするのではないだろうか。
後でリリーやイッサに平文がどんな若者だったのかよく聞こうと思った。
「――来たな、ヘイバン。それにマキナも」
疲れ切った顔をするヤージャは少し元気を取り戻したように笑った。
「おはようございます。ヤージャ女史」
「おはようございます!」
マキナはまた弟のような顔をした。この男は本当にどれが真実の顔なのかよく分からない。
「おはよう。ヘイバンもマキナも本当に人が悪いな。二人で困ってるって言うなら、私に相談してくれれば良かったものを。そうしたらあんな小芝居を打つ前に何か策も練れただろうに」
「は、はは。すみません。情報は漏れない方がいいと思ったもので」
マキナと違って湊は芝居じみた真似は不得手だ。引き攣りそうになる顔をよくほぐしてくるべきだった。
なんならマキナに一度師事した方がいいかもしれない。
何故ならば――全てをわかっている湊が、思わず背を撫でて大丈夫かと聞いてやりたくなるような仕草でマキナは口を開いたから。
「ヤージャ様……。ご心配をお掛けしました。僕にはやっぱり……人を殺したりなんてできません……。情報を調べるだけでもあんなに辛かったのに……。でも、ヘイバン様が僕の話すことを信じて下さったおかげで、僕はそんな生活をようやく終えることができました」
「そうだな……。お前はスパイ活動なんかできる玉じゃないよ。軍部からはアルケリマンの魔法や情報を手に入れ次第報告しろって言われてるだろうけど、そんなもん放っておけ。無理に何かを探ろうとすればまたボロが出てアルケリマンに命を狙われるだろ。自分を大切にしろよ」
「ありがとうございます。ヤージャ様にも感謝しております」
「……私もだよ。最後まで私の下でお前を育てられないのが残念だが、仕方がないな。バウマン様や主席公認魔術師の皆さんがヘイバンの下へ移動させると仰ったんだから。……お前の異変に気付いてやれなかった私よりも、ヘイバンの下に付く方が良いと言うのは最もだ」
ヤージャは本当に残念げに笑い、鞄からキセルを取り出して火を着けた。
彼女は湊が昨日の夜に言った、マキナはスパイを頼まれたがそれができなかったと言う話を信じているらしい。確実に平文をこの世界から抹殺したことを知るリリーとイッサ以外は皆信じているのだろう。
ヤージャの唇からピンク色の煙がふぅー――と長く吐き出される。イッサが吸っているものよりも熟れたような甘い香りがした。
「――そうだ。イシュワも昼には帰ってくるが、あれには何も知らせない予定だ。これは上が決めたことだから、お前達も心は痛むだろうが本当のことは言うなよ」
「分かっています。アルケリマンにスパイを頼まれ、それを遂行できずに今度はバラミスのスパイになったなんて……イシュワには話せません」
「はは、誰にも話せなくて正解さ。それを知っているのは軍と憲兵の一部。魔術省では所長と私、バウマン様、マクモンドだけだ。これ以上の者が知るとお前の身が危ない」
「ありがとうございます……」
「うんうん。ところでお前、机を取りに来たんだろう?拭いておいてやったぞ」
「え、わざわざすみません」
マキナが何も乗っていない机に寄って行くと、湊もそれに続こうとし――行く手を阻むようにピッと目の前にキセルが差し出された。
「ヘイバン、一つ聞かせてくれないか」
「は――はい。どうかされました?」
ヤージャは湊の横顔を値踏みするように眺め、前に回り込んできた。
「――お前、何故バウマン様がイシュワを憲兵の下へ連れて行くのを止めなかった。お前は毒に冒されたふりをしたそうだが、それはやりすぎだったんじゃ無いのか」
そこのストーリーが破綻していることに、湊は言われて初めて気がついた。
「……そ、それは……」
「それはなんだ。うちのイシュワが憲兵の下でどれだけ自分を責めて泣いたか知っているのか。いくらやっていない証拠を出せるとしても、もっと違う方法があったはずだろう」
明らかな敵対心を感じる低い声で言いながら近付いてくる。
顎の下に突き出された燃え尽きたばかりのキセルの先端は非常に熱そうで、湊は思わず顎を高く上げた。
「や、ヤージャ女史……落ち着いて」
「私は落ち着いているぞ。理由を聞かせてほしいと言っているだけだ。お前ともあろう者がもっと他に方法を思いつかなかったのか?え?」
「い、いや……えっと……思ったより毒を飲みまして……」
「では本当に不調で止めることもできなかったわけか」
「はい……」
「それならお前はどうして今ここでぴんぴんしている。あの薬包から出た毒物は人の身体機能を損なう魔法も掛けられていた程のものだ」
そんなとんでもない物を飲まされたのかと、湊はヤージャの向こうで面白そうな顔をしているマキナを睨み付けた。
「聞いているのか。こっちを見ろ」
「す、すみません。それはただ、解毒しただけで……」
「貴様の肝臓は余程丈夫なんだなぁ?」
「肝臓の代謝分解機能を魔法陣で全部やったんで……」
「そんな真似出来るわけがないだろうが。人の体は神が作った物だ。神が作った臓器の仕事を人が全て行った?馬鹿にするなよ」
そんなとんでもない魔法だったなんて知るわけもない。書いて見せても良いが、服毒している者がいなければ何の証明にもならない。
そこで見兼ねたマキナが二人の間に割って入った。
「ヤージャ様、待って下さい。違うんですよ。イシュワは僕とずっと一緒にいたでしょう。だから、アルケリマンに疑われていたんですよ。僕の秘密に気付いたんじゃ無いかって」
ヤージャの視線はちらりとマキナへ移った。
「――だから、ヘイバン様はイシュワを敢えて憲兵の所へ送って、イシュワが僕のことをひとつも話せないと言う事実をアルケリマンに見せ付けたわけです。これでイシュワの安全が確かに確保されました。これ以上ない安全確保の方法ですよ」
マキナが話し終わると、一拍置いてヤージャのキセルが下げられた。意味を十分に理解したと様子だった。
「……そんな。では、私は後輩二人の危機に気付いていなかったと言うわけか……」
「はい。ですが、それを気付くのは簡単な話ではありません。ヤージャ様が気になさることはないんですよ」
マキナはヤージャの背を撫で、まるで貸しだとでも言うような目で湊をチラリと見た。
「……ヘイバン。私はお前に何から謝れば良い」
きっとこの人は純粋な人なのだろうと湊は思う。そして、即座に首を振った。
「いえ……ヤージャ女史は何も悪くないですよ。すみません」
「謝らないでくれ。頼む……。お前は一つも悪くないばかりか……私の大切な後輩を二人も助けてくれたのに……すまなかった……」
マキナの話したことは全て嘘だが、湊は確かにマキナの命も助けたし、イシュワが無罪放免されるだけのものも用意した。
嘘をついている罪悪感はあったが、湊は素直にこの感謝を受け取ることにした。
「そんな事もあります気にしないで下さい」
「ふ……お前は軽いな。たまには恩に着せて来たって良いんだぞ」
「はは、じゃあ貸しにしておきますよ。――マキナ、机持っていこう」
「そうですね」
二人で机を持ち上げると、ヤージャはすぐさま扉を開きに行ってくれた。
机を運び出し、ヤージャに「またイシュワが来たら」と挨拶をして二人は部屋を後にした。
帰りは流石に廊下の人通りはなくなっていて、人に話し掛けられるようなことはなかった。
「それで?本当はどうやったんですか。一週間半は寝込むって医伯は言ってたんですけど」
マキナが問う。湊はため息を吐いた。
「さっき言った通りだよ。魔法陣で毒を全部分解しただけ」
「……本気で言ってるんですか?」
「本気だよ。やって見せても良いくらい。だからお前、俺のこと毒殺しようとしても無理だからな」
「……そんなこと企んでませんよ。何かしてあんたが死んだら、僕のせいじゃなくてもイッサ・バウマンが全部僕のせいだって言って僕を殺しにくるでしょ」
「はは、確かに」
笑っていると平文の部屋の扉は自動で開いた。いや、もちろん手動だ。中でリリーが迎えてくれる。
中からはイッサの寝息が響いて来ていた。
「み――ヘイバン様、マキナさん。おかえりなさい」
「重いなぁ。ペネオラが代わってくれないかなぁ」
「あ、はい!傷もありますし疲れましたよね!」
リリーが手を出そうとすると、湊はマキナをクズを見るような目で見た。
「どの口が言ってんだよ。体育会系が。ゴリラみたいな腕力してたくせに俺のリリを働かせるな」
「お、おりぇの――」
「……ゴリラって。僕はか弱い系で行ってるんですよ」
「どこがか弱いんだよ。ねぇ、リリもそう思うで――リリ?」
手伝おうと手を出しかけていたリリーは赤い顔で石のように固まっていた。
「ペネオラ、手伝ってくれないなら邪魔なんだけど」
「――あ!は、はい!手伝います!!」
リリーはマキナの隣で机を持つと、へにょりと垂れた目で笑った。一人で謎の笑いを漏らしている。
「……うわぁ。僕この研究室でやって行けるかな」
「何で?」
「何でもないですけど……なんなんだかねぇ……」
平文の机とL字に置かれていたリリーの机の前に置き、給食の時間のように三台の机が並ぶ。
マキナは荷物を机にしまい初め、リリーもとりあえず席に着いて湊を見た。何をしようかと問う瞳だ。
何をすれば良いのか、湊は一つだけ分かっていることがある。
湊も平文の机に座ると、机の上に乗っているものにさらりと目を通して図形以外意味が分からない書類を重ねて端に寄せる。
「……やるか」
「……できますか?」
「……自信ない」
それはつまり――報告書と顛末書の作成だ。
出て来てしまった以上書かねばならぬ。
リリーがそれらしい紙と辞書をそっと差し出してくると、湊は辞書を開いてため息を吐いた。
しょっぱな、「報告書」と書く事もできなかった。
もう事は片付いたから報告書は良いよとイッサが言ってくれることを期待し、応接セットのソファへ視線を送る。
イッサはソファの肘置きに足を放り出し、顔の上にクッションを置いて腕を組んで眠っていた。
一晩中動き続けたであろうイッサを起こすなんて、とてもできない。
「……書かないんですか?」
片付けを進めるマキナが不審がるように湊を見た。
「……よ」
「え?なんですか?」
「……か……んだよ」
「はい?聞こえないんですけど」
「字が分かんねぇんだよ……」
湊が言うと、マキナはポカンと口を開けた。
「は?」
疑問の声に答える気力はなかった。
あけましておめでとうございます!
ハーメルンの方では数日前にお知らせを上げたのですが、こちらにも遅ればせながらお知らせを……。
せっかく連載を始めたというのに、このタイミングで公爵妊娠しました(
つわりにウンウン唸る日々を送ってまぁす。
しばらく不定期更新になりそうです( ;∀;)書きたいことはあれこれあるのにぃ……。




