#25 染まる紫
遠くに海を臨める庭に一つの影。
明るい空の下、青白い光が空に書かれ、そして歪んだ。
「またダメだ……」
湊は力塊誤作動を起こし始めている魔法陣の下に火の魔法陣を書いて焼き消した。
「アミノ酸に反応すれば色が付くはずなのに……」
湊はガーデンチェアに座ると、ペンを手にノートに今回の理論を書き込んだ。
これの前に誤作動を起こした物の理論と見比べながら、何が足りないのか頭を悩ませた。
「――湊様、寒くないですか?」
温かそうな湯気が立つマグを二つ手にリリーが庭に出て来る。
「立って書いてる間は寒くないから大丈夫だよ。リリは寒かったら中で過ごしてな」
力塊誤作動で家具が歪むと嫌なので、湊は完全防寒にて外でやるしかない。座ってこうして理論の確認をしていると寒いが、一度暖かい部屋に入れば二度と出られない気がした。
「ちょっと寒いですけど、大丈夫です!私もここにいます」
リリーは隣に座り、生クリームが入ったホットチョコレートを湊に差し出した。
「ありがとね」
受け取ったマグを机に置くと、ぐるぐるに巻いていた平文のマフラーをリリーに掛けてやってから湊は再びノートに目を落とした。
「湊様、寒くなっちゃいますよ。私、自分のもしてますから大丈夫です」
「いや、立って書き始めると暑くなるから大丈夫。ありがとね。それに、リリが寒くないなら俺は何でも良いから」
リリーは自分にかけられたマフラーを眺めると、それを紅潮した頬を隠すようにぐるぐるに巻きつけてマフラーの中に埋もれた。二重マフラーでもっこもこだ。
「――えへへ」
リリーは思わずだらしない笑いを漏らした。
マフラーからは良い匂いがした。
ヘイバンの事も思い出すし、湊と過ごす時間も思い出す。
非常事態だが、何となく機嫌が良くなってしまう。
それに、ホットチョコレートを手にノートにあれこれと書き込む湊の姿はヘイバンそのもののようだった。
真剣な眼差しはリリーがずっと憧れた人のものだ。
「――よし。構造式解んないし、それっぽいもん適当に考えて書くか!自分の言葉で良いんだもんな!」
湊は自分の中で決着を付けると、空になったマグを机に置いていつもの滅茶苦茶な魔法陣を書き始めた。少しでも発動しやすい形になるように平文が書き残した魔法陣を真似ながら。
「ニンヒドリン反応の最後は――加熱」
湊もそう詳しくはない言葉はリリーには当然理解できない。
今回書き上げた魔法陣は歪む事なく光を放った。
「――行ける」
湊は薬や薬包を入れたままの袋を壁のようになっている魔法陣の向こうへ手ごと差し込んだ。差し込むと同時に魔法陣には神火が上がった。
「はぁ〜あったけぇ」
神火が熱を持っているわけではなく、この熱は魔法陣の効果の一部だ。魔法陣を通り抜けた腕はサウナに入ったようにじわりとした高温を感じ、袋を持つ手は一気に紫色に変わっていった。
「み、湊様。平気ですか?」
「平気だよ。こんな色だけどね」
入れ込んだ手を魔法陣から引き抜くと、効果を終えた魔法陣は完全に消失した。
湊が差し入れた紙袋には――大量の紫色の指紋が浮かんでいた。
「はは!やった!もしかして俺って天才だったのかな!」
別に大して成績が良かったわけでもないが、湊は思わず笑いを漏らした。
「湊様!本当に天才です!大天才ですよ!」
興奮混じりに見上げてくるリリーの瞳には大きすぎる憧れと、むず痒いほどの信頼。
自分で天才などと言ったくせに、湊は途端に恥ずかしくなった。日本では常識の発想しかほとんど持ち合わせていないため、妙に背中がむずむずした。
子供に少し難しい漢字を書いて見せたら「お利口さん!」と褒められたような、そんな少しチグハグした感触だった。
湊は一度コホン、と咳払いした。
「とりあえず、俺は一旦手を洗います。どんだけ取れるか分からないけど。部屋に戻りましょう」
「はい!」
部屋に戻り、ソファにコートを脱ぎ捨ててミニキッチンに向かった。
手を洗うために袖をまくると、シャツの袖の内側までまだらに紫色になっていた。内側は皮膚に触れていたせいでアミノ酸が付着していたのだろう。コートの袖は無事そうだったのに。
「……うわぁ」
湊は祖父の向こうの世界の大切なシャツを汚した事を理解すると、仕方がなくジレを脱いだ。シャツも上のボタンを二つ外し、ぐいっと引っ張って頭から脱ぐ。
腕が全て晒され、湊は自らの腕を見下ろした。
魔法陣の手前と向こうでくっきりと色が違っていた。紫色の手袋をしているように見えるほどに。
置いてある石鹸で洗ってみるが、全く色が落ちない。シャツに関しては多少綺麗になったが非常に頑固な汚れだった。
「く……こいつ……。すみません、洗濯機ってないんでしたっけ」
湊がリリーに振り返ると、リリーは手で顔を覆っていて、指の隙間から目を覗かせていた。
「あ、あの、あります。電気で動くものはありませんけど、下の洗濯室に魔法で動くものがあります。手洗いできる所もあります」
「じゃ、俺ちょっと行って来ます。すぐ戻るんで」
手洗いをすれば手も多少は綺麗になる気がする。湊は上裸のままで部屋を出て行った。平日なので寮の人達は皆魔術省に出ている。この建物には今湊とリリーしかいないので半裸でもセーフだ。
上裸の方が腕も洗いやすい。
リリーは湊が出ていくとホッと息を吐いた。
正直プールや海以外で、ここまではっきりと父以外の男性の上半身を見たのは初めてだった。いや、湊が首に下げていた洗礼の指輪を見させてもらおうとシャツを引っ張って覗き込んでしまったが、あの時は体なんか目にも入らなかった。
今回本人は一ミリも恥ずかしがっていなかったが、見せられた方はそういうわけにもいかない。
リリーは「うわぁ〜!」と何か抑えきれない感情が湧いてくると、顔を抑えて首を振った。
湊は間違いなく上裸で戻ってくる。リリーは想像すると茹で蛸のように顔を真っ赤にした。これではまた「えっち!!はしたないわよ!!」と言われてしまう。
顔のパーツが飛んでしまいそうなほどに首を左右に振り、リリーはヘイバンの箪笥の引き出しを開けた。
シャツと、それから寒くないようにローブかジャケットが必要だろう。
湊の腕は紫色になっていたので、白いシャツだと透けそうだ。
シャツを選びながら、リリーは何となく奥さんっぽい気がすると思い首を左右に振った。
邪念を払ってから黒いシャツをベッドの上に出し、引き出しを閉めた。
ワードローブの扉を開け、ヘイバンがよく着ていた紺色のジレを出す。
それと揃いの、刺繍が美しいローブを出そうとすると、リリーの視線はローブに付いていた一本の灰色の髪の毛に吸い込まれた。髪の毛はハラリと床に落ちていってしまった。
「……ヘイバン様。ご覧になっていますか……。貴方の育てた湊様はこの世界を変えてしまうかもしれません……」
その言葉に返事などあるはずもなく、言葉は静寂の部屋に吸い込まれて消えた。
「……イズアルド様」
ヘイバンの両親が来た時に初めて口にした呼び方はどこか違和感があった。
ローブを抱きしめると、リリーが勉強をしていた時によく後ろからノートを覗き込んで来た彼の息遣いが聞こえてくるようだった。
大好きで憧れていた人。湊にそっくりな気配。
「――湊様」
大切にそっと口にする。
「ほい」
「っんなぁ!」
聞こえるはずのない声。リリーは飛び上がると、ベッドへ振り返った。
いつからそこにいたのか、相変わらず上裸で紫色の腕のままの湊が黒いシャツを広げていた。リリーの左右には開かれたワードローブの扉があるせいで何も見えていなかった。
「これ、俺着ていい奴ですよね?」
「も、も、もちろんです!」
リリーが何度も頷く中、湊はそれに袖を通していった。
「これも祖父ちゃんの匂いがしますね。もし欲しいのあったら持って行って良いんですよ。それとか」
抱きしめるローブを指さされると、リリーは慌てて首を振った。
「い、いえ!大丈夫です!!全部湊様が着てください!!」
「そのローブとか、俺には派手だよ」
湊は何か複雑そうな顔をして笑った。
「こ、これはいつもヘイバン様がお召しになってた物ですし!湊様にもきっとお似合いになります!」
「顔は殆ど同じだから――か」
ジレまで着ると、服の中から首にかけてある洗礼の指輪を取り出した。
リリーが腕を通しやすいようにローブを開くと、湊は袖を通さずに受け取ってリリーの肩に掛けた。
「――着てな」
「あ、あの、でも」
「良いんだよ。あったかいでしょ?」
湊は微笑んで見せてから、ロッキングチェアに掛けた。
リリーは静かにこくりと頷いた。
「さて……」と呟いたが、何となく気持ちが入らず小さなため息を細く吐いた。
紫色の指紋があちこちに付く袋を手に取り、中から薬と毒が包まれていた薬包を取り出す。
触れたりすればせっかく可視化されている指紋が崩れかねないので、袋を斜めにしてバラバラと机の上に巻いた。
「えーと、毒の包み毒の包み……」
魔法の付けペンでたくさんの薬包をかき分けると、毒が包まれていた紙が顔をみせた。
べったりといつくも指紋が付いていて、湊は気を付けてそれを手に取った。
「イシュワや憲兵の指紋、貰ってくれば良かったな」
「本当ですね。今からもう一度行きますか?」
「そうしましょう。二度手間になっちゃってすみません」
「いえ!」
リリーは肩に掛けられたローブを今度こそ湊に向けて持ち直した。
「どうぞ!」
俺には派手だよ、そう断ろうと思ったが湊は甘んじてローブを着せられた。
自らを見下ろし、やっぱり派手だと確信する。紺色のローブには如何にも偉い魔術師ですとでも言うように銀色で刺繍が施されている。
初めてここにきた時から防寒用に使っているローブコートは黒で、裾に少し銀の刺繍がある程度だったのであまり抵抗はなかったが、これは何とも言えない。
「……俺、似合わないですよね?」
「素敵ですよ?」
「ほんとかなぁ……」
「はひ!ヘイバン様のお洋服を着てると、本当にヘイバン様みたいです!」
そのコメントに湊は思うところもあるが、素直にその評価を受け入れることにした。別人だとバレにくくなるので良いことだ。
だが、上から着慣れ始めたローブコートを着た。黒で隠せば無問題だ。
「じゃあ、行こうか」
リリーも脱いでソファに掛けていたローブコートに袖を通し、二人揃って家を出た。
外に出ると、石畳に夕暮れが迫り始めていた。
時間を確認しようと袖を右手で引き上げると、紫色に染まった右手が嫌でも目に入った。
「……手袋してくりゃ良かったな」
「それっていつ消えるんですか?」
「石鹸で擦ったけど、やっぱりアミノ酸が染まってるから代謝しないと難しいかも……。薬品だったらこんなにはならないんだろうけど、魔法だったから最悪二週間とかかかるかもね……」
「逆に魔法で消すことはできないんです?」
「……分かんないけど手のペプチドが死にそうだからやめておきます」
「うーん?湊様のおっしゃることはリリには少し難しいです」
リリーは少し早足で付いてきながら湊を見上げた。
「……リリにはいつか小学校の理科からせめて高校の科学くらいまでは教える。それ教え切らなきゃ帰れねぇ」
「一緒にニホンに帰れば問題ないです!」
「まだ言ってる……」
溜息が出そうだった。湊は湊であって平文ではない。こちらが本気にしたらこの子はどうするのだろう。
そして、つんと袖を引っ張られた。
何かと見下ろすが、とくに用事もなさそうだ。
リリーが袖をつまんだまま歩いているので、湊は今度こそ溜息を吐いた。
それは鬱陶しいからとか、リリーに呆れたからとかではない。
ただただ、自分の愚かさに頭が痛くなったから。
湊は袖をつまむリリーの手を一度離させ、繋ぎ直した。
リリーは嬉しそうに湊を見上げてくるが、湊はもう一度溜息を吐いた。
「はぁ……。俺ってやっぱり頭悪いんだ……」
この子の祖父への憧憬や恋心を理解しているのに、これは馬鹿らしい行いだ。
祖父のふりはしなければならないが、正真正銘祖父になれと言われても無理だ。
「湊様は天才です!」
何の疑いもない返事だった。
「言っておくけど、俺はかなり単純で頭も悪いからね……」
「どうしてですか?湊様の頭が悪いんじゃ、私はもう大馬鹿者ですよ!」
ある意味正解かもしれない。
見た目が似ているだけの男にこれだけ懐いて、その男が悪い人間だったらどうするのだろう。
「そんなはずありません!」
リリーからの返事に、湊は一瞬魔法で心を読まれたかと思ったが、普通に口に出ていたかと口を紫色の手で塞いだ。
「湊様ほど良い人もそうそういません!」
「それはどうも……」
こう言われてしまっては悪いことはできないなぁ、と――元より何をするつもりもないが――何となく釘を刺されたような気持ちになった。
「……リリ、自分のことはちゃんと大切にするんだよ」
湊は年長者としてリリーに一応説教しておいた。
「はひ!分かってますよ!ありがとうございます!」
分かってない気がする。
(……俺が育てなきゃ)
帰るまでにこの無防備さは直してやった方がいいだろう。本当に悪い奴に騙されないように。
湊が何個目かの決意をしていると、昼間に来た憲兵の詰所に辿り着いた。
二人で建物に続く階段に足をかけると、先ほど同じ番をしている憲兵が降りて来た。
「公認魔術師殿、今度はどうされました?」
「すみません。イシュワにまた会いたいんですけど」
「あぁ。本日の面会時間は終わっているので明日またいらしてください」
これは失態だ。先にインクか何かを付けて指紋をもらっておけば良かった。湊はやってしまったなと思いながら、また腕時計を確認した。繋いでいるリリーの手ごと腕を上げる。
時刻は四時を過ぎたところ。常識的に考えて確かにこのくらいの時間には面会は終わりでもおかしくはない。
「あー……せめて担当憲兵さんにお会いできませんか?」
「担当は本日はもうこちらを出ました。神殿に寄ってから帰るそうで、早く出たみたいですよ。神明裁判、良かったですね。これで真偽がはっきりしますよ」
軽々しく言ってくれる。
湊は明日にするしかないかと紫色の手で顎に手を当てた。
すると、リリーが手を引っ張った。
「湊様、寮へ行きましょう」
「寮?」
「はい。また同じ魔法陣を描く必要はありますが、イシュワさんの指紋も捜査担当憲兵様の指紋もあるはずです」
湊はパチンと指を鳴らしてリリーを指さした。
「リリ、天才!」
「へへ、天才です!」
二人は憲兵に軽く挨拶をしてまた歩き出した。




